高橋尚子選手

2000年シドニー五輪・女子マラソンの金メダリストで、Qちゃんこと高橋尚子(ファイテン)が28日、東京・赤坂の某ホテルで引退会見を開いた。

高橋は、東京国際、大阪国際、名古屋国際のマラソン3大会に連続出場することを目標とし、米コロラド州ボルダーで高地トレーニングを続けていたが、自身が理想とする走りに近づけることができないなどの理由で、急遽26日に帰国していたことを明らかにした。

「アメリカでの合宿中、8月あたりから『このままではいけない、まだがんばらないといけない』と思うようになりました。また『プロ高橋尚子を皆さんの前に堂々と自信をもってお見せできるのか』『このままでいいのか』とも思うようになりました。このまま3大会に出場すれば、それは『ファンラン(楽しみとして走ること)』になる。であれば引退して、現役を退いてからのほうがいいのではないかと。しかし8月の時点では、こんな私についてきてくれたチームQのみんなにも相談できず、自分だけで悩んでいました」(同)。

今夏から「引退」の2文字が頭にあったと高橋は語った。そして、引退を決定付けたのは10月10日、スポンサーであるファイテンの社長にその時の心境を明かしたときだったという。自身の身体の故障や調整不足が原因ではなく、積み重ねてきた練習の過程の中で、限界を感じたとしている。

「どこかで"ありがとうラン""さよならラン"のようなことができないかと思っいます」と語る高橋からは、ファンや周囲への感謝の念と陸上への思いの強さが伝わる

「これからもずっと陸上は好きなので、50歳、60歳になっても"ジョガー高橋"として走り続けていきたい」と笑みを浮かべて話す高橋は、これまで"Qちゃん"を支えた仲間についても感謝の思いばかりだという。そして、言葉を詰まらせながらも、「『これからもジョガー高橋をずっと支えるからね』と言ってくれる、本当にいい仲間に巡り会ったな思いました」と語った。さらに、マラソンの楽しさを伝えたことについては「多くのジョガーのみなさんが自分で靴を履いて、外に出るというきっかけをつくれたことはよかった」と笑顔で話した。

会見中、平静さを保っていた高橋だったが、彼女の涙腺が緩む場面があった。1時間に及んだ記者会見の最後の最後、一礼して席を立とうとしたとき、報道陣から不意に拍手が起こった瞬間だ。高橋は、目を赤く染め、手で顔を覆い、あふれ出る涙を必死にこらえながら手を振って壇上を離れていった。