――「S2000」にもVSAが搭載されていますが、スポーツモデルのVSAは通常と異なるのでしょうか?

基本概念は一緒です。ただ、FFなのかFRなのか四駆なのか、駆動輪の形態で制御に多少変化はあります。スポーツモデルというのは、旋回性能やスタビリティ(安定性)が高いですから、同じようにセッティングしてもVSAのような技術が顔を出す頻度は減ることになります。ただし、βアングルがある角度以上ついてしまうと破綻するというのは物理的に同じです。ドリフト状態はある程度許容しますが、βアングルの増加率がすごく大きければスピンする可能性はあります。

ホンダのスポーツモデルS2000にもVSAは搭載されている

VSAはオフにすることもできますが、エンジンを掛けた際は常にオンになります。お客様があまり頻繁にいじるスイッチでもないし、実際のところ、オフにする必要はほとんどありません。安全はこういうものだと認知されたら、オン/オフのスイッチはないほうがいいと私は思っていますし、いずれ止めるかもしれません。


――VSAはブレーキをかけたり、エンジンの出力を下げるといった制動が主のようですが、逆にタイヤを回すようなコントロールはしないのですか?

トラクションコントロールの領域ですが、そういった制御もしています。特にFRがそうですね。後輪がロックすると車体のテールを振り出します。例えば雪道で強烈なエンジンブレーキをかけるといったシーンでは、後輪がロックしてしまうことあります。その時はタイヤを回して安定状態を作ります。基本は減速ですが、FFの場合は、ゼロとはいいませんけど、非常に頻度は低いです。それでもブレーキをかけなくてもタイヤがロックするシーンがまれにありますので、そういった場合は回すようにしています。


――VSAは誤作動すると非常に危険だと思いますが、フェイルセーフの仕組みはどうなっているんでしょうか?

服部氏は、1978年本田技研工業に入社。ABS、VSAの開発に従事し、2006年からは車体・シャシー系研究開発に携わる。2007年上席研究員就任、現在に至る

開発初期にはいろいろなアイディアを検討しますが、開発を進めている段階ではフェイルセーフをチェックする時間が圧倒的に多くなります。というよりも、ほとんどフェイルセーフばかりやっているという状態になりますね。ブレーキを制御するということはそのくらい大変なことで、お客様がブレーキを踏んでいるわけではなくて、自動ブレーキに近い状態にもなりますから、非常に気を遣います。しかもクルマの動きを作っていくわけですから、全てが正しいという裏を取りながら制御するという配慮が重要で、開発の7割くらいをそういう作業に費やしています。

まずセンサーの診断ですが、エンジンをかけたときに初期診断で確認します。それで済めばいいのですが、走り出さなければわからないセンサーもあります。クルマの挙動を検知しているセンサーなどがそうですね。クルマの挙動が出ないと信号が出てきませんから、これらは常時かなりのサイクルで診断をかけています。センサーの診断が基本的なフェイルセーフのひとつです。それから正しく動いているかという診断もかけています。センサー信号に対してクルマを制御しますから、そのセンサーが正しく動いているかどうかというのはすごく重要なことで、いちばん気をつかいます。

それと、油圧制御のバルブなどのハード系が正しく動作しているかも確認します。ですから、センサー、ハードウェア、ソフトウェアと全てをいつも診断しています。実際には、センサーのハードウェアとソフトウェア上でセンシング(検出)に相当するところを計算できるところがあって、それが一致してるかどうかを確認します。無尽蔵にコストをかけられるのならセンサーをふたつ付けて比べればいいのですが、それでは普及しません。知恵を使って、お客様に負担がかからず、信頼性が同じくらい確立できるやり方を模索しています。お客様はクルマ1台しかお買いあげにならないので、そのクルマが良くとも悪くともそのお客様にとっての全てです。それがもしダメだったら「こんなクルマいらない」って言われてしまうわけですから、万全を期して検証しています。


――日本でのVSAの普及はどうでしょうか?

値段など各社さまざまですが、普及は進んでいると思います。ホンダでいうとすでに「フィット」のクラスにもつけています。

これは私が思っていることですが、このシステムが付いているクルマに乗って、コーナーを飛び出しそうになったけどうまく曲がれたとか、スピンしそうになったけどうまく通り抜けたという時に、お客様がどう感じられるかというと、「VSAがあったからよかった」ということにはならなくて、ただ「あぁ、よかった」なんですね。雪が溶けかかった道でも、スッと走れたら「そういうものだったんじゃないか」と思われてしまう。ABSでも普及にはすごく時間がかかって、今ではほとんど標準で付いていますが、82年にホンダが出してからこうなるまでに10年から20年の歳月がかかっています。

現行型フィットには、VSAがRSの5MTモデルに標準装備、CVTモデルにはメーカーオプションで用意される

CMBSは2003年のインスパイアに初めて搭載された

今でもABSについて、「聞いたことはあるけどよくわからない」「あったほうがいいらしい」という方も結構いらっしゃるのではないかと思います。さらに「VSAはスピンしない」という話になると、「スピンしたことなんかないよ。そんなものいらない」となってしまう。逆に「絶対にスピンしないんですか?」と聞かれても、やはり物理的な限界はあります。路面の急変などが起こったりした時に助けてくれるのがVSAの基本的な概念ですから、「オーバースピードでコーナーに入ってもいいんだ」と解釈されたら大変なことになるわけです。

ABSを出したときに、当時はALB (Anti Lock Brake) と呼んでいましたが、「雪道でブレーキが効かなかった」 というお客様がいらっしゃいました。話を聞いてみると、ブレーキが効かないけど (ABS動作を示す) キックバックはあったということでした。でもよく聞いてみると、「乾いた路面と同じには止まれなかった」ということを、感覚的には「ブレーキが効かなかった」と感じられたんです。これは物理的な話でミューとタイヤのグリップ性能で決まりますから、雪道なら当然制動距離は伸びます。ABSは乾いた路面と同じように止まれるというシステムではないのですが、残念ながらそうは伝わっていなかった。「ブレーキを踏んだときにタイヤがロックしないで、ステアリングでちゃんと回避できる」というのがABSですが、「制動距離が短くなる」と思いこんでいる人もいらっしゃる。その人にしてみたらドライのように止まれなかったらそれは「効かない」ということになってしまうんです。

新しいシステムを正しく伝えるのは企業の責任もあるし、お互いに歩み寄らないといけない部分があります。ヨーロッパではそういう概念が早くから発達していましたので、ABSもすぐに理解していただける人が多かった。日本では「すごいブレーキができたんだって!」ということになっちゃうわけです(笑)。VSAはABSよりもさらに難しい概念になりますから、うまく伝えていかなければいけないし、それを伝えるためにはある程度の時間と企業努力、業界全体の努力も必要です。安全だからといって押し売りはできませんから、どういうふうにお伝えするかが重要だと思います。

同様に安全を目指したシステムでCMBS (Collision Mitigation Brake System:追突軽減ブレーキシステム) があります。追突の危険性を判断してドライバーに警告を出して、万が一の衝突でも被害を軽減するシステムですが、"ミチュゲーション"(軽減)という概念が日本ではあまり受け入れられていないのではという心配もあります。レーダーで前のクルマを見つけてぶつからないようにブレーキをかける、というところまでは理解していただけると思います。でも、「だからぶつからないんだね?」となると困ってしまう。

我々が送り出した安全装備が商品としてお客様に伝わって、それでホンダのイメージが「安全に貢献するホンダ」と本当は思ってほしい。我々はそのためにがんばっています。本当は、お客様は何も知らなくても「クルマがいろいろカバーしてくれて安全でした」というのが一番美しい姿なんでしょうね。「よくはわからないけど、このクルマって安全で安心ないいクルマだね」というのが終着点かなと思います。

聞き手:平 雅彦 (WINDY Co.) 撮影:加藤真貴子 (WINDY Co.)