筑波大学は10月1日、同大学も参加する米国ブルックヘブン国立研究所の大型加速器「相対論的重イオン衝突型加速器(RHIC)」における国際共同の「STAR実験(第二期)」が、金の原子核同士を衝突させた際の「正味陽子数の4次ゆらぎ」を高精度に測定し、「量子色力学(QCD)臨界点」の存在を示唆する成果を得たと発表した。

同成果は、国内外370名以上の研究者が参加した国際共同研究チームSTARコラボレーションによるもの。筑波大からは、数理物質系の江角晋一教授、同・新井田貴文助教、同・野中俊宏助教が参加。詳細は、米国物理学会が刊行する機関学術誌「Physical Review Letters」に掲載された。

量子色力学臨界点特有のパターンが確認された

核子(陽子と中性子)は、3つのクォークとそれらをつなぐグルーオンで構成される。通常、これらは自然界の4つの力の1つである「強い力」で核子内に閉じ込められており、単独では存在できない。だが、宇宙誕生後間もない時期のような極めて高温・高密度の環境ではこの封印が解け、それらが自由に動き回る「クォーク・グルーオン・プラズマ」(QGP)状態となる。実際、金や鉛などの重い原子核を高速で衝突させると、極めて瞬間的にだがQGPが生じることがRHICなどの実験で確認されている。

QCDは、クォーク-グルーオン間に働く強い力を記述する理論で、素粒子物理学の標準理論の一部である。このQCDにより描かれる原子核物質の相図を「QCD相図」といい、QGPなどの理解に不可欠なものだ。QCD相図は温度と密度を軸に、原子核の構成物質がどの状態にあるのかを示す。

  • QCD相図の概念図

    QCD相図の概念図。横軸が密度、縦軸が温度。低温・低密度領域(水色部分)ではハドロンガスとして存在していたクォークやグルーオンが、高温・高密度領域(青色部分)ではQGPへと変化。両相間の相転移は、低密度領域ではクロスオーバー、高密度領域では1次相転移(体積やエントロピーに不連続が生じる変化)と予想されている。QGP相中の複数の白線は、異なる衝突エネルギーで生成されたQGPが、冷えてハドロンガスへ相転移する時空発展の様子を示す。高エネルギーほど生成物質の密度は低く、低エネルギーほど密度が高くなる。(出所:筑波大プレスリリースPDF)

水が、温度と圧力によって氷・水・水蒸気と姿を変える現象は、相転移と呼ばれる。同様に、原子核物質についても相図を描くことができ、通常物質(ハドロンガス)からQGPへの変化の過程に「QCD臨界点(1次相転移の終端)」が存在すると理論上は予測されている。STAR実験の目的の1つは、この臨界点を発見することだ。

  • QCD臨界点を含んだ理論モデルの予測

    QCD臨界点を含んだ理論モデルの予測。縦軸が4次ゆらぎ(C4/C2)、横軸が衝突エネルギー。(出所:筑波大プレスリリースPDF)

STAR実験では、「Beam Energy Scan(BES)」という大規模なプログラムで、金原子核を多彩なエネルギーで衝突させ、QCD相図の多様な領域が探索されている。衝突エネルギーが高いほどQGPの密度は低く、逆にエネルギーが低いほど密度が高くなるという関係から、衝突エネルギーを変化させることで、QCD相図の多様な領域を実験的に調べることが可能となる。

2010年から2017年まで行われた第一期実験(BES-I)に続き、2019年から2021年まで行われた第二期実験(BES-II)では、低エネルギー領域に絞り、BES-Iの約20倍のデータが収集された。そして今回、そのデータを用いて「正味陽子数の4次ゆらぎ」の精密測定が行われた。

原子核衝突において生成された陽子数と反陽子数の差(正味陽子数)を測定すると、各衝突事象でばらつきが生じる。このばらつきは、さまざまな次数の「キュムラント」と呼ばれる統計量(分布の特徴)によって表される。1次は平均値、2次は分散に等しいが、3次以上のキュムラントはガウス分布でゼロになるため、「非ガウスゆらぎ」とも呼ばれる。「4次ゆらぎ」は4次キュムラントと2次キュムラントの比(C4/C2)で定義される。

理論モデルでは、QGPが冷えていく過程で臨界点付近を通ると、この「4次ゆらぎ」は特徴的に変化を示すとされる。具体的には、高いエネルギー側から低いエネルギーへ走査する場合、ある衝突エネルギーの領域でいったん小さくなった後、臨界点近傍で大きくなるというパターンを示すと予想されている。

実験結果では、金原子核同士がかすめるような衝突をした場合、衝突エネルギーによる顕著な変化は観測されなかった。しかし正面衝突の場合、14.5ギガ電子ボルト(GeV)以下と、27GeV以上では理論計算と一致。さらに、20GeV付近で観測された明らかに小さくなる特徴は、臨界点を含んだ理論モデルの予測とよく一致していることが確認された。この結果、7.7GeV以下の低エネルギー領域にQCD臨界点が存在する可能性が強く示唆されたのである。

STAR実験では、BES-II以外にもさらに低いエネルギー(3.0GeV~4.5GeV)の固定標的実験も実施しており、現在、そのデータ解析が進行中だ。今年度末まで実験は行われるが、この領域で「4次ゆらぎの増大」を確認し、QCD臨界点の存在をより確実にすることが目標とされている。

  • 正味陽子数の4次ゆらぎの衝突エネルギー依存性

    正味陽子数の4次ゆらぎの衝突エネルギー依存性。金原子核の周辺衝突事象を解析した結果がダイヤ、正面衝突事象の結果が赤四角。Hydro EVはQGPの流体的モデル計算、HRG CEはバリオン数保存を考慮したハドロンガスのモデル計算、LQCDは格子QCDによる数値計算、UrQMDがハドロンの輸送モデルを表す。これらのモデル計算(右下図内)には、QCD臨界点は含まれていない。(出所:筑波大プレスリリースPDF)

しかし、STAR検出器は低エネルギーでの測定には必ずしも最適化されておらず、4.5GeV~7.7GeVのエネルギー領域におけるデータ収集や、さらなる高統計には限界がある。そのため筑波大は、日本を含めた複数の国で新たな加速器実験が計画されており、それらによって決定的な証拠が得られることが期待されるとしている。

  • STAR検出器の概観図

    STAR検出器の概観図。多数のサブシステムで構成され、原子核衝突実験で生成される数千以上の粒子の運動量やエネルギーの情報を得られる。(出所:筑波大Webサイト)