π中間子の寿命は約30ナノ秒と、極めて短命である。そのため、今回の研究ではπ中間子をあらかじめ用意して原子核に束縛させるのではなく、粒子を原子核にぶつけた時のエネルギーを使って、原子核のすぐ近くでπ中間子を作り出す手法が用いられた。

加速した重陽子(陽子1個と中性子1個)をビームにして、スズ(Sn)標的に衝突させると、ある確率で重陽子ビームのエネルギーからπ中間子が生まれ、π中間子原子が生成される。この反応では、同時に重陽子がSn原子核中の中性子と反応し、ヘリウム(He)原子核(陽子2個と中性子1個)となって前方に射出される。生成されたπ中間子原子は、π中間子の寿命よりも短い数ゼプト秒程度で崩壊してしまうため、π中間子原子そのものではなく、反応で射出されるHe原子核の運動エネルギーが計測される。つまり、He原子核の運動エネルギーと重陽子ビームの運動エネルギーの差が、ほぼπ中間子原子の持つ束縛エネルギーに等しいということになる。

  • π中間子原子の生成反応。重陽子ビームをSn標的に衝突させ、π中間子を作り出す。生成したπ中間子はSn原子核に束縛され、π中間子原子となる(黄矢印)。同時に、重陽子はSn原子核中の中性子と反応し、He原子核となって射出される(赤矢印)。π中間子原子の持つ束縛エネルギーは、He原子核のエネルギーと重陽子ビームの運動エネルギーの差である

    π中間子原子の生成反応。重陽子ビームをSn標的に衝突させ、π中間子を作り出す。生成したπ中間子はSn原子核に束縛され、π中間子原子となる(黄矢印)。同時に、重陽子はSn原子核中の中性子と反応し、He原子核となって射出される(赤矢印)。π中間子原子の持つ束縛エネルギーは、He原子核のエネルギーと重陽子ビームの運動エネルギーの差である(出所:奈良女子大プレスリリースPDF)

今回の研究では、最新の実験的・理論的知見に基づいた効果が取り入れられ、高い精度で実験スペクトルとクォーク凝縮を結びつけることが可能になったという。たとえば、クォーク凝縮の量が原子核内部で減少すると、π中間子を原子核内部から押し出す力が強くなり、結果としてピークが右側にシフトすることになるとした。このような変化が最も強く現れるのが、1s軌道に束縛されたπ中間子原子である。そのため、今回得られた実験スペクトル、特に1s軌道に束縛された状態を詳細に解析することで、原子核内部におけるクォーク凝縮の変化量を精度よく決定できたという。

  • π中間子原子生成時の標的原子核の励起エネルギースペクトル。実験で得られたデータを、横軸を標的原子核の励起エネルギー、縦軸を二階微分反応断面積で表した図。黒点が実験結果、赤線(1s軌道)、青線(2p軌道)、緑線(その他の軌道)のピークが、それぞれの軌道に束縛されたπ中間子原子の状態に相当する理論スペクトル(グレーの線はそれらの総和に相当)。クォーク凝縮の減少量は1s軌道からの寄与を表すピークの位置などに現れ、クォーク凝縮の量が減少しているほど、赤線のピークの位置が右にシフトする(赤矢印)

    π中間子原子生成時の標的原子核の励起エネルギースペクトル。実験で得られたデータを、横軸を標的原子核の励起エネルギー、縦軸を二階微分反応断面積で表した図。黒点が実験結果、赤線(1s軌道)、青線(2p軌道)、緑線(その他の軌道)のピークが、それぞれの軌道に束縛されたπ中間子原子の状態に相当する理論スペクトル(グレーの線はそれらの総和に相当)。クォーク凝縮の減少量は1s軌道からの寄与を表すピークの位置などに現れ、クォーク凝縮の量が減少しているほど、赤線のピークの位置が右にシフトする(赤矢印)(出所:奈良女子大プレスリリースPDF)

そして、今回測定された超高密度領域において、クォーク凝縮の量が77±2%まで減少していることが突き止められた。今回の実験結果はこれまでにない高精度なものであり、今後さまざまな理論モデルに強い制限を与える画期的なものとした。またこれは、真空構造についての理解を深め、宇宙創成期から真空がどのように変化してきたかを突き止めるための重要な手がかりとなるとしている。

  • 今回の測定で得られた原子核中のクォーク凝縮の密度と各理論計算の比較。実験では、原子核表面の物質密度が約0.1[fm]の場所で、クォーク凝縮の密度が測定された。赤丸で示されているように、この場所ではクォーク凝縮密度が真空中での値に対して約77%まで減少していることが判明。原子核の中心密度は0.17[-3]になる

    今回の測定で得られた原子核中のクォーク凝縮の密度と各理論計算の比較。実験では、原子核表面の物質密度が約0.1[fmfm-3]の場所で、クォーク凝縮の密度が測定された。赤丸で示されているように、この場所ではクォーク凝縮密度が真空中での値に対して約77%まで減少していることが判明。原子核の中心密度は0.17[fmfm-3]になる(出所:奈良女子大プレスリリースPDF)

研究チームは今後、今回判明したクォーク凝縮の量の減少率が、密度にどのように依存するのかを解明することを目指すという。その達成に向け、2021年には複数のSn同位体を標的とした測定を実施済みだ。中性子はπ中間子と反発するため、中性子の数を変えることで、π中間子の軌道が変化し、原子核表面付近の異なる密度での情報を得られるという。これらのデータを精密に測定することで、クォーク凝縮の量の密度依存性を実験的に調べられるだろうとした。