――萩野さんは、1996年の『超光戦士シャンゼリオン』で主役・涼村暁役を演じられています。浅倉役の依頼はこちらの流れからですか?

萩野:『シャンゼリオン』のプロデューサーだった武部(直美)さんから声をかけていただきました。入ってみると『龍騎』は白倉(伸一郎)さんがチーフプロデューサーだし、脚本には井上敏樹さん、監督は長石多可男さんと、『シャンゼリオン』のスタッフが集まっていると知りました。

――浅倉の印象的な衣装は、どのようにして決まったのでしょうか。

萩野:王蛇は「紫」のライダーだと聞いていましたから、最初は素肌に紫色のアロハ、古着のデニムなんかを合わせるのかな、というイメージで衣装合わせに行きました。でも、用意されたのはヘビ柄のシャツに首輪、手袋が左右別々で、挙句の果てにはパンツもヘビ柄だったんです。だから、当初僕が抱いていたイメージから大きくかけ離れていたビジュアルでした(笑)。東映の伝統的な「悪役」をオレがやるのか……という感じにはなりましたけれど。

――王蛇=ヘビのイメージを浅倉に求められたのでしょうね。特に印象的だったヘビ柄のジャケットについてはいかがですか?

萩野:あれは僕の私物でした。たまたま、僕もヘビ革のジャケットを持っていますと伝えたら、白倉さんが「なぜそれを持ってこない」と言って(笑)。撮影当日に持ってくることになりました。長石監督も「萩野の好きな衣裳でやっていいよ」と言ってくださったので、そのとき寒かったこともあり、ヘビ革ジャケットでの登場ということになったんです。夏は暑いですから、ヘビ柄のシャツで行こうと。

――北岡さんはスーパー弁護士らしく、常にスーツ姿でクールに決めていましたね。

小田井:今と昔ではトレンドが変わってきていますけれど、あの当時で、僕は北岡のダブルのスーツは斬新だな、と思いました。

萩野:ああ~、なるほど。

小田井:誰もダブルを着ていない時代でしたからね。最初は正直、ダサイと思いました(笑)。ええ、ダブル?って。

萩野:しかも、ちょっとたっぷり目のスーツだったよね。

小田井:スーツについて覚えている話では、夏場にスーツを何着か用意してもらったんですけれど、僕は身長が高いので、なかなか自分に合うダブルの衣裳がないんです。そんな中で衣装さんから「これが一着あったから着てください」と出されたのが、何かのドラマで阿部寛さんが着ていたスーツだったという(笑)。そこで改めて阿部さんのデカさを実感しました。

――平成仮面ライダーシリーズの3作目として注目された『龍騎』では、前作『仮面ライダーアギト』(2001年)から巻き起こっていた「イケメンヒーロー」ブームの高まりもあって、お2人にも女性ファンから熱い視線が注がれていたのではないですか。

小田井:撮影している当時は、俺たちがそんなに注目されていた自覚がそれほどなかったんですよ。ほぼほぼ、駅から撮影所か弁護士事務所のスタジオへの行き来しかしていなくて、キャストさん以外の人に出会う機会もありませんでしたから。ファンの方たちがたくさんいる、と聞いてもぜんぜん実感がわかなくて。あのころは普通に電車で撮影所に通っていましたけれど、車内で別に声をかけられるわけでもなかったですしね。でも、夏に劇場版『仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』をやったときですよ。丸の内東映で行なわれた舞台挨拶に出演した際、客席にすごい人数のお客さんが集まってくれて、歓声もすごかった。そこで改めて『龍騎』人気の高さに気づいて、びっくりしたんです。

萩野:涼平くんは最初のほうから出演していたけれど、僕は第17話からの参加でしょう。そのころになると、テレビの撮影と同時に、写真集を作るからって、その撮影にも入っていました。いきなり写真集ができるのか、すごいなって思いました(笑)。あのころから特撮雑誌の数も増えて、さらには一般誌でも取材をたくさん受けるようになりましたよね。撮影が終わったら取材があって、その後にまた撮影とか。6年前に出演していた『シャンゼリオン』とはぜんぜん注目のされ方が違うなと思いましたね。『シャンゼリオン』のときはイベントも少ししかなかったですし、雑誌の取材も少なかった。特撮ヒーローを取り巻く環境が、6年の歳月を経て大きく変わったんだなと感じました。