社会全体を覆っている「弱者への冷たい眼差し」

もう一度言います。私たちは弱者に配慮しない社会を生きています。でも、弱者への配慮のなさは本質的な問題ではありません。なぜなら、人間への不信感が社会全体を覆っていることのひとつのあらわれとして「弱者への冷たい眼差し」があるからです。

国際社会調査プログラム、世界価値観調査、ピュー・グローバル・アティチューズ・プロジェクト等を見ていると、「あなたは社会にいる他の人を信じますか?」という質問に出会います。「社会的信頼度」の調査です。じつは、日本人の社会的信頼度はよくて先進国の平均以下、悪ければ先進国で最低レベルにあります。

人間を信頼しない社会ーーこの残酷な事実を発見して僕はあることに気づきました。それは、日本社会には数々の「分断線」が存在するということ、わかりやすく言えば、人を疑い、批判することが得をする嫌な社会が出来あがっているということです。

中間層が貧しくなったことは、弱者への寛容さを失った重要な背景

僕は、日本社会は「3つの分断の罠」に陥っている、と考えています。

ひとつめは「再分配の罠」です。この間、アベノミクスの成否が論じられてきましたが、効果のあるなし以前に、そもそも私たちは、数年間の経済成長では取り返せないほどに貧しくなったことを確認する必要があります。

賃金の総額(名目雇用者報酬)は確かに増えました。でも、90年代のピーク時からすれば1割近く落ち込んだままです。また、平均的な世帯所得を見てみますと、これもピーク時と比べ2割近く落ち込んでいます。男性だけではなく女性も働く共稼ぎ社会に変わったにも関わらず、2割近くも所得が落ち込んだのです。

中間層がじわりじわりと貧しくなったことは、私たちが弱者への寛容さを失った重要な背景です。そして、多くの人が所得を減らすなかで、貧しい人の利益を重んじ、再分配の必要性を訴えると、負担者となる中間層の不満が破裂し、低所得層へのバッシングが始まります。「再分配の罠」です。金額ベースで1%にも満たない生活保護の不正受給への批判が絶えないことは、ご存知のとおりです。

「自己負担型社会」では、「成長の行き詰まり」が「生活の行き詰まり」に直結

二つめは「自己負担の罠」です。みなさん。日本が先進国のなかで「小さな政府」のひとつだということを知っていますか? 多くの先進国では、教育や子育て、老後の生活に必要なサービスを政府が提供しています。ですが、日本では税負担が軽く、政府も小さいため、これらのサービスを自分のお金で市場から「購入」しないといけません。

幼稚園や大学の授業料、福祉施設への入居費、医療費…生活に必要なサービスを買い求める「自己負担型社会」では、「成長の行き詰まり」が「生活の行き詰まり」に直結します。グローバル化が進み、国際競争が厳しくなると、企業の競争力を高めるために人件費の抑制が避けられなくなります。人びとは、所得を増やしたいがために、企業の人件費削減要求を受け入れざるをえないという奇妙な状態に陥ります。

働く人びとは生活難に直面します。ですが、自己負担が多い社会では、とりあえず手元のお金を増やすしか方法はありませんから、さらなる経済成長を追い求め、所得税の減税や財政出動を政府に要望します。

アメリカのように成長に成功すればそれもよいでしょう。しかし、グローバル化の波に飲み込まれ、所得の減少を止められなかった日本では、政府の借金だけが残りました。その後、財政支出の削減が求められ、生活がさらに困窮化するなか、納税者は政府不信を強めました。日本人の政府への不信感は、国際的に見てきわめて強いです。

高齢者の利益が優先されるという「罠」 - 深刻な世代間対立が生まれている

三つ目は「必要不一致の罠」です。人間は誰でも歳をとりますから、老後のサービスには現役世代の人も賛成します。でも、教育や子育てのようなサービスの場合、これが終わってしまった高齢者は渋い顔をします。内閣府の調査でも、高齢化対策がすべての層に支持される反面、少子化対策では高齢者の支持が極端に落ちます。

高齢者は民主主義の「少数者」ですが、彼らの利益が優先されるという「罠」がここにあります。将来は自分の利益だとわかっていても、雇用不安や子育てに苦しむ現役世代は、自分たちに重くのしかかるいまの高齢者のための負担を嘆きます。他方、高齢者も「自分たちは政府に頼らずに子育てをした」「嫁は子供を置いて働きにいくのか」と反発します。価値観のズレを伴いながら、深刻な世代間対立が生まれています。

中間層が貧しい人を批判し、国民が政府を罵り、お年寄りと若者が鋭く対立

中間層が貧しい人を批判し、国民が政府を罵り、お年寄りと若者が鋭く対立する、そんな不機嫌な社会を私たちは生きています。これに拍車をかけているのが財政危機です。財務省や政治家、学者が財政破綻の危機を声高に叫んだ結果、無駄遣いに目くじらを立て、特定の支出やグループを袋叩きにし、誰の予算を減らすのがもっとも望ましいかを競い合う「犯人探しの政治」が横行するようになりました。

格差に無関心な社会は「つながりの危機」に直面した「分断社会」の一断面です。僕はそんなくたびれた社会を次の世代に残したくありません。

<著者プロフィール>

井手 英策(いで えいさく)

1972年福岡県久留米市生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て、慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。著書にDeficits and Debt in Industrialized Democracies(Routledge)『経済の時代の終焉』『日本財政 転換の指針』(岩波書店)など。