注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『ゴッドタン』『あちこちオードリー』(テレビ東京)のディレクター、『チャンスの時間』(AMEBA)の演出などを担当する斉藤崇氏だ。

『オオカミ少年』から『リンカーン』(いずれもTBS)という流れの中でダウンタウンの“脳みそ”に触れ、『ゴッドタン』で佐久間宣行氏の“神がかり”な編集を目の当たりにし、『NEO決戦バラエティ キングちゃん』(テレビ東京)から『チャンスの時間』に至るまで千鳥の全方位的な“強さ”を感じてきたという同氏。それぞれのエピソードを含め、番組の裏側をたっぷりと語ってもらった――。


■浜田雅功が「斉藤」と呼んでくれた日

『ゴッドタン』『あちこちオードリー』『チャンスの時間』などを担当する斉藤崇氏

斉藤崇
1974年生まれ、静岡県浜松市出身。大学卒業後、97年にクリエイティブオフィスなび入社。『リングの魂』(テレビ朝日)、『リンカーン』(TBS)、『大人のコンソメ』(テレビ東京)などを担当し、現在は『ゴッドタン』『あちこちオードリー』(テレビ東京)、『オオカミ少年』(TBS)、『チャンスの時間』『見取り図エール』(ABEMA) 、『Sound Inn “S”』(BS-TBS)などを手がける。3月からは『トークサバイバー! ~トークが面白いと生き残れるドラマ~』(Netflix)がスタートする。

――当連載に前回登場した水野達也さんが、斉藤さんについて「佐久間宣行さんの右腕みたいな存在で、千鳥さんからの信頼度がすごく高いんです。めちゃくちゃ仕事してるから、どうやってやってるんですか?と聞いてみたい」とおっしゃっていました。

信頼があるというのは、単純に佐久間くんとは関係が古いからじゃないですか? もう20代のときからの付き合いですから。僕はシオプロと『ゴッドタン』をずっと一緒にやっているんですけど、シオプロが『万年B組ヒムケン先生』(TBS)をやっている裏で佐久間くんがテレ東で枠を取ったんですよ。だからシオプロに頼めないから、フリーの僕に声をかけてもらった。それが千鳥の番組『キングちゃん』ですね。そこから『ゴッドタン』以外にも佐久間くんとやるようになったんです。要は長い付き合いだから話が早いってことだと思います。佐久間くんめちゃくちゃせっかちなんで(笑)

千鳥とも『キングちゃん』からですね。ちょうど内村(光良)さんの『笑神様(は突然に・・・)』(日本テレビ)で東京のテレビにハマり始めた頃だったんですけど、実は最初、佐久間くんが枠は取ったけどMCは決まってないと。それでどうする?ってなったときに、会議にいたスタッフ全員が「千鳥がいい」と。千鳥に関しては信頼されているというよりは、僕らが信頼している。千鳥が僕を信頼してくれているとすればそれは、東京でお笑い番組をやりたかったという夢を最初にかなえてくれたという部分での信頼だと思います。

――この業界に入った経緯は?

お笑い番組を作りたかったんで、普通に就職活動してバラエティを作ってる制作会社を何社も受けました。それで入ったのが「クリエイティブオフィスなび」という会社。最初に『リングの魂』(テレビ朝日)のADをしました。ちょうどPRIDEとかで格闘技も盛り上がっていたし、有吉(弘行)さんの柔道企画(「J-1」)とかで番組も勢いがあったから楽しかったですね。もちろん南原(清隆)さんの番組というのもありますし。僕は『夢で逢えたら』(フジテレビ)が大好きだったので「わっ! ナンチャンだ!」って(笑)。そこには加地(倫三、『アメトーーク!』『ロンドンハーツ』EP)さんもいて、アニキって感じでいろいろ教わりました。

それで『ロンドンハーツ』のチーフADに誘われるんですけど、ちょうど会社のほうでディレクターができるという番組があって、そちらに行くことになりました。26歳のときです。かなり早い段階でディレクターとして完パケのVTRを作る経験ができたので、ラッキーだったなと思います。

――転機になった番組は何ですか?

やっぱり『オオカミ少年』(TBS)ですかね。ディレクターになって会社の持ってきたお試し特番みたいなのをたくさんやっている中で、『ガチンコ!』の後番組でTOKIOとさまぁ~ずがやった『★愛と誠★』という番組をちょっとだけ手伝うことになり、TBSの坂本(義幸)さんに出会ったんです。その後、坂本さんが『オオカミ少年』を立ち上げるときに呼ばれました。そこには塩谷(泰孝、現・シオプロ社長)もいましたね。

――MCは浜田雅功さんです。やはりプレッシャーはありましたか?

いやぁ、スゴかったですよ(笑)。僕はダウンタウン直撃世代なので、浜田さんとバラエティをやれるといううれしさと緊張感が半端なかったです。浜田さんが当時40歳くらいで、当然大スターですけど、なぜかめちゃくちゃかわいがってくれたんです。ディレクターみんな若造の集まりで、総合演出の坂本さんでさえ30歳。で、ある時浜田さんが「お前らゴルフやらへんのか?」って。やったことないですけど、「やります!」みたいな感じで神宮の打ちっ放しに 浜田さんとティレクターみんなで行くんです。そのときに初めて「斉藤」って呼ばれたんですよ! 「斉藤、ちょっと来てみ。グリップがちゃうわ」みたいにさりげなく。それをいまだに覚えてますね。

番組始まって何カ月か経っていたんですけど、それまでも打ち合わせでは坂本さんが「この斉藤ってやつはこういうのが得意で……」とかプレゼンしてくれてたんですよ。でもそのときは、名前を呼ばれない。しばらく経ってゴルフの練習場で、打ってるその後ろを浜田さんが1人ずつ見ていくんです。で、突然名前を呼ばれる。背筋がピシって伸びて「やべえ、覚えられた!」って。その瞬間、もう軍門に下ったというか、アメと鞭で(笑)。たくさん番組やっていてディレクターの下々まで名前を覚えるって大変だと思うんですよ。本当にうれしかったです。

――それが神宮のゴルフ練習場っていうのが、またいいですよね(笑)

さりげなく言うんですよ。教えてもらってるのに、もうゴルフのことなんてどうでも良くなりましたもん(笑)。「浜田さんに名前呼ばれたぞ、俺!」って思いながら打ってました。

  • ダウンタウンの松本人志(左)と浜田雅功

■『リンカーン』『ゴッドタン』でお笑いに没頭した30代

そこから『リンカーン』が始まるんですけど、実はTBSとしては、まず浜田さんと『オオカミ少年』で信頼関係を築いてから松本(人志)さんを呼ぶというプランがあったみたいなんです。何しろ『生生生生ダウンタウン』以来、10年以上TBSにダウンタウンは出ていなかったので。それもあって『オオカミ少年』の1年間は、浜田さんに食事会やゴルフに連れて行ってもらって、これまでのダウンタウンの番組はこういう風に作ってたいう話をいろいろ教えてもらったんです。そのときに浜田さんが「松本は玄関は狭いけど、リビングは広いやつやから」っておっしゃったんです。「逆に俺は玄関は広いけど、リビングは狭い」、そういうタイプだと。

それは、松本さんはとっつきにくいけど、1回懐に入ればかわいがってくれるってことなのかなってみんなで解釈しました。それで松本さんにも思い切ってぶつかっていこう!ってディレクター陣で決起集会したの覚えてます。だから浜田さんとの最初の1年間というのは僕にとってはとても思い出深い期間になりました。

――そうした流れで『リンカーン』が始まったんですね。

まだ30歳ぐらいですから、もうなりふりかまってられないっていうか。あんまり当時の記憶がないですよ、必死すぎて。でも、一番最初にダウンタウンさんのコメントを編集してるときに、すごく感動したのを覚えてますね。ずっとテレビで見てたおふたりを自分が編集する。「松本さんのコメント、切っていいんだ」って。本当に変な感覚でした。

でも、『リンカーン』はホントに“戦場”でしたね。30代をほぼ費やしたんで。さまぁ〜ず、雨上がり、キャイ〜ンという錚々たるメンバーもいましたし。そこでお笑い筋肉がムキムキになっちゃって(笑)。その裏で『ゴッドタン』もやってたんでお笑いに没頭した30代でした。

――自分が撮った企画で特に印象深いものは、何ですか?

僕は「リンカーンラジオ」ですかね。あのメンバーを車の中で流れるカーラジオで泣かせるという企画。もともとリンカーンメンバーは何で泣くのか?みたいな企画を持っていったときに、松本さんが「感動モノの映像とかじゃ泣けないと思う」っておっしゃったんです。それでもし泣く可能性があるとしたらって考えてくれたのが、「ドライブしながらだったら感傷的になる時があるかもなあ」って。その一言で、ドライブでみんなそれぞれ車に乗ってて、ラジオから感動する話が流れてくるっていう企画がバババババって膨らんでいったんですよ。それでダウンタウンのおふたりとレギュラーメンバーが感動して、それまで見たことのないウルっとした表情が撮れたっていうのは、良かったなあと思いますね。

――じゃあ当初はカーラジオっていう企画じゃなかったんですね。

企画の誕生の瞬間がスゴいんですよ! 松本さんや浜田さんの一言で企画がパッと見える瞬間にいっぱい立ち会いました。それを実際に撮ってみたら、確かにめちゃくちゃ面白い。「フレンドリーダウンタウン」とかもそうでした。当時はダウンタウンと若手芸人の関係性がそんなにない時代だったから、ロケをして仲良くなろうみたいな企画を持っていったら、松本さんが「タメ口をきいて敬語になったらビンタとかは?」って。その一言で「あー!」って企画ができあがっていく。

この間、さらば青春の光の森田(哲矢)くんがNHKの『あたらしいテレビ』で「松っちゃん、平場バリ強い」って言ってましたけど、平場だけじゃなくホントに打ち合わせからスゴすぎて! 自分が何をやったかというよりも企画の誕生の瞬間、ダウンタウンの脳みそに触れてる感覚に毎週痺れてたという感じですかね。