東京都心を1周するJR山手線には29の駅がある。ただし、ご存じの通り、山手線の正式な区間は品川~田端間の西側だ。この中で目黒駅と目白駅の駅名が似ている。その間には7つの駅があり、両駅の所要時間は約20分。うっかり待ち合わせを間違えると面倒だ。じつはこの2つの駅名には共通点がある。
目黒駅と目白駅は同じ日に開業した。1885(明治18)年3月16日。日本鉄道が品川~赤羽間を開業した半月後だ。当時は山手線ではなく品川線と呼ばれた。品川線は日本鉄道の奥州線と官営鉄道を結ぶ目的で作られた。奥州線は後に東北本線となる。当時はまだ上野~熊谷間で営業していた。品川線はおもに北関東の生糸や繊維製品を横浜港へ運ぶ目的だったという。
同日に開業した目黒駅と目白駅は双子の兄弟ともいえる。開業時は旅客営業だけだった点も似ている。駅名の由来も似ていて、付近の名所から。目黒駅付近は目黒不動がある縁で、目黒川、目黒筋など目黒と呼ばれる場所が多かった。目白駅付近も目白不動がある縁で、周辺地域が目白台と呼ばれていた。当時の品川線沿線は農村地帯であり、お不動様の周辺に集落があったから駅ができたと考えられる。
ところで、目黒不動・目白不動とは何かというと、それぞれ不動明王を祀る寺院だ。目黒不動は瀧泉寺、目白不動は金乗院。瀧泉寺の不動明王像の目は黒、金乗院の不動明王像の目は白。この色は「五行思想」の五色に由来する。五行思想は中国に由来する思想で、すべての物は火・水・木・金・土で作られるという。それぞれの要素を色に当てはめ、赤・黒・青・白・黄を象徴とした。
伝説によると、江戸時代に徳川家光が五行思想に倣い、5つの不動尊を定めて天下太平を祈願したという。ただし、これには異説もある。もともと目黒・目白・目赤の3不動があり、明治末期頃から目青不動と目黄不動が加わって「五色不動」と呼ばれるようになったらしい。
経緯はともかくとして、駅名となった「目黒」と「目白」の他に「目赤」「目青」「目黄」があるとわかった。しかしこの3つは駅名にならなかった。山手線に5色がそろえばすっきりするけれど、残念ながら残りの3不動は山手線沿線にはない。
目赤不動は文京区本駒込の南谷寺にある。最寄り駅は東京メトロ南北線の本駒込駅と都営地下鉄三田線の白山駅。本駒込駅は所在地から。白山駅は白山神社にちなんだ所在地から名づけられた。目赤不動が所在地名にまで影響していなかった。
目青不動は世田谷区太子堂の最勝寺にある。最寄り駅は東急田園都市線・世田谷線の三軒茶屋駅。目青は地名にならず、駅名も付近の地名の三軒茶屋が採用された。田園都市線の駅は太子堂と三軒茶屋の境界にある。世田谷線の駅の所在地は太子堂だ。
目黄不動は諸説あって、現在は台東区三ノ輪の永久寺と江戸川区平井の最勝寺とされている。永久寺の最寄り駅は東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅、最勝寺の最寄り駅はJR総武本線の平井駅。どちらも目黄駅にはならず、地名が由来の駅名となった。
駅名の選定は「わかりやすさ」だから、付近の地名や通称にちなんでいる。目黒不動と目白不動は地名に影響を与え、駅名になった。残り3色は地名にならず、したがって駅名にも採用されなかった。それだけの話だけど、ちょっと寂しい。すべて駅名になっていたら「五色駅めぐりフリーきっぷ」なんて縁起物のきっぷが作れたかもしれない。