沖縄本島から南西に約430km、そこには大小19の島々からなる八重山諸島がある。東京の寒さが佳境を迎える2月初旬、竹富町にある竹富島を訪れた。

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    ユーグレナ石垣港離島ターミナル、竹富港のかりゆし館などに券売機を設置。かりゆし館で購入するとオリジナルステッカーをもらえる

竹富島では2019年9月より、観光客が任意で支払う「入島料」(300円)の制度を導入した。集まった協力金は自然環境の保全活動費などに充てていく方針だ。入島券(通称: うつぐみチケット)は、石垣島の「ユーグレナ石垣港離島ターミナル」、竹富港「かりゆし館」に設置されている券売機、および竹富島内各所にて販売中。筆者は竹富港で購入したが、オリジナルステッカーをいただけた。

島の保全活動

午前中、一般財団法人 竹富島地域自然資産財団の担当者に話を聞いた。財団で環境保全・トラスト事業の常務理事を務める水野景敬氏は、観光客が任意で支払う入島料(300円)について「自然環境の保全」「暮らしの保全」「集落と文化の保全」など24の保全活動に使っていると説明する。

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    一般財団法人 竹富島地域自然資産財団の水野景敬氏。同財団は100年後の竹富島が"今のまま"であるために「環境保全」を柱とした活動を行っている

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    3項目24活動の「アピール24」(竹富島地域自然資産財団のホームページから)

竹富島はここ最近、企業によるリゾート開発にも頭を悩まされている。地元住民の同意を得ず、一方的に進められるケースが後を絶たないそうだ。「そこで皆さまからいただく入島料の1/3を土地の買い戻しに活用しています」と水野氏。もちろん100円では足りない。財団では全国の竹富島応援者を対象に、自然環境トラスト活動などを応援する寄付も募っている(詳細は財団の公式ホームページを参照)。

財団の事務所では、ユニークな取り組みも行っていた。竹富町自然観光課 地域おこし協力隊の玉木大悟氏は「海岸の清掃で回収した(ペットボトルのキャップなどの)海洋プラスチックごみを裁断し、溶かして型に流し込み、ウミガメのキーホルダーを作っています。これをカプセルトイにして入島料の返礼品として提供しているんです。なかなかの人気で、1人で何回も入島料を支払ってくれる人もいらっしゃるんですよ」と笑顔を見せる。キャップ2~3個でキーホルダーが1個できるそうだ。

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    竹富町自然観光課 地域おこし協力隊の玉木大悟氏

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    集まったプラスチックごみを270度の高温で溶かして型に流し込む

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    これが型

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    こんなウミガメのキーホルダーが完成する

そして午後、財団の水野氏に改めて集落内を案内してもらった。早速、見えてきたのは見事な巨木。これは集落のはじまりに設置されている"スンマシャー"と呼ばれるもので、病魔や凶事が集落に侵入しないようにしているのだという。

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    病魔や凶事を食い止めるスンマシャー

次の話題は屋根瓦。「古い瓦は手作りのもの。台風対策のため、瓦の隙間には山盛りの漆喰を乗せます。見た目はボコボコしてます。一方で、新しい瓦はセメントで接着できるため漆喰は少量で済みます。瓦の赤い面積が広いため、見栄えも良いんです」と水野氏。続けて「でも古瓦の良いところは風化し、コケが生えるところ。吸水性があるので雨を吸い、晴れると水が揮発して家の中が涼しくなるんです。新しいプレス瓦のほうは植木鉢と同じなので、雨は染みこみません。伝統的な保存物件とは、相反する構造なんですよね」と解説する。

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    フーヤ(母屋)とトーラ(台所棟)からなる、伝統的な分棟型の住宅。左手のトーラには古い瓦、右手のフーヤには新しい瓦を使っている

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    町並みを明るくする道端のハイビスカス

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    庭にパパイアの木が自生している家も珍しくなかった

竹富島のシーサーは、基本的に漆喰製だという。「左官職人が屋根を作るとき、屋敷が末永く安全でありますように、という願いを込めて作っています。シーサーは家の魔除け、火伏(ひぶせ)の役目。大昔、ここの集落は茅葺きの家ばかりでしたが、火事を防ぐために、皆さん瓦屋根に作り変えるようになった。そこで『この家は防火できていますよ』というシンボルとして、やがてシーサーを乗せることが流行ったんです」。シーサーのモチーフはライオンだけれど、細かい表情までは表現できないので、集落には犬みたいなシーサーがたくさんいますね、と笑った。

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    こちらは竹富町で初めて国の重要文化財に指定された旧与那国家住宅(1913年頃の建築)。古瓦ながらもシーサーは乗っていないため、シーサーブームが訪れる前の建築と思われる

竹富島の伝承では、島造りの神シンミンガナシが竹富島を造り、山造りの神であるオモト神と協力して石垣島を造り、さらに八重山の島々を造ったとされている。さて神様の道と呼ばれる通り(ナビンドー)まで来たとき、向こうから大きな水牛車が観光客を乗せて歩いてきた。思わず「ガンバレー」と声をかける。

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    大きなワゴンを引く水牛。表情も勇ましい

ところで水牛車って、どうやって運転するのだろう? ハンドルもムチも見当たらないけれど……。そんな素朴な質問をぶつけると、水野氏からは「運転しません。人は『止まって』とか『ここでおしっこして』とか、簡単な指図しか出さないんですよ」という意外な答えが返ってきた。どういうことだろう? どこで曲がって、どこで真っすぐ行くのか、指示が出せない? ということは、すべては水牛任せの運任せ? こちらが目を丸くしていると「まだ水牛が幼いうちに、お散歩コースを覚えさせてしまうんですよ」と教えてくれた。へぇぇ、知らないことばかりだ。

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    そうこうしているうちに、ルートを勉強中の子牛が通り過ぎていった

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    まだ華奢な身体つきだ

昨日、コンドイ浜では神様を迎える古謡を聞いた。島内最大の神事「種子取祭」では、集団が道を歩きながら高らかに謡い、各家庭に幸せを運んでいく行事も行われるそうだ。そこで、その「道唄」から一節を披露してもらった。

...ハイエー ちーちぬーにぬー たにどぅーるー...
...アーガール ピャーシーユ ムーキーチャール ピャーシ...

「一晩中の夜通しで、皆さん声が枯れるまで謡いながら家々を回ります」と水野氏。その華やかなりし宴の夜を想像する。

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    道唄の一節(この歌詞カードは竹富公民館 世乞い唄を守る会によるもの)

最後に、旧与那国家住宅も見学。通常見学は外観のみだが、今回は特別に中にも入らせてもらった。

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    最も格の高い部屋、一番座。来客者を招く応接間であり、神事もここで行う

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    この地域の伝統的な間取りになっている

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    屋根の庇(ひさし)と青い空

今回の滞在では、町の歴史、祭りのこと、集落の暮らし、風水的なことなど、興味深いことがたくさん聞けた。聞けば聞くほど、ここ竹富島には独自の文化が花開き、先祖代々、それを大切に守ってきたことが分かった。町では観光客を受け入れつつも、竹富島が100年後も"今のまま"であるために、これからも伝統を受け継いでいこうとしている。個人的にも是非、また訪れたいと思った。

取材協力: 竹富町