日本美術展史上に輝く一大イベント

日本は世界有数の「美術展大国」だ。イギリスの「アート・ニュースペーパー」が公表した2012年の「世界で最も人気のある展覧会・美術展」で、世界1位となったのが東京都立美術館で開催された「マウリッツハイス美術館展~オランダ・フランドル絵画の至宝」で、フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」(別名「青いターバンの少女」)を目玉とした美術展にはおよそ75万人もの人が訪れた。2013年も「ラファエロ展」など2つの美術展がトップ10入りし、2014年も「日本国宝展」が9位にランクされているなど、世界屈指の動員数を誇っている。

海外からやってくる美術品も名作ぞろいで、1964年には「ミロのヴィーナス」が来日して175万人が殺到し、1974年にはレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」が150万人もの人々を集めたが、これらをはるかに超えた入場者数を記録したのが、1965年の「ツタンカーメン展」(東京・京都・福岡)。目玉となった「黄金のマスク」を一目見ようと、実に295万人もの人が訪れ、エジプト王朝の栄華を示す黄金の輝きに魅了されたのだった。

「わが肌は純金である」

古代エジプト第18王朝のファラオ(紀元前1333年頃 ~ 1324年頃)であるツタンカーメン(正式名:トゥト・アンク・アメン "Tut-ankh-amen")の墓は、1922年11月4日に、イギリスのカーナヴォン卿とその支援を受けた考古学者ハワード・カーターにより発見された。

ツタンカーメンの墓は、盗掘をほとんど受けなかった唯一のファラオの墓で、遺体の頭部を覆うように直接置かれていたのが黄金のマスクだった。重さは11kg、23金という純度の高い金で作られ、表面には銀を混ぜた18金~21金がごく薄く塗られている黄金のマスクには、神の使者であるハゲワシや守り神であるコブラなどの飾りが付いた頭巾や胸飾りが施され、カーネリアンと言う赤い水晶の一種や瑠璃色に輝くラピスラズリなどが、金の眩さを一層引き立てている。

ツタンカーメンの黄金のマスク(写真提供:旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル)

「まずはじめにラー(太陽神)は言った。わが肌は純金である」。

エジプト神話に登場するラーの体は金でできているとされ、その息子であるファラオもまた、死が訪れるとその体は金に変わるとされてきた。こうしたことから、ファラオたちは、死後の旅立ちに際して、自らの体を金で覆い尽くす。錆びることのない金は、輝き続ける太陽と同じく永遠の象徴であり、ファラオもまた永遠に生き続けることを願ったのだ。

墓泥棒は専門職

ツタンカーメンの墓に収められていた金の総量は、発掘当時のエジプトの金保有量の2倍に相当したというが、他のファラオについては、黄金マスクはもちろんのこと、金で作られた副葬品もほとんど残されていない。王墓に収められていた財宝は、墓泥棒たちによって、根こそぎ持ち去られてしまったのだ。

墓泥棒はピラミッド建設に従事した労働者やその家族など、墓の情報に接することができた限られた人による「世襲の専門職」だったという。厳重に秘密が管理されていた墓を探し当てて、財宝にたどり着くためには、特別な知識とノウハウが必要だったのだ。

1881年、エジプト考古局はアブドル・ラスールという男を逮捕した。骨董市で非常に価値の高い王や王族の副葬品が出回っていることを掴んだエジプト考古局は、売主がラスールで、秘かに未盗掘の墓を発見して、副葬品を少しずつ売却していたことを突き止める。ラスールの一族は、紀元前13世紀頃から墓泥棒を家業としていて、盗掘現場の「実況見分」を進めて行く過程で、未知の墓が次々に出てきて、エジプト考古局の担当者を驚愕させる。墓に財宝はほとんどなかったが、ラスールは考古学の発展に寄与したとして、処罰を免れたばかりか、賞金までもらったという。

墓泥棒によって徹底的に荒らされてきたエジプトの王墓の中で、ツタンカーメンの墓が盗掘を免れたのは、実権を固める間もなく18~19歳ほどで死去したため、歴史に埋もれた存在だったからだという。ツタンカーメンの黄金のマスクは、「青年王」の面影を感じさせるが、強大な権力を持っていた他のファラオたちの黄金のマスクは、そして財宝はどれほど豪華だったのか想像もつかない。

しかし、盗掘された金の財宝の多くは、溶かされてしまった。金の融点は1064℃で、鉄(1535℃)などに比べて低く、溶かして再加工することが容易だった。こうしたことから墓泥棒たちは、足が付かないようにと、盗み出した金の財宝の多くを早々に溶かしてしまったと考えられている。

黄金のマスクの価値は200兆円とも300兆円ともいわれるが、金の価格を1g=5000円前後と考えると、溶かした場合の価値は5000万円程度に過ぎない。墓泥棒が現在の時代に生きていたとすれば、溶かしたりせずに世界中で展覧会を開くことで、巨額のお金を手にしたことだろう。「専門職」だった墓泥棒たちは、大きなビジネスチャンスを潰してしまったというわけだ。  

おひげが取れた

2012年に開かれた「ツタンカーメン展~黄金の秘宝と少年王の真実」は、黄金のマスクが来日しなかったにもかかわらず大盛況となり、入場者数は208万人と歴代2位を記録した。もし、黄金のマスクが来日していたら、空前の入場者数を記録したに違いないが、現在は門外不出でエジプトに行く以外に見ることはできない。

その黄金のマスクを巡っては、今年1月に驚きのニュースが世界を駆け巡った。カイロのエジプト考古学博物館に展示されていた黄金のマスクのひげが作業中に外れ、慌てた職員が接着剤で付けたものの、作業がいい加減で接着剤がはみ出したまま固まってしまったという。現在、新たな修復方法が検討されているが、博物館の目玉であるだけに展示は続行されているとのことだった。

墓泥棒から奇跡的に何を逃れたツタンカーメンの王墓。深い地中の中から地上に現れた黄金のマスクは、3000年を超える歴史を経てた今もなお、変わらぬ輝きで世界中の人々を魅了しているのである。

<著者プロフィール>
玉手 義朗
1958年生まれ。外資系金融機関での外為ディーラーを経て、現在はテレビ局勤務。著書に『円相場の内幕』(集英社)、『経済入門』(ダイヤモンド社)がある。