"山ガール"なんて言葉が誕生するほどの登山ブーム。登山者にとって「一度は登ってみたい」と思わせる山が富士山であり、環境省のデータによると、平成22年度の登山者数は約32万人となり、過去最高になったそうです。古来より「霊峰」と呼ばれ、多くの人々の信仰を集めていることから、今も昔も人々を惹きつける「何か」があるのかもしれません。実は、私も富士山に惹きつけられた1人。ただし山そのものではなく、雄大な富士山をバックに走る「旧型国電」に。

ということで、今回の写真は今から32年前の御殿場線です。

雪が残る富士山をバックに73形4連の国府津行が行く。薄く写っている富士山がおわかりいただけるだろうか。御殿場線東山北 - 山北にて。1979(昭和54)年4月22日

上の列車の後追い。最後尾は全金属試作改造のクモハ73902。御殿場線東山北 - 山北にて。1979(昭和54)年4月22日

かつて、東海道本線の一区間だった御殿場線。明治時代に箱根峠を迂回するルートで建設されたこの区間(国府津 - 御殿場 - 沼津)は、急勾配が連続する難所となっていました。この難所を避けるため1934(昭和9)年、熱海 - 函南間に丹那トンネルを開通させ、東海道本線を海沿いのルートに変更したことで生まれたのが御殿場線です。

その後1968(昭和43)年に電化され、首都圏を追い出された旧型国電にとって第2の活躍の場となっていました。そんな御殿場線には撮影当時、旧型国電の普通列車の他に懐かしい特急や急行も走っていたのです。

富士山をバックに行く懐かしの名車小田急3000形SEの特急「あさぎり」。当時、新宿から小田急線経由で御殿場を結んでいたが、1991(平成3)年3月に定期運用が終了。全車廃車となった。現在、1編成が静態保存されている。御殿場線東山北 - 山北にて。1979(昭和54)年4月22日

165系3連の急行「御殿場」。東京と御殿場を結んだ「御殿場」は、東京 - 国府津間は急行「東海」に併結、線内は3両での運転だった。御殿場線東山北 - 山北にて。1979(昭和54)年4月22日

旧型国電73形狙いの合間に、特急「あさぎり」や急行「御殿場」をカラーで撮影していました。今となっては、貴重な写真です。しかし、肝心の73形のカラー写真はピンボケという情けない結果でした。

御殿場線オールスター揃い踏み。新入する73形普通列車、発車待ちの特急「あさぎり」、引き上げ中の急行「御殿場」。御殿場線御殿場にて。1979(昭和54)年4月22日

富士山をバックに撮影したポイントを行く73形8連の国府津行。コンクリートの法面の下は東名高速。御殿場線東山北 - 山北にて。1979(昭和54)年4月22日

この日は、天気に恵まれ朝から晴天。午後は雲が出て、富士山をバックに撮影出来ないと予想していましたが、その気配がない。そこで欲を出して、急遽富士山が狙える他の撮影ポイントへ移動しました。その写真は、次回紹介します。

当時の許可を得て撮影しています。
松尾かずと
1962年東京都生まれ
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現: 目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う撮り鉄に。特に、73形が大好きで南武線や鶴見線の撮影に足繁く通った。