鉄道を背景や舞台に登場させる映画は多い。その意味で『萌の朱雀』は異色だ。なんと、物語の背景に登場する鉄道は未成線。建設が中断され、開通しなかった鉄道である。映像には鉄道車両もレールも出てこない。ただ、ぽっかりと空いたトンネルがいくつか出てくる。そこに山村の暮らしの哀愁が重なる。舞台は奈良県の西吉野村(現・五條市)。未成線は実際に計画、着工された五新線である。

『萌の朱雀』は西吉野を舞台に物語が展開される(写真はイメージ)

『萌の朱雀』は1997年に制作、公開された映画。説明要素のない難解な作品ではあるけれど、映像美に魅せられた根強いファンも多く、ロケ地訪問のブログも多い。当時、国内では大きく喧伝されなかったようだ。しかし海外では高く評価された。第26回ロッテルダム国際映画祭で国際批評家連盟賞を受け、監督の河瀬直美氏は第50回カンヌ国際映画祭で新人監督賞(カメラ・ドール)を史上最年少で受賞している。

主演の尾野真千子も、同作品でシンガポール国際映画祭の主演女優賞を獲得している。NHK朝の連続ドラマ小説『カーネーション』の好演で人気が高まったとき、デビュー作である同作品も注目された。セーラー服姿のショートカットが初々しい。

山村の暮らしと少女の初恋、そして……

奈良県の山村に住む5人家族の暮らしを淡々と描いている。構成は夫(國村隼)と妻(神村泰代)、娘(尾野真千子)、夫の老母(和泉幸子)、夫の姉の息子(柴田浩太郎)だ。「エイちゃん」と呼ばれる「夫の姉の息子」の存在がわかりにくいけれど、一家が墓参りを兼ねたピクニックに出かける会話の中で、夫の姉が勝手気ままな人だと語られる。

一家は農家のようだ。しかし夫は肉体労働に従事している様子。泥だらけ汗だらけで帰宅する。そしてときどき子どもたちを連れてトンネルを見に行く。タテに長いタマゴ型の開口部から、鉄道のトンネルとわかる。そして村人たちの集まりで、計画されていた鉄道路線が工事半ばで休止になったと落胆する。

映画情報サイトなどを読むと、登場人物の家族構成や、一家が林業で生計を立て、夫は鉄道路線建設現場で働いていたことなどが説明されている。夫が行方不明になった理由も、鉄道建設が休止され、希望を失ったからだという。しかし、こうした内容については、劇中では説明されない。内容をきちんと理解しようと思ったら、映画サイトの説明や監督が記した小説を読んだほうが良さそうだ。

ただし、そんなに物語や背景を追わなくても、日本の里山の美しい風景には懐かしさを感じるし、一家の暮らしをのぞき見るような手法も印象的だ。風景の映像美と、その風景に溶け込み、まるで兄妹のように育っていく「エイちゃん」と「みちる」の姿に憧憬を感じた。絵画を見る感覚で楽しむ芸術作品だ。その意味で玄人向けかもしれない。

もっとも、同作品はドキュメンタリー調の文芸作品であって、細かい説明などなくてもいい。鉄道が来なかった村で離散する家族の悲哀……、と紹介するサイトが多いけれど、最後まで見れば、「みちる」の初恋と揺れ動く心を描いた物語とわかる。たしかに悲しい場面もあるけれど、登場人物それぞれに未来がある。人が生きていく強さも感じ取れた。

物語に登場する「五新線」とは

劇中、村人たちが「五新鉄道」や「坂本線」の廃止について会合を持つシーンがある。「いま頃になって」「あそこまでつくったのにもったいない」「子供たちの通学に困る」「このままじゃ村が寂れる」「こんな不便なところじゃ嫁も来ない」「わしらが生きてる間に列車は来ない」などのセリフから、村人たちにとって、鉄道への期待の大きさと建設休止の落胆がわかる。過疎が進む村にとって、鉄道がどれほど大切な存在か思い知らされる。

5分おきに電車が来る都会に住んでいると、鉄道のありがたさに鈍感になってしまう。そんな自分を反省したり、ローカル線の存廃問題を都市の人間が机上で決めるなんて良くないなと思ったりする。鉄道ファンならではの感想もあるだろう。

五新線の位置(略図)。長大な路線計画だった

さて、トンネルだけ掘って休止された「五新鉄道」とは、実際に計画され、建設中止となった鉄道路線だ。起点は奈良県にある和歌山線の五条駅、終点は和歌山県にある紀勢本線の新宮駅。両駅の頭文字を取って「五新線」となる予定だった。この路線は五条駅から阪本までを先行開業する予定だったため、この区間を「阪本線」ともいう。

「五新線」は吉野杉の輸送を目的としていた。着工は1939(昭和14)年。しかしルート選定でもめ、さらに戦争の影響もあって、工事は進まなかった。戦後に工事が再開されたものの、モータリゼーションの影響で、沿線の人々は鉄道派とバス派で二分されてしまう。その様子は劇中のセリフにも出てくる。

結果的に、国鉄の累積赤字問題が浮上したことで、全国規模で採算が取れない路線の建設はストップ。「五新線」の建設も止まり、路盤とトンネルだけが残され、鉄道用に整備された路盤はバス専用道に転用された。劇中に出てくるバス停「恋尾」付近も専用道とのこと。

劇中で登場する国鉄バスはJR西日本のバスを国鉄風にしている。ただし、すでにこの路線から西日本JRバスは撤退しており、現在は奈良交通が運行しているという。

映画『萌の朱雀』に登場する鉄道風景

賀名生(あのう)バス停 奈良交通のバス専用道にある。劇中では「恋尾」バス停
トンネル 五新線で使う予定だったトンネル群。城戸トンネルなどが使われたようだ。単線用の長大トンネルのため、一般道路には転用できなかった。バス専用道として使われた以外は閉鎖されているという