男の浮気と女の浮気、どちらが罪が重いか。罪の重さは同じだろうが、ポジティブなのはどうも男のほうであるようだ。以前、こんなことを言っている男がいて、口から酒が垂れたことがある。

「僕の彼女、3回浮気したんですよ。でも、本当はそんなコトする子じゃないんです」

3回もしたなら、間違いなく「そういうコトする子」である。しかしその男は「強引に男に迫られた」「かまってあげられなかった」などと、女の浮気に理由をつけてやっていたようである。おそらくその女は、髪の毛サラサラの色白の女だったのだろうと勝手に想像しているが、どうだろう。

男に3回も浮気された女が「でも彼は本当はそんなコトする人じゃないの」などと言う女は、まずいない。つまり男の頭の中には「女は一途なもの」、女の頭の中には「男は浮気するもの」というイメージが植わっているのだ。

さてここに、ものすごい夫婦がいる。仲むつまじいメロメロカップルで、息子1人に娘1人の4人家族。しかし、なんと子どもたちは、どちらもお互いが不倫してできた子なのである。『あすなろ坂』は、いきなり大変な夫婦問題から話が始まるのだ。

時は幕末、見合いというか政略結婚というか、会ったその日に祝言というような状況で、芙美と武史さんは夫婦になる。しかし、子どものころからやんちゃに遊んでいた幼なじみで乳母の息子、新吾のことを好きなのだと気づいた芙美は、武史さんとの行為を拒んでおいて、数日後、新吾と大いに盛り上がっていたしてしまうのだ。

少女漫画界では「愛は一生に一度」という基本的通念がある。芙美は、武史さんに愛されて大事にされながらも「新吾が好き」などととぼけたことを言って、武史さんを悲しませている。武史さんも性欲を完全に理性でコントロールしてらっしゃるようで、「芙美が振り向いてくれるまで待つ」などと呑気なことを言って見守っている。そんな中での芙美の懐妊だったのである。ちゃぶ台をひっくり返してもいいくらいの裏切りだ。

芙美の腹の子は、武史さんが夢精でもしたのでなければ間違いなくよその子である。大問題だ。……にもかかわらず、武史さんは「こんなすばらしい女性は、ほかにはいない」とか言っちゃって、芙美も息子も大事に養育してくれるのである。でもまあ、さすがにストレスがたまって、酒飲んでつい女中に手を出したら、これまた一発で懐妊しちゃってできたのが娘というわけだ。

こうして複雑な家族ができあがったが、芙美はいつしか武史さんの深い愛情に気がつく。ここが激しく女の萌えである。「一途にほかの男を思う女を、必死に見守っているうちに振り向いてもらえる大人しくて辛抱強い男」という図だ。『ベルサイユのばら』のアンドレとか、『輝夜姫』のミラーがそうだ。

自分の嫁であるにも関わらず、ほかの男の子どもを孕んだ女を懲りずに愛し続ける男……普通に考えたら、ちょっと脳細胞死んでるか、自分もいい加減かのどちらかでしょう。しかし男の精神や脳は健康で、「どんな障害も乗り越えるほど、その女が好き」なところが萌えなのだ。通常、相手が自分を好きだという認識があるからこそ、恋が発展する。そりゃそうだ。人間、誰でも自分が一番かわいいのだから。しかし「ほかの男が好き」とかほざいてる女を好きだということは、間違いなく「自分の利益を差し置いて、自分の中身を好きだと思ってくれている」ということなのだ。女はこういう熱い情熱が欲しい。自分の利益を顧みず、という部分では、女性向け漫画のセックスシーンで、男がやたらとサービスしてくれるのと同じ論理である。

というわけで、女を落としたい男子よ。すでに彼氏のいる女というのは、ものすごい穴場である。ほかの男から女を奪った男の話をポロポロ聞いたことがあるが、「それでもいいんだ、俺はお前が好きなんだよ」というアプローチは、女の脳には数十倍の情熱を持って届くのである。
<つづく>