やはり話題の作品を取り上げると、アクセス数だのリンク数だのが格段に増えるので、「よーし、今回は大奥にしちゃおっかなー」と思い、いろいろ調べているうちに、かなりハマりまってしまった。よしながふみに。彼女の作品は、今まで何となく読んだことがあったのだが、しっかりその気になったのは今回が初めてだ。

基本的にボーイズラブ系がだめなタチなので、『西洋骨董洋菓子店』は最初の数ページで「うっ……」と思い、あまり進まなかったのだ。しかしだな、『ジェラールとジャック』を読んで(いきなり激しい濡れ場が始まるので、かなりがんばる必要があったが)、「ああBLにもこんな作品があったのか」と感心してしまった。もちろん今は『西洋骨董洋菓子店』も全巻制覇。堪能した。

ティーンズラブにしろレディスエロコミにしろ、多くの「セックス」をメインで扱う作品は、底が浅いことが多い。ハッキリ言って陳腐なのである。重厚なムードを漂わせようとして失敗してたりさ。でもなかには、キラリと光る作品を描く新人がいて、ジョージ朝倉のように、すっかり大御所の貫禄さえ出す作家がいる。要は、なにを描こうが、どこに所属しようが、才能のある人は必ず芽が出るのだ。ベッタベタの少女マンガを描いていたって、そのカテゴリだけでは、その作家のキャパシティの大きさはわからないのだな。

となると気になるのが、よしながふみが、どんな意志を持ってBLを描いていたかだ。作家のなかには、もちろんその世界が大好きだから描く、という人もいる。だけど、『大奥』にしろ『ジェラールとジャック』にしろ、豊富な知識を持って描かれたことがよくわかる。で、なんでBLである必要があったのかな? と思ってしまうのである。偏見かな? 偏見か。いや、なんというか、濃厚なBLを描きながら、読者のニーズをかなり意識していたんじゃないのかな、と思うわけである。いつか機会があったら聞いてみたい。

漫画の『大奥』は、江戸時代、文献には全然残ってないけど、実は男子に赤面疱瘡という病気が流行って、ボロボロと死んでゆき、女性の1/4まで比率が減ってしまった、という話だ。男子が育たないので、そのうち女子が家督を継ぐようになり、将軍もまた女が継ぐようになる。そうなると、大奥にいて将軍に仕える3,000人(実際はもっと少ないが)もの愛人候補は、将軍が女なのだから、当然男だ。

女一人に、3,000人の男。面白いのは、そういうシステムの中で、幸せな人間が、だーれもいないことだ。例えば、男一人に女3,000人だったら、まあ多分、男は幸せだ。飽きたらほかの若いのに代えればいい。たくさんの女を抱えることは、男の権力の象徴でもあるのだから。

しかし、女が男をゴロゴロ従えたところで、毎日セックスする相手を代えるのも面倒くさいし、いいことがあまりない。女は基本的に生涯のソウルメイトが一人いればいいという生き物だからだ。子どもを作ろうとしたとき、孕むのは自分だからな。

で、大奥にいる男たちは、なんだか噂好きで意地悪好きで、昼ドラなんかでよく見かける女性キャラみたいなのである。これもまた興味深い。人間、やることがなくなると、いじめだのしょうもない噂話だのという低俗な事柄に渾身の力を注ぐようになるらしい。……っていうか『大奥』はフィクションだけどさ。でも、仕事の少ない職場ではいじめが多発するらしいし、「そうなんだろうな」と思う。

『大奥』を描いているのが、BLも描く作家だというのが、とても興味深い。だってBLは、女の性に対するゆがみが形になったものだから。つまりもともと、この作者には、ジェンダーを論じる種があったんじゃないかと思うのだ。

編集者と企画会議をして、「いっそBLを正当化する環境を設定してはどうでしょうか」とか、「江戸の男人口は女の4倍あり、そのために遊郭のシステムが生まれたらしいですね、じゃあ女の比率が高かったらどうなのでしょうか」とか話し合われたんだろうか。どんな発想でこの物語が生まれたのかが、知りたくってもう一日中モゾモゾしてるのであった。
<つづく>