家族が認知症になったらどうしよう。そんな漠然とした不安が、我が家では一昨年の春に現実になりました。診断を受け入れられないのか“うつ状態”になった父、心配がすぎて父を家に閉じ込めようとする母。遠方に暮らす私にできることはないかと調べ始めましたが、出てくるのは症状が進んだ場合の話ばかり。
そもそも、生活に困るほどの症状がない認知症初期の人に対する情報は、あまり表に出てこない。少しの工夫さえあれば、今までどおり暮らすことができるはずなのに。少しずつ調べていくうちに、私が持っていた認知症のイメージは古いこと。そして、認知症の人が地域で暮らしやすくなるような動きが活発であることを知りました。
「でも本当に?」……少し疑いたくなるぐらい、今までの認知症のイメージが変わる、認知症の新常識。この連載では、“認知症の解像度”を上げてくれる場所や人を訪ねて、認知症の現実に向き合います。
■マニュアル通りでないケアで注目される「あおいけあ」
「要介護認定っていつ受けるもの?」というのは、家族が“認知症デビュー”したあとの悩みあるある。要介護認定を受けることでデイサービスなどを利用することができるけれど、要介護認定されると本人が傷つくことは明白だし(どんな分野でも弱者扱いされたい人などいない)、デイサービスといえば手遊びしたり歌を歌ったりする場所というイメージも強く、家族としてもそんな子ども扱いをされる父親など見たくはない。一方で、家に閉じこもりなのもストレスになるし……。
そんな思いでいろいろ調べているなかで知ったのが、「小規模多機能型居宅介護」という形で運営されている「あおいけあ」。マニュアル通りでないケアが注目を浴びていて、日本全国だけでなく、世界各国から視察の方が訪れるほど画期的な場所なのです。代表の加藤さんに、今知りたいあれこれをお聞きしました。
神奈川県藤沢あおいけあ
2001年に代表の加藤忠相さんが設立した介護事業所。「あおいけあ」が運営する小規模多機能型居宅介護とグループホームは、利用者の個性を尊重し、地域とのつながりにも積極的に取り組み、利用者も家族も地域の人々も安心して過ごせる場所になっている。その取り組みは世界中から注目を浴びている。
■認知症=徘徊のイメージが覆る!? ここでは「徘徊は起こらない」
認知症にいろいろな症状があるなか、家族が何よりも不安なのが「徘徊」です。それ以外のことは家の中で対処できそうだけれど、知らないうちに家を出ていかれてしまってはどうしようもない。そのまま行方不明になるのではないかという不安は、認知症だと診断されたその日から生まれる。そこでいきなり徘徊について伺ってみると、加藤さんいわく、「安心感があれば徘徊はしない」。
――「あおいけあ」の敷地には壁がなく開放的で、思い描く介護施設のイメージとは違います。過ごしやすそうだなと思う反面、どうしても徘徊のことが気にかかってしまうのですが。
徘徊というのは、居心地が悪くてやることがないから出ていくんです。「毎日何時に起きなさい」「何時にごはん食べなさい」「じっと5時間座っていてください」と強制される生活をずっと続けてくださいと言われても、できませんよね。
――ストレスで逃げ出したくなるでしょうね。
健康に近い我々でも嫌だなと思うのに、認知症でいろんなことがわからなくなって不安な人にそれをさせようとする発想のほうがおかしい。ここは掃き出し窓だらけだし、玄関は開けっ広げで出入り自由ですけど、徘徊は起こらないです。そもそも、徘徊や興奮暴力やせん妄は認知症の症状じゃないんです。
――認知症の症状としてほぼ現れる中核症状ではなく、心理状態によって起こる可能性がある周辺症状ですよね。認知症の本にはたしかにそう書いてはありますが、一方で、徘徊で行方不明になった方のニュースのインパクトが強くて。ここでは「徘徊は起こらない」と言い切れるんですね。
はい、この場所に慣れている人であれば。鍵を閉めて閉じ込めて、「ここに長時間座っていなさい」と押し込めたことで出ていこうとするのが「徘徊」で、それに抵抗すると「興奮暴力」と言われちゃうんですよ。ここは自分が必要とされている場所だ、この人たちはちゃんと私のことをわかってくれる、私の部屋もちゃんとあるという安心感があれば、別に出ていく必要はないので、徘徊する必要もないですから。
――「小規模多機能型居宅介護」というのはどのような場所ですか?
通うことができて、泊まることもできて、訪問することもできる地域密着型のサービスです。ケアマネージャーもいるので、プランをその場で組み直したりもできます。
――通いの「デイサービス」と、泊まれる「ショートステイ」と、ヘルパーさんの「訪問介護」がひとつになったような場所なんですね。
例えばデイサービスだと、利用日に風邪を引いていたら利用中止になって、家族が会社を休んだりして家で見ることになりますけど、うちには内部にケアマネージャーがいるので、その場でその日のプランを変更して、「今日はお粥を持って訪問しよう」とか、「夜、どうにもならなかったら泊まろう」という選択ができます。利用日じゃない日に「私の昼飯あるかい?」って来ちゃうこともあるし、いつも夕方に迎えにくる息子さんに急に会議が入ったら、夕飯を食べて迎えにくる時間までいてもらうこともできます。
――とても柔軟で、ありがたい場所ですね。でも、デイサービスなどに比べると、メジャーではないイメージです。
小規模多機能型居宅介護が制度化されたのは2006年なんです。僕は25歳だった2001年にグループホームとデイサービスから始めたんですが、これでは全然支えられないなと全国の先輩たちのところをいろいろ見学しました。そのときに、地域の家や商店街のスペースを使って、その地域のおじいちゃんおばあちゃんの面倒を見ている宅老所(※)を見て、自由度が高くていいな、これがやりたいなと思ったんです。ただ、宅老所は介護保険外なので、費用的に厳しかった。それが制度化されて介護保険が適用されたのが小規模多機能型居宅介護で、僕は制度化された翌年から始めました。
※民間独自の福祉サービスを提供している施設のこと。デイホームともいう
――実際に利用者の方が施設で過ごされているところにお邪魔してみて、皆さんとても穏やかで、それぞれが好きに過ごされているのが印象的でした。
10時からレクリエーションで12時からごはん……みたいなスケジュールで動いているわけではまったくなく、ここに来ている間に髪の毛を切りに行く人もいれば、1人暮らしの認知症の方だと病院に行く人もいます。ごはんの時間になると、利用者もスタッフも一緒になってみんなで準備をして食べます。
――同じ敷地内には認知症の方が住むグループホームもありますが、こちらの特徴も教えてください。
まず、「バリアアリー(=日常的な障害物(バリア)を意図的に配置した施設や環境)」になっています。玄関にあえて10センチの段差を作ることで、認知症の方はここで靴を履き替えるんだなとわかる。バリアフリーだと、そのまま裸足で出ていってしまう可能性があるんです。10センチだったら車椅子でも乗り越えられる。
――時間や場所、人の判断が曖昧になる見当識障害は、認知症の初期から現れやすい症状ですもんね。皆さんのお部屋にそれぞれ個性があるのも同じ理由ですか?
皆さん、自分の持ち込み家具なんです。見当識障害(※)がある人が朝起きたときに見慣れない場所だと、毎朝「ここどこ!?」と大パニックを起こす。だからここではご自身の使い慣れた家具を置くことにしています。スタッフがみんな私服で仕事をしているのもそうです。みんな同じ制服を着て、同じ髪型をしていたら、人物の見当識障害で人がわからなくて困ってる人はパニックですよ。
※認知症の中核症状のひとつで、時間や場所など、自分が置かれている状況を正確に認識できなくなる
――たしかに。先ほどお会いしたここに住まわれている方は、加藤さんの名前は覚えていないのに、「どこかで会ったわね」とニコニコお話されていました。
いつもこんな服装のお兄さんとか、「この人は大丈夫。この人はいい人だ」という感情で覚えているんです。だから、ここに安心していられるんですよ。
■「関係が近すぎる家族には言えない」から、個人の生活習慣や趣味嗜好まで把握する
――「あおいけあ」と他の施設の違いはどこだとお考えですか?
僕たちはアセスメント(=利用者の困りごとや身体状況、家族構成などの情報)を細かくとっています。一般的に、アセスメントには「何ができない」みたいな弱点ばかりが書いてある。でもうちの場合は、どこで生まれて、どんな仕事をしてきて、どこを散歩していて、何が趣味で、何に誇りを持っていて、最後は誰とどこでどう過ごしたいかまで書いてあります。多くの場合、困りごとを聞くと家族の困りごとばかりになってしまいますが、うちではケアプランの目標も本人の言葉で書いてあります。生活の中のこだわり、できること、支援してほしいことなど利用者1人1人のプランがあって、うちのスタッフはみんなそれが頭に入っています。
――そもそも本人が何に困っていて、どういう希望を持っているのか本音を聞き出すことに苦労する家族も多いと思います。我が家でも、父に何に困っているのか、どうしてほしいのか聞いてもはぐらかされてばかりで困っています。
家族には言わないですよ。関係が近すぎるんです。子どもから見てもそうでしょう。他人だったらそんなに気にならないことも、それまで尊敬の対象だった親が突然粗相をしてしまうと、どうしていいかわからなくなる。
――たしかに、私たちも現状を受け止めきれていないし、親は子どもに弱みを話すことに抵抗があるでしょうね。考えてみれば当然です。
関係性が変わると情報も変わってきます。体を触れる職業だと意外に話してしまうことがあって、ここではお風呂がそれですね。入浴の時に背中を流してもらいながら話していると「実はうちの息子がね……」とぽろぽろしゃべってくれるんですよ。
――丁寧に関係性を作っていって、それぞれの個性に合ったケアをされているから、皆さん生き生きとされているんですね。
去年までは敷地内で駄菓子屋さんをやっていたんですけど、それは東京で駄菓子屋さんをやっていたおばあちゃんがいたから。去年100歳で亡くなったので、店は閉めました。アセスメントに基づかないで、認知症の方が駄菓子屋さんをやっていたら素敵だからと続けるのは違うかな、というのがあって。
――ケアする側の自己満足になるだけの可能性がありますもんね。ここは食事にもこだわっていると伺いました。
日本食の板前さんがいて、加工品、調味料は使わずに、毎日お出汁を引いて作ってくれるので、皆さんはしっかりとごはんを食べますよ。しっかりタンパク質を摂って、しっかり動いているので、筋力もつきます。うちを知っているメディカルソーシャルワーカーの人は、「ここに3週間、泊まりませんか」と勧めるぐらいです。車椅子だった人も、3週間でだいたい歩けるようになっちゃうので。うちに今いる利用者さんにも、最初はほとんど歩けなかった人もいます。
――病院でも栄養管理はされていると思いますが、一方で、年配の方が入院して寝たきりでいたり、車椅子を利用することで足腰が弱るという話も聞きます。
入院関連障害と言うんですが、病院の食事はカロリーもタンパク質も足りていないし、ずっと寝ていると筋肉が落ちちゃうんですよ。寝たきりや車椅子に1日中座っているような状態で、歩けるようになるとは思いませんよね。
■認知症の人が“地域で役立つ人”になることが前提の地域交流
「認知症になったことを近所に知られなくない」と当たり前のように親が言いだしたときに、想像以上の認知症への偏見に戸惑いました。人との会話や関わりは認知機能の維持には必須。なのに、まずは本人たちが持つ偏見が邪魔をして、住み慣れた地域にいても、精神的な孤立を感じることになってしまう。「地域とつながる」という簡単そうで難しい課題も、「あおいけあ」はクリアしていました。
――「あおいけあ」の特徴に、地域とのつながりというのもあります。日本の高齢化に向けて「地域共生社会」を厚労省は掲げていますが、実現に苦労している自治体も多いように感じます。
うちではまず、壁を壊しました。道路に面したところにどんぐりの木と子どもが木登りできる木を植えたら、子どもたちがどんぐりを拾いながら、ここ通れそうだなと入ってきました。駅へのショートカットになるので、そのうちサラリーマンも通るようになりました。
――だから壁がないんですね(笑)。物理的に開かれた場にした。
建物の一部を書道教室に貸していて、教室が開かれる日は子どもたちやお迎えのお父さんお母さんで交流人口が増えますし、コロナ前は、うちの食堂に地域の方がご飯を食べに来ていいようになっていました。
――自然と交流が生まれる環境になっているんですね。地域の方も交えたイベントもやっていると伺いました。
介護保険は自立支援なので、お年寄りを楽しませるだけじゃだめなんです。なので、地域の方たちに楽しんでもらえるイベントをやっています。その日が楽しかったねというハピネスじゃなくて、“ウェルビーイング”じゃないといけないんです。餅つきをやりましょうとなったら、会議からおじいちゃんおばあちゃんが参加して、「寒い時期だからけんちん汁も出したら?」という意見が通ったら、畑作りから始まって、けんちん汁に入れる野菜やお餅に入れるあずきを栽培して 、それを炊いてあんころ餅にして地域の方に食べてもらったりとか。
――「介護保険は自立支援だから」というのはどういう意味ですか?
介護保険法の第2条第2項に「保険給付は、要介護状態等の軽減又は悪化の防止に資するよう行われる」と書いてある。要するに、「おじいちゃん、おばあちゃんが元気になる。もしくは現状を維持できるサービスを提供しなかったら、その事業所は介護保険のお金をもらえないですよ」って書いてあるんです。でも、面倒を見てあげることが仕事だと思い込んじゃってる人が多い。
――介護施設というのは、面倒を見てくれる場所だと思っていました。
それは今から60年以上前の「老人福祉法」という法律です。2000年から今の「介護保険法」に変わっています。
――なるほど。たしかに認知症に限らず、面倒を見てもらったり、弱者扱いされることにほとんどの人が抵抗ありますよね。
介護や福祉ってすごく大事だけど、“世話になりたい”という人は少ないでしょう。 だから使わなくてはいけなくなったときでも、「社会的に活動している」「みんなから感謝されている」と感じながら生活できることはすごく大事なんです。
――認知症になっても、できることはたくさんありますもんね。それをできないと決めつけて行動を制限することで精神状態まで病んでしまう。
ここではボランテアさんはほぼ募集してないんですけど、ボランティアって日本だと“やってあげる”になっちゃうじゃないですか。でも、ここではおばあちゃんたちがいろんなことができるから、やることを取っちゃうんですよ(笑)。こういう環境で、自然とうちの利用者さんと地域の方が交流して、おばあちゃんたちが茶碗を洗ったり子供の面倒を見ている姿を見たり、子どもたちなんかは「同じことを2回ぐらい言うけど、別に普通のおばあちゃんだな」と思って付き合っているわけです。その子たちが大人になった時に、年取ったらこんな感じだよねって自然に思ってくれるのが認知症ケアであって、その環境を作っていくための装置として小規模多機能やグループホームがあるんです。
■認知症がマイノリティーでなくなる未来に、日本が世界に先駆けてできること
「あおいけあ」のような場所が近くにあったら、どれだけ安心か。しかし、まだまだこのような場所は少ないのが現実です。「あおいけあ」への入所希望者も何十人と待機しているぐらい。このような場所が今後、増える可能性があるのかは最大の関心事です。
――加藤さんから見て、介護施設のあり方は変わっている感覚ですか?
10年前に比べたら。そもそも、これだけ高齢化している中、 今の統計で考えると、85歳の41%が認知症で、90歳になると61%が認知症で、日本はこれからあっという間に4分の1ぐらいの人が認知症になるわけで、そうなると認知症の方が生活できない社会のほうがおかしい。
――もっと認知症の特性に寄り添った社会デザインになることが急務ですね。
多くの人は自分のことを「健常者」だと思って生きていると思いますけど、 健常者というのはたまたまその社会において多数派を占めているだけなんです。みんなが車椅子で僕だけが歩いていたら、天井はこんなに高くないだろうし、車も車椅子がそのまま乗れるか、車椅子が100キロで走るかどちらかで、それに乗れない僕が障害者になる。
――認知症があることが当たり前の社会に必然的になることを考えると、今は転換期なんですね。
高齢化が進んでいる日本でできた素晴らしい概念やケアの手法はこの先アジアで必要になって、その後、ヨーロッパに必要になってくる。だから世界中の人が、うちみたいな小さな会社にもバンバン視察に来るわけですよ。そしたら面白いわけじゃないですか。そういうことにちゃんと若い子たちが参入できたり、面白いことをやっていこうという形ができればいいんですけど。
――今日お話した岡山県からの研修の方も、「まだまだ吸収することがありすぎて、研修期間が足りない!」と目をキラキラさせていました。
ああいう若い子たちにどんどんパスをしてくのは大事だと思います。ここのやり方をコピーして、そのままやることは、あまり意味がないんですよ。うちが学生の見学を受け入れているのは、うちより面白いことをやろう、自分の地域に合わせてもっとこうやったらって実践してくれたら素晴らしいと思うからです。
加藤さんが当たり前のように話す認知症との向き合い方は新鮮で、これが世界の共通認識になったら当事者も家族も安心して暮らせるだろうなとワクワクしました。そのためには、もっと多くの人が正しく認知症を知ること。そして日本で生まれた素晴らしいケアや概念を共有することが先決です。そのためにも、新しいケアや概念をリードする場所をもっと訪ねたいと強く思いました。