国鉄ベルシー駅について
ベルシー駅。「え? ここが駅?? 」ってくらいなそっけない建物。「GARE DE PARIS BERCY」というサンセリフの文字がうら寂しい。よく見ると「SNCF」というフランス国鉄のロゴがちょこっとのっているのがかわいい |
パリには国鉄の始発駅が7つあるが、一番規模の小さい駅がベルシー駅である。リヨン駅に付属するかたちなので、ターミナル駅とはみなされないことも多い。ホテルがベルシー駅の近くにあったので、せっかくだからとお昼前に訪れた。エスカレーターを上ったちょっとした高台にベルシー駅はある。リヨン駅に比べると、2階建ての駅舎が寂しさを醸し出す。というのも、1970年代にリヨン駅の機能を分散させて作られた駅のため、豪華な作りにはなっていない。TGVは発着せず、マルセーユ方面の列車やブルゴーニュ地域圏方面の「TERブルゴーニュ」、ベネチアやローマ方面の国際夜行列車「アルテシア」などの発着駅として使われている。
駅のホームにたたずむと、電気機関車に牽きいれられて「コレイル テオズ」5962列車が入ってきた。5962列車は、フランス中南部オーヴェルニュ地域圏のクレルモン=フェランを8時29分に出発し、第二次世界大戦中のヴィシー政府があったヴィシーを11時2分に出て、パリ・ベルシー駅には11時54分に到着する。正面がオレンジ色の電気機関車に、オレンジや緑、黄色に彩られた客車は、南からやってきたというイメージで楽しい。同じホームの反対側には、ずんぐりとした流線型の電車「TERブルゴーニュ」が停まっていた。
さて、今日はどこに行こうか。そうだ、以前から見たかったパリ中世の城壁めぐりにしようか。そこで、メトロのベルシー駅から6号線に乗ることにした。ベルシー駅を出ると、すぐに景色が明るくなる。地上に出たのだ。セーヌ川を渡り、高架線が続く。外を見ると、道路を渡る鉄橋が幾重も続いており、都会な感じがする。
再び地下に潜って4つ目のプラス・ディタリー駅で7号線に乗り換える。7号線のホームから車両に乗り込み、4つ目のジュシュー駅で下車する。目指す城壁は、ここから10号線に乗り換え、1つ先のカルディナル・ルモワーヌ駅で降りたほうが近いのだけど、歩ける距離なのでジュシュー駅で地上に上がった。
路地を曲がると、突然中世の城壁が
ジュシュー駅の出口を出ると、目の前はジュシュー通り。私はよく道に迷う質なのだが、今回も案の定反対方向に進んでしまった。10分ぐらいで気が付いて元の位置に戻り、遠回りになるが、カルディナル・ルモワーヌ通りとぶつかる交差点へと歩く。そして、カルディナル・ルモワーヌ通りをセーヌ川と反対方向に上っていく。しばらくすると、メトロのカルディナル・ルモワーヌ駅の入口が左手に見えてくる。合ってる、合ってる、あとは、もうちょっと行くと、右手にクローヴィス通りが始まるので、そこを右折すれば……。と思いながら、道を上っていく。
クローヴィス通りに右折すると、中世の城壁がにょこっと顔を出していた。幅が約3m、高さ約10mぐらいか。この城壁は、カペー朝のフィリップ・オーギュスト(在位1180年 - 1223年)時代のもの。日本でいえば、ちょうど鎌倉時代が始まるか始まった頃と考えればよい。ヨリトモさんからサネトモさんの時代ね。城壁自体の長さは5.4kmとされ、城壁で囲まれた部分の直径はわずか1,800m。ずいぶん小さい。
写真をぱちぱち撮っていたら、ロシア人の観光客が「ふーむ」と感嘆しながら、上を見上げる。ついで、アジア系の女子がぺたぺたと壁を触りながら、写真を撮る。アジアに広まる、カメラ女子。韓国人も、中国人も多いよ、文化系女子。じゃあ、キッシュでもかじりながら、次は右岸の城壁を見に行こう(つづく)。
参考文献『パリ歴史探偵術』宮下志朗 講談社現代新書