今でこそ、大谷翔平選手をはじめ、日本人アスリートが海外で活躍することはめずらしくありませんが、「やっぱり日本人は、世界に舞台ではかなわない」と言われていた時代がありました。そんな中、90年代に一人の青年が62年ぶりにウィンブルドン選手権のグランドスラムベスト8入りするのです。対戦相手も居並ぶ観客もほとんどが外国人の中で、その青年は日本で大ヒットしたスポ根テニス漫画「エースをねらえ!」(集英社)の中のセリフ、「この一球は絶対無二の一球である」と叫び、観客たちの度肝を抜きます。それが松岡修造さんなのです。若い世代には「オリンピックで熱く応援してる人」というイメージがあるかもしれませんが、日本のテニス界を変えたすごい人なのです。

  • イラスト:井内愛

育ちの良さもピカイチ! 現役引退後はバラエティで活躍

日本人選手がテニスで活躍すると言う希少性に加え、修造さんはルックスがよく、お育ちもいい。曾祖父は阪急東宝グループ創業者の小林一三、お父上は東宝社長で元デビスカップ日本代表、お母さまは宝塚歌劇団星組の男役と、書きだしたらきりがないくらい、ご親戚一同きらびやかな経歴をお持ち。こんな人をテレビが放っておくわけはなく、引退後はバラエテイ番組でひっぱりだことなったのでした。

そのうちの一つが、とんねるずの「みなさんのおかげでした」(フジテレビ系)の「食わず嫌い」でした。マネージャーからの情報で、松岡さんはマクドナルドなどで外食をする際、注文前に店内を一周して、他のお客さんが何を食べているかを見るとタレこまれ、共演者を驚かせたのでした。人が食べているものを見てまわるというのは、一般的に言うのなら、お行儀がいいとは言えない。修造さんのようなお坊ちゃまがどうしてそんなことをするのか。修造さんははっきりした答えを言わず、出演者には「お坊ちゃま通り越して奇人だよ」と笑われたのでした。

なぜ松岡修造は店内を一周して他人の食べ物を観察するのか

あれから、20年余の月日が経ちましたが、なぜ松岡さんがレストランをひと回りして、人の食べ物を観察するのか、その謎が解けたのです。

書籍「修造流脳内変換術」(集英社)は、女性誌「BAILA」での修造さんの連載をまとめたものです。やる気がでない、完璧主義ですぐに落ち込んでしまうなど、アラサー女性が持ちがちなお悩み相談に、もともとネガティブ思考だった修造さんが、気持ちの切り替え方をレクチャーしていくというもの。

そこにこんなエピソードが掲載されていました。メンタルトレーニングを受けていた修造さんは、コーチに「決断力がない。それがテニスにも出ている」と指摘され、それを克服するために「レストランに入ってメニューを開いたら、5秒で注文を決めろ」と言われたそうです。そうは言われても、5秒なんて文字を読むだけですぎてしまいますよね。そこで修造さんは、まずレストランに入ったら店内を一周し、他のお客さんが何を食べているかを観察するところから始めたそうです。そうすると、あ、あれが食べたいとか、これは気分じゃないというのが明確になるそう。つまり、「人をよく見ることで、自分がわかる、気づくことがある」ということでしょう。この方法を実践した結果、ご自分でもびっくりするくらい、決断力がついたのだそう。テニスだけでなく、人生も決断の繰り返しです。上述した、マクドナルドを一周して人の食べるものを見るという“奇行”は、修造さんが引退してもメンタルトレーニングを欠かしていないことの証と言えるでしょう。

松岡修造の名言「つもりは積もっていかない」

そんな修造さん、「頑張っているつもりなのに、何もかもうまくいきません」というお悩みに対し、「つもりは積もっていかない」と答えています。どういうことかと言うと、やみくもに頑張っても結果は出ない、やる気を無駄遣いしているのに他ならないという意味です。

それでは、どうしたらいいのか。修造さんが進める方法は、紙に「できている人」と「できていない人」の違いを書くこと。たとえば、あなたがどうしても遅刻をしてしまうとします。その場合、遅刻をしない人と自分との違いを紙に書いていくのです。たとえば、いつも遅刻をしない人は「5分前行動を心掛けている」、しかし、自分は「間に合うと思っていた(でも、実際は遅刻した)」わけです。ここで自分の出かけるまでのスケジュールの立て方に誤りがあることがわかります。ということは、スケジュールをもう一度見直して、たとえば朝5分早く起きる、食事やメイクなどにかける時間を5分減らすなどの対策が立てられるはず。修造さんは「自分ができていない中身って、ひもといていくと一つ一つは些細なこと」と書いています。

修造さんは他人と比べることをよくないこととしています。あれ、さっき、遅刻しない人と遅刻してしまう自分を比べろと言っていたじゃないか、言っていることが矛盾しているじゃないかと思う人もいるでしょう。でも、よく読めばわかるでしょう。修造さんは「条件の違う人と、自分を比べるのはおかしい」と書いています。スポーツ選手の場合、身長が高いほうが有利とか、筋肉量ではアジア人は白人に及ばないなど、人種的なハンディを抱えて戦わなければならない。それはもう仕方ないことだから、比べない。修造さんが比べているのは、やり方です。できている人とそうでない人の違いを見つける、または他人のやり方を見ていて気づくことがある。自分と人を比べて、優劣をつけろとは言っていないのです。

同書を読んでいると、修造さんがイイなと思った他人の習慣は即座に取り入れ、ながーく続けていることに気づくでしょう。「5秒で食事のメニューを決める」というメンタルコーチの指示も、「バカバカしい」と言ってしまえばそれまで。しかし、忠実にやってみるし、それを達成するための方法(レストランを一周して、人が食べているものを見る)が人から見て“奇行”であっても、気にしたりしないのは、それが自分で編み出した方法だからだと思います。

よくポジティブ思考はいいもので、ネガティブはだめなものと決めつけられがちですが、そんなことよりも大事なのは、自分で考えることと、素直な気持ちでやり続けることではないかと思います。アスリートは体をハードに鍛えることから、豪快なイメージを持たれがちですが、その一方で、緻密で繊細な神経を持ち、「今日の自分はどこが悪かったのか」と自問自答する部分も持っているようです。悩んでしまうけれど、何をしていいのかわからない。そんな時、修造さんの言葉は、あなたの背中を押してくれるはずです。