新型コロナウイルスの感染者数が増えていると報じられています。現代の医学であれば、2年くらいでいいクスリが開発されるのではないかと私は勝手に楽観していたのですが、どうもそう簡単な話ではなさそう。どうぞ、みなさんもお気を付けてお過ごしください。
ということで、今回は医学の世界のレジェンド、ノーベル生理学賞・医学賞を受賞した山中伸弥センセイをテーマにさせていただきます。iPS細胞の開発までの経緯を実業家・稲盛和夫氏と対談した「賢く生きるより 辛抱強いバカになれ」(朝日文庫)をもとにご紹介します。
若き整形外科医が研究者の道に進んだワケ
山中センセイの座右の銘は「人間万事塞翁が馬」だそうですが、“馬案件”その一は、研修医時代のしくじりでしょう。若き整形外科医として研修を始めた山中センセイですが、同書によると「うまい人なら20分で終わる手術を、2時間かかってしまった」ことから、指導医にジャマナカと呼ばれるようになってしまったそう。周囲のお医者さんに聞いたところ「研修医はできなくて当たり前、それをできるようにするのが指導医の仕事なのだから、問題があるのは指導医のほう」「仮に出来が悪かったとしても、名前をイジるのは完全にイジメ」と否定的な意見が多かったのですが、山中センセイにとっては、これが研究者としての道に進むきっかけになるのですから、人生とはわからないもの。
研究の道に進んだからといって、とんとん拍子に物事が進んだわけではなく、研究を続けていられないかもしれないという瀬戸際に追い詰められたこともあったセンセイ。ですが、同書を読んでいると、無邪気さというか独特の明るさがあることに気付くのです。
予想外の結果への興味、面白いからと研究を始めたセンセイ
たとえば、アメリカに留学していた山中センセイは、血圧の研究をしていたそうです。山中センセイの研究者としての心構えは「VW」。ビジョン(目的)を明確にし、ワークハード(一生懸命やる)の略語で、人の三倍働いたといいます。そんな心意気で動脈硬化に影響を与える遺伝子を調べていたところ、それが癌を作っていたことがわかりました。こういう場合、たいていの研究者は「自分のテーマ(血圧)に関係ない」と研究をやめるそうですが、山中センセイは「予想外の結果に興味をもってしまって」研究を始めたそうです。研究者として地位が確立しているのならともかく、まだ海の物とも山の物とも知れない若き研究者が、一人だけ違うことができるとはたいしたもの。「面白いから」という理由で癌の研究を始めたところ、新しい遺伝子を見つけ、それがES細胞、iPS細胞につながっていったそうです。
時代も山中センセイに味方しました。アメリカのジェームズ・トムソン博士がヒトES細胞を樹立することに成功し、ES細胞は医学に応用できると注目を集めることになります。
「私自身にはあまり独創性がない」とセンセイは謙遜するが……
相棒にも恵まれたようです。新しいことをやるときに、常識というものは時に邪魔になるそうで、山中センセイ自身も「このプロジェクトはうまくいかない」と思っていたそうです。優秀な助手もそれを感じていて、実験に乗り気ではない。彼にも研究者としての夢があるわけですから、どうせやるなら自分の業績になるような研究をしたいと思ったとて責められません。そんな中、工学部出身で生物学の知識も薄く、成績もよくなかった助手に実験を頼んだところ「僕がやってもいいんですか?」と無邪気に喜んでくれたそう。
山中センセイはご自身を「私自身にはあまり独創性がない」と若干の謙遜を含めて話している。それでは、どうしてiPS細胞にたどりつけたかというと、思いもよらない独創的な結果が出た時に実験をやめなかったことと、iPS細胞そのものの存在を意識する研究者はそれなりにいたけれども「難しすぎて、やっても無駄だろう」と実際にチャレンジする人が少なかったことを挙げています。
もちろん、人がやらないことをやったからといって、結果が出るわけではありませんが、 「論語」に「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。」という一節があります。物事を理解し知っている人は、それを好きだと思っている人には及ばない、物事を好んでいる人は、それを楽しんでいる人にはかなわないという意味ですが、科学の庭で無心に遊ぶ人たちに、科学の神さまは微笑んだのかもしれないと思うのでした。