ツイッターを見ていると、おそらく女性とおぼしきアカウントで「わたしが選ぶ、私が決める」という趣旨のツイートがバズっていることがあります。どうして「わたしが選ぶ」系のツイートが人気なのかというと、やっぱり女性は「選ぶこと」が難しいからではないでしょうか。

たとえば、男性が一代で財をなしたとしましょう。大富豪になればチヤホヤされ、若い彼女も出来て、いくつになっても結婚して、子どもを持つことができる。資本主義の世の中ですから、お金を稼げば成功者、能力のある人としてみなされ、学歴やルックス、育ちも不問、世の中森羅万象について「選び放題」です。しかし、女性は違う。社会的な成功にひるむ男性もいるでしょうし、仕事と家庭のタイミングを調整するのが難しくなるかもしれない、容姿や親のことなど「自分には関係ないこと」を取りざたされることもあります。

だからこそ、「自分で選んだ人生」を歩める人というのは、尊敬を集めるのではないでしょうか。それでは、「自分で選んでいない人生」を歩んでいる人は、不幸なのでしょうか。

そんなことを考えるとき、思い出してしまうのが美容家・君島十和子サンなのです。若い世代には奇跡の56歳としておなじみでしょう。私と同世代だと、JALのキャンペーンガール、『JJ』(光文社)の表紙モデルを経て女優となるというキラキラの最先端を経て、アパレルブランドKIMIJIMAの御曹司と婚約するも、ちょっとゴタゴタしたという記憶も残っているかもしれません。

お嬢さま女優とブランド御曹司の華麗なる結婚、しかし……

そんな十和子サンは「私が決めてきたこと」KADOKAWAにおいて、「未来を決めるのは、今日する決断」と書いています。タイトルも合わせて考えると、自分自身で考えて、今日の自分を築いてきたという自負を十和子サンはお持ちなのでしょう。株式会社FTCフェリーチェ・トワコ・コスメのクリエイティブディレクターにして、美しき広告塔として活躍する十和子サンらしいと言えば「らしい」お言葉でしょう。でも、本当に「自分で決めたこと」ばかりなんでしょうか。

過ぎたことを蒸し返してアレですが、幼稚園から有名女子大の附属に通っていたお嬢さま女優の十和子サンと、皮膚科医で次期KIMIJIMAの後継者というカップルはお似合いとされていました。十和子サンは結婚を機に、芸能界からの引退するつもりであることを表明していました。若い方はピンとこないでしょうが、90年代は女優さんでも、特に配偶者がお金持ちだと“寿退社”をすることは珍しくなかったのです。実業家の妻として、家事をお手伝いさんにまかせながら、十和子サンはセレブライフを送るのであろうと誰もが思っていたことでしょう。

婚約者一族のお家騒動の顛末

しかし、思いもよらない事実が明らかになります。十和子サンの婚約者は、実はデザイナー・君島一郎氏が妻ではない女性との間にもうけた子ども。しかも、婚約者も十和子サンとは別の女性との間に、子どもがいた。何してんねんという感じですが、君島一郎氏の長男、君島立洋氏の「わが父・君島一郎」新講社によると、一郎氏は服をデザインするけれども、実際に縫っていたのは妻。妻はフィッティング仮縫のセンスがあったらしく、一郎氏が細かい指示をしなくても、細部にわたり丁寧に仕上げることができる腕の持ち主だったそうです。そんな魔法の腕を持つ女性と離れたら、ブランドの存続にかかわりますし、顧客のほとんどが上流階級の女性であることもあって、糟糠の妻を捨てることは女性ウケが悪いので、避けたかったそうです。

しかし、妻ではない女性が生んだ子どもはすでに幼稚園に入る年になっており、「どうしてくれるのよ」と責められる。一郎氏は妻に「一週間だけ、籍を抜いてくれ」などと甘言で迫りますが、それでも別れるつもりのない妻と離婚調停に入ります。しかし、離婚は不成立。そこで苦肉の策として、一郎氏は妻ではない女性を自分の母親の養子にする妻ではない女性は一郎氏の妹になったことで、妻ではない女性とその子どもに君島姓を名乗らせることにしたのでした。

連日、お家騒動がワイドショーを騒がせましたが、十和子サンは婚約を破棄せず、結婚します。まさしく「自分で決めた」のです。しかし、思いもよらないことが起こります。ブランドを一人で背負っていたデザイナー・一郎氏が急逝したのです。ブティックは次々とクローズすることになりました。

アパレルから撤退し、十和子さんと夫がはじめたのが、現在の会社FTCです。女優が美容法を聞かれても「何もしていない」というのが当たり前の時代、十和子サンは自分も女優であるのに嬉々として「コレとコレとコレがいい」とありあまる美容知識を女性誌で披露して読者の信頼を集めていましたし、夫が元皮膚科医であったことも、コスメの開発にはプラスに働いたことでしょう。

けれど、十和子サンは結婚前に「将来、美容家になりたいから、女性誌で美容の知識を披露して実績を積もう」とか「KIMIJIMAの御曹司と結婚して、お舅さんが亡くなった後に、自分のコスメブランドを立ち上げよう」とは思っていなかったはずです。良くも悪くも、なんとなく運命に導かれ、もしかしたら、やむなく起業したのかもしれない。

新生キミジマを支える十和子サンのすごさ

90年代という時代は、「女性は男性に好かれるべき」という考えが強く、その集大成は結婚でした。バラエテイ番組では高飛車な美人というキャラが求められていて、十和子サンは見た目と経歴から、適任と思われたのでしょう。バラエテイ番組で年収はこれ以上なければダメとか、結婚したら〇〇(地名)に住ませてくれないとだめ、一般人男性の給与明細を見せられた十和子サンが「これは電気代の領収書ですか」というように、要は「給料少なすぎる」的な発言をしているのを見たことがあります。でも、そんなトワタンはもういない。

FTCの社長は十和子サンの夫ですが、十和子サンは開発に関わり、自分が美しくあることでいかに自社製品の効果があるかを証明し、美容家としてメディアに出てFTCの宣伝に一役買う。十和子サンは二人のお嬢さんのお母さんでもありますから、母親業もこなしているわけです。甲斐性がすごいというか、実はすごいキャリアウーマン体質だったというべきか、新生キミジマを支えているのは、十和子サンと言って過言ではないでしょうか。「自分で選んでいないこと」に出会ったことで、十和子サンご本人も気づいていなかったであろう能力が引き出されたのだと思います。

自分がどういうふうに生きたいかを主体的に考えるという意味で、「自分で決める」ことは、大事なことです。しかし、COVID-19が代表例だと思いますが、自分ではどうにもならないことはあるのです。「自分で決める」ことにあまりにこだわると、どうしようもないことが許せず、自分を責めることにつながってしまうのではないでしょうか。

私は特定の信仰を持っていませんが、縁がある人や仕事には多少時間がかかっても出会えると信じていますし、実は「自分で選んだわけでないこと」のほうが運命性は強いのではないかと思っています。「自分で選んだわけではないこと」でどう踏ん張れるか、それがその女性の“実力”なのかもしれません。