"茶の湯"の所作や心得、教養を学び、また癒しを得ることで、ビジネスパーソンの心の落ち着きと人間力、直観力を高めるためのビジネス茶道の第一人者である水上麻由子。本連載では、水上が各界のキーパーソンを茶室に招き、仕事に対する姿勢・考え方について聞いていく。

第15回は、インターネット普及以前から通信ソフトの開発・販売を続けるとともに、時代に合わせた事業を展開しているインターコムの代表取締役社長、須藤美奈子さんにお話を伺った。インターコムが創業3年目のときに入社した須藤さんの働き方や考え方を聞いていきたい。

  • 須藤さんを紹介してくれたプロシードワンの新堀進さん(左)、インターコムの須藤美奈子さん(右)、聞き手の水上麻由子(中)

友人の一声でインターコムに入社

1984年、当時まだ小さな開発会社だったインターコムに23歳で入社した須藤さん。そのきっかけは、一人の友人からのアドバイスだったという。

「最初は証券会社やソフトウェア会社で働いていまして、そのソフトウェア会社に仲の良かったお姉さんがいました。お金に困っていた私と違って、そのお姉さんは宝塚出身のお嬢様で無理に働かなくても困らないような方です。二人でプログラムを一緒に覚えて仕事をしていたのですが、ある日会社の人と派遣先の件で喧嘩をして『辞める!』って言っちゃって、私も一緒に辞めちゃったんです」

求職活動を始めた須藤さんは、求人誌から大きな会社を見つけて応募、新たな就職先が決まる。新宿の喫茶店で友人にこの報告をすることになるが、友人は求人誌をぱっとめくってこう言ったという。「ここがいい。OSって書いてるよ。アセンブラって書いてある。あなた、この会社行きなさいよ」……それがインターコムだった。

19番目のインターコム社員となった須藤さんは、会社でアセンブラを学び、パソコン通信ソフトの開発を担当した。当時はアセンブラを組めたら、やればやるほど儲かる時代だった。

  • インターコム 代表取締役社長 兼 営業本部 本部長 須藤美奈子さん

マネージメントを学んだ海外勤務

こうして10年ほど開発の仕事を続けた後、須藤さんはディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)のオフコンのエミュレータに携わることになる。しかし、これが当たらなかった。

「気合いを入れて完成させ、自分でマーケティングまでしたんですが、ぜんぜん売れなくて。これ以上は無理だ、やり切ったと思ったころにSEみたいな仕事を紹介されて。それをやっていたら、海外に支社を作ることになりまして、34歳でマネージャーとして台湾に行くことになりました」

台湾に渡った須藤さんは、テレビ電話ソフトの開発をスタート。当時はまだパソコンで音声や映像を扱うのは一般的ではなく、大学院を出たエンジニアなどさまざまな人が集まってきたという。

「音響組、映像組とチームがどんどんできていって、すごく面白かったですね。日本語と英語と中国語のバージョンは私たちで作れるんですけど、イタリア語やフランス語、ドイツ語となると自分たちでは分からないから、中国語学校に張り紙してスタッフを捜したり。台湾で学んだのはソフトウェア開発全体のフローでした」

時代に先駆けて開発されたテレビ電話ソフトだが、最終的には当時の遅いネット回線での普及の難しさや予算の関係から、5年半で支社はクローズすることになる。

社長として100年企業を目指す

日本に帰国した須藤さんは営業となり、台湾での経験をもとに商品の企画やリニューアルを担当。これまで一貫していなかった開発からリリースまでのルール作りに邁進した。反発も多かったが、周囲の助け、そして受注開発はしたくないという社員の思いを受け、現在のインターコムへとつながる社内体制を作り上げていった。そして須藤さんは2007年に役員に、2020年には代表取締役社長に選出される。

「会社は昨年、40周年を迎えました。私が代表取締役社長に就任したのは2020年6月で、思い返すとコロナ禍が大変なときでしたよね。いまも周りのみなさんに色々と教えていただきながら続けています」

現在、インターコムは「100年企業になる」ことを目標として掲げている。上場はしていないが、実は上場予定だった時期もあったという。創業者であり現・代表取締役会長を務める高橋啓介氏はリーマンショックを受けて上場する意味を再考し、「僕の時代はあきらめるよ。やらないと決めたからね」と社員に伝えたそうだ。

「私たちは上場するんだと思っていましたからちょっとがっかりしたんです。あのとき上場していたら多分外からいろいろ言われたんだろうし、会長が自分で決断されたのだから何も言えないですよね。その代わりたっぷり儲けて、社員にしっかりと還元し、ともに成長していきたいと思っています。インターコムという名前のままでずっとソフトを作っていられるように」

  • 須藤さん、新堀さんをお茶と茶菓子でもてなしつつ、話を伺う

変化する働き方とインターコムの姿勢

黎明期からパソコンの通信ソフトを開発してきたインターコム。創業当時と比べ、社員の働き方も変わってきているという。以前はNGだった直行・直帰だが、いまでは推奨されており、時短も育休も在宅勤務もOKだ。

「私たちより先に世界がどんどん変わっています。私は社員に対して、『世界の変化に全員でついていこう、時代の変化をちゃんと知ろう』と言っているんです。この変化への対応を形にしたのが、マスコットキャラクターであるカメレオンの『チャーリー』です。当社の合い言葉は『チャーリーのように』なんです」

お茶の世界にいると、世の中の変化に対して「昔はよかった」「戻ろう」という考え方をする人たちも多い。だが、昭和や平成の世代は令和の若い人たちを知らなくてはいけないし、トップは社員に共通のゴールをイメージさせることが大事なのかもしれない。ソフトウェア業界では珍しい女性社長である須藤さんは、社内のカルチャーをどのように捉えているのだろうか。

「自分が女性だからというのは、いまはあまり考えていません。入ってくる女性社員たちはみんな優秀ですし、すごく勉強もしますしね。最近よく言われる『ウェルビーイングな会社』を私なりに解釈すると、『社員全員が心身ともに健康で、毎日が幸せな会社』なんです。儲かったら寄付を、育児支援を、SDGsを、と始めていくと、おのずと外と内が合ってくるんですよね」

昨今は社員と上司が1 on 1で話をする機会を増やしているそうだ。それも仕事の話ではなく、雑談をしてもらうのだという。社員同士の距離を縮め、助け合う機会を増やすのがその狙いだ。普段からプライベートな雑談をしているからこそ対応できることがあり、その効果は見えないところで出てくると須藤さんは持論を語る。

「社員たちは『どうも須藤さんがやりたがってるから、お話ししなくちゃいけないらしい』って話していて、『そんなに上司と毎回話すことなんてない』『愚痴なんて言えるわけない』という声も聞こえてきました。しょうがないから社員全員に『私の考えるウィルビーイング』と『1 on 1の意味』をメッセージとして出しました。みなさん、ぜひ無駄な雑談をしてくださいと」

昔はフローチャートをしっかりと作り込み、バグの存在は許されなかったが、いま開発環境はクラウドになり、スピードが優先される。さらにコロナ禍のテレワークで雑談が減ったことにより、仕事以外の話をしなくてもよいという環境は増えた。より自分で自分を評価し、自分なりの働き方を考えていく必要がある。

「自分で自分を評価するのはすごく難しいと思うんです。私は自己評価が高い分だけ落ち込みもすごくて。そんな私が人の話をまともに聞くとしたら、初めにお話しした一緒に辞めた先輩だったり、会長だったりといった、私を見てくれている近くの人ですね。そういう、本当に『信じられる人』を作ることは大事なんじゃないかなと思います」

  • 本当に信じられる人を作ることの重要性を須藤さんは語る

須藤さんのチャレンジ精神の源泉は?

現場の仕事から管理職、そして役員へと昇進するに従い、仕事の中身は変わっていく。多くのビジネスパーソンも、一度はそこで戸惑いを感じたことがあるだろう。須藤さんはどのように克服してきたのだろうか。

「新しい場所には、その場所でしかできないことがあるんですよ。動かずに満足していたら、それ以上にはならない。自ら違う場所に移っていき、自分を違う場所に置くと、ぜんぜん違う世界が見えてきます」

近年、女性活用という世の中の流れがあり、要職に就く女性を増やそうというニーズがある。須藤さんは、管理職として活躍する女性がまだ少ない時代から活躍し、現在は代表取締役社長として辣腕を振るっている。そのチャレンジ精神の源泉は、家庭にあったようだ。

「私は小さいときすごく貧乏で、幸せになりたいと漠然と思っていました。そんな私に母は『人間には必ず絶対にチャンスがあるはず。チャンスを掴みなさい』と言いました。だから私もチャンスが来ると信じてずっと待っていました。でも、子どもが可愛くて叱ることができないような母だったんですよ」