"せともの"の街、愛知県瀬戸市。この街は火の街・土の街と呼ばれ、昔から真っ白な陶土や自然の釉薬が採れるため、やきものの産地として栄えてきました。「ものをつくって、生きる」そのことに疑いがない。それゆえ、陶芸に限らず、さまざまな"ツクリテ"が山ほど活動する、ちょっと特殊なまちです。瀬戸在住のライターの上浦未来が、Iターン、Uターン、関係人口、地元の方……さまざまなスタイルで関わり、地域で仕事をつくる若者たちをご紹介します。

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Vol.13 noveRuga・飯島加奈

  • 「瀬戸銀座通り商店街」にあるセレクトショップ「noveRuga」店主の飯島加奈さん

    「瀬戸銀座通り商店街」にあるセレクトショップ「noveRuga」店主の飯島加奈さん

「noveRuga」の店主・飯島加奈さんは、瀬戸市出身の元バンドマン。2013年に商店街の一角で、洋服のセレクトショップを開きました。最近ではInstagramのライブ動画配信を利用した“ライブコマース”のジャンルにも挑戦。瀬戸市出身の藤井聡太七段を応援するファンとしても有名で、その動きに全国のテレビ局が注目しこぞって取り上げるほど。地域の洋服店を営むとは? その実態について、おうかがいしました。

  • セレクトショップを経営する傍ら、地元では有名な藤井聡太七段のファンだという

    セレクトショップを経営する傍ら、地元では有名な藤井聡太七段のファンだという

バンドマンからアパレル店員へ

名鉄瀬戸線の尾張瀬戸駅から徒歩10分ほど。明治20年頃から商家が立ち並んでいったことが始まりといわれる「瀬戸銀座通り商店街」に、洋服のセレクトショップ「noveRuga」(ノベルーガ)はある。

「20代半ばぐらいまで、バンドをやっていたんです。そのバンド名が『ルーガ』という“ガール”の裏読みで、女性の裏側まで表現したいなと。“novel”には小説という意味のほかに、辞書で調べたらファッション的に奇抜なっていう意味があって、瀬戸で奇抜なお店になりたいなということと、おしゃれする女性が物語になったらいいなということで、noveRugaになりました」

アパレル関係で働き始めたのは、20代半ばの頃。

「20歳くらいに始めた頃は、音楽で生きていく! と思って活動していたんですが、音楽で生きていくってめちゃくちゃ大変なんじゃないかと気づきまして。次に好きなことはなんだろう? と思ったときに服だったんです」

働き始めたのは、いわゆる大型スーパーの中にある個人の洋服店。長くお客さんとして通っていたお店の店長に声をかけてもらい、働き始めた。

「もともと人気のお店で、私が接客を担当してもよく売れたんです。当時、瀬戸では見かけないマッシュルームの金髪ヘアに、ちょっと奇抜なスタイルをしていたからとにかく目立った。それで私にもお客さんがついてくれて、30歳ぐらいのときに絶好調! と調子にのって、お店出すことにしました」

  • 自分が着たいと思う洋服を集め、「noveRuga」をオープンした

    自分が着たいと思う洋服を集め、「noveRuga」をオープンした

お客様が120%納得できる接客を

「お店をオープンしたのが31歳かな。瀬戸市の商店街を選んだのは、ご縁がいろいろあって、商店街の店主のおひとりに商店街でやってくれたら嬉しいと言っていただけたんです。

それに瀬戸の若い人は名古屋の繁華街・栄が近いので、そもそもこの辺りで服を買おうと思わない。それも瀬戸を選んだ理由ですね。名古屋へ行くと、ほかのお店と戦うことになるけど、この辺りでは、戦う相手がいない。私は戦わずに勝ちたい(笑)」

この町では見つけられなかった、自分が着たいと思う洋服を集め、お店を始めた。勢いで出したとはいえ、接客に対する情熱には並々ならぬものがあった。

「お客様が120%納得できる接客をしたい。それなら自分のお店を構えるしかない、という思いも大きかったですね。お客様に損をさせない、無駄遣いさせない接客。いらないものを売りたくない。

そこは、お店やり始めたところから変わらず、ブレずにやれているかな。商売をやるには、頑固と負けず嫌いがないとやれないと思うんですが、私はそれが人一倍強いかもしれないです」

新たな「ライブコマース」の道

  • 頑固と負けず嫌いが人一倍強いという加奈さん。接客に情熱を注いでいる

    頑固と負けず嫌いが人一倍強いという加奈さん。接客に情熱を注いでいる

経営的にも、順調なスタートを切った。

「1年目は来店の半分以上が働いていたお店で出会ったお客様で、2年目は町の人も認識してくれて、すごく調子良かったですね。そこからは横ばいです。

ただ一昨年に一度ガクッと落としました。仕入れ商品を買いやすいものから、デザイン重視に変えたんです。それもあったのですが、一番はこれまでに自分がやりたいことをやってきて、モチベーションが下がっていたこと。自分のために頑張れない時期だったと思います」

脳裏をよぎったのは、移転だった。

「もっともっと接客したかったんです。商店街全体の集客も落ちてきていたということもあって、駅前の人が多いエリアに行こうかなと。力があり余っちゃっていましたね。でも、この場所にはのんびりお買い物できる良さがあるなと思い直して、ここでできることを模索し始めました」

そこで1年ほど前から始めたのが、ライブ配信だった。

「ライブ配信をしたら、もっと接客をしたい気持ちが解消されました。店頭だと、ひとりふたり来てくれたらいいなという感じ。それがライブ配信だと、20人、30人を一度で同時に接客できるので、すごい!

私はECサイトで、不特定多数の人にポチポチしてもらうのは得意じゃない。そこには接客がないから。お洋服は嫁がせるイメージで、ちゃんと似合う人に届けたいんです。ライブ配信の『ライブコマース』というジャンルは、自分がやりたかったことにうまくハマって、やる気を持ち直しました」

ライブ配信中に「ほしいです!」と言われたら、ダイレクトメッセージでやりとりをして、購入してもらう。今では売り上げの1~2割を占めるようになり、コロナウイルスによる自粛期間は、実店舗で売り上げが下がった分を埋めてくれた。

  • 「瀬戸銀座通り商店街」のみなさん

    「瀬戸銀座通り商店街」のみなさん

自分のことだけでは飽き足らず、コロナをきっかけに、みなさんにもInstagramのライブ配信に挑戦してもらいたいと、指導係を買って出た。店主が代わる代わる順番にライブ配信をしていく「インスタリレー」という企画を立ち上げた。

そこで分かったことは、店主のみなさんがライブ配信での話がとても上手だということ。操作に不安はあるけれど、いざ商品紹介となるといくらでも話ができる。そこにポテンシャルを感じた。

藤井聡太七段のファンになる意義

  • 「シャッター大盤」で対局を紹介している

    「シャッター大盤」で対局を紹介している

加奈さんは瀬戸市出身の藤井聡太七段を応援するファンとして、地元では有名だ。対局のときには、お店の向かいにある閉店してしまったシャッターで、大盤に見立てて駒を動かす。

「3年前からかな。中学生棋士だった聡太君が29連勝で話題になっていたとき、地元のラジオ局の社長を中心に応援団ができていて、ものすごく盛り上がっていたんです。対局の当日は、町の人もメディアの方もぎゅうぎゅうに集まって、もうドッカーンと沸いていて。

社長に『商店街でもなんかやったら? こんなに注目されているよ』と言われて、これはやらなきゃと思って次で30連勝というタイミングで、シャッター大盤を作ったんです。そしたら、負けたんですよ。応援を始めたタイミングで、負けた……。それで応援とはなんぞやと考え出しちゃったんです」

それを機に本気を出して、応援を始めた。結果を見るだけではいけない。聡太君の日々の積み重ねを見ていこうと、将棋の中継も見始めた。幼い頃は羽生善治さんが一世を風靡していた時代だったので、将棋の駒の動かし方は分かった。

加奈さんは粘り強い。3年という月日をかけて応援し続けた結果、今では聡太君が対局中に考えていることも、なんとなく分かってきたという。応援の仕方も、完全にミーハー感は消え、アマチュアの棋士とともに、真剣に打つ手を考えてあれこれ考えることを楽しみにしている。

  • 商店街に飾られた藤井聡太七段の垂れ幕

    商店街に飾られた藤井聡太七段の垂れ幕

近頃では、大一番の対局では加奈さんがご意見番のようになっていて、報道記者による、囲み取材が行われるほど。そんな加奈さんの取材に訪れたテレビクルーのみなさんが、聡太君の地元・瀬戸の応援の様子として、「瀬戸銀座通り商店街」の紹介へとつながっている。

お店を開きながら対局の様子を見て、1日で10社以上にのぼるメディアに対応しているため、当日の忙しさは尋常ではない。

「大きな対局のときは、正直、疲れ果ててしまって、体力がもたないですね(笑)。でも、商店街のお店のみなさんが喜んでくださっていることが救いで、嬉しいです」と語る加奈さん。

お店を開いて、7年。商店街のお店の中堅どころとして、日々、新たな集客の方法を考え、提案し続けている。