棋界に現れた超新星・藤井聡太。歴代5人目の中学生棋士、そして最年少棋士として話題となった藤井は、デビュー後負けなしの29連勝をはじめ数々の記録を打ち立て、国民的スターへと昇りつめた。では、藤井をのぞく4人、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのだろう。数々の資料をもとに検証し、藤井聡太のそれと比較していく(全6回)。
順位戦4期連続昇級で18歳A級八段の快挙
中学生棋士としてデビューした加藤四段は下馬評通りの強さを見せ、初の参加となった第9期(昭和29年度)順位戦C級2組で11勝1敗の成績を収めて1位となり、C級1組への昇級を決めます。
快進撃はこれでは止まりませんでした。第10期、第11期、第12期でもそれぞれ10勝3敗(2位)、9勝2敗(1位)、10勝2敗(2位)の好成績で、何とC級2組からC級1組、B級2組、B級1組と4期連続昇級を達成し、一気に最高クラスのA級まで昇りつめたのです。
この時、加藤18歳3カ月。史上最年少A級棋士の誕生です。そして、この記録は現在まで破られていません。
また、初参加の順位戦から4期連続昇級は、これまでに加藤と中原誠十六世名人(第21期~第24期)の2人しか達成していません。
今年3月まで行われていた第76期順位戦C級2組で全勝昇級した藤井聡太七段は、3人目の達成者になることができるでしょうか。しかしここから昇級を続け、ノンストップでA級に昇級したとしても、その時の年齢は18歳7カ月となり、加藤の持つ記録を上回れないことが確定しています。
ようやく来た加藤フィーバー
「18歳でA級八段になって初めて反響があった」と加藤本人が言うように、専門誌『将棋世界』でも18歳A級誕生を特集を組んで取り上げました。
5月号以降の号を見ても「加藤」「加藤」「加藤」……
現在のようにインターネットが普及していれば、ともすれば藤井七段のフィーバーに勝るとも劣らない騒がれようだったかもしれません。
世間が次に期待したのは当然、史上最年少名人の誕生だったことでしょう。
『将棋世界』1958年5月号に升田幸三名人(当時)が寄稿した観戦記「天才加藤の真価」の書き出しにも、その期待は表れていました。
「B級順位戦から大ニュースが出た。加藤くんが十八歳という若年で、A級八段になったことだ。私のところへ方々から問合せがきた。名人説についてである。これは本誌の皆さんも等しく感心をもたれているにちがいない。先のことだから、いますぐどうこうと、いえんのじやあないか。いつも私の答えはこうであつた。年令的にこれから人生の春に始めてめぐり合う問題も起きるだろうし。しいていうなら、『今の調子でゆけば』という前提のもとに、つぎのようにいえるじゃあないか、二十歳で名人になるか、二十五、六歳でなるか。とにかく二十歳台で名人になるだろう。本当の名人ができる。歴代の名人はみなある年令に達してからの名人だから、実力の外に他の要素が加わつている。つまり名人になつたとき、すでに型ができ上つてしまつている。そこえゆくと加藤君の場合は、二十歳台の名人だから、実力だけの名人であり名人になつてから他の要素が加わることになる。この点が歴代の名人とちがう。本当の名人ができるだろう、という私の期待もここにあるわけだ。」
升田の推測は当たったのか。加藤の名人戦、その他タイトル戦での戦いぶりは、次回「A級2期目、20歳名人挑戦の快挙」でお送りします。