僕が現在の妻と結婚したのは34歳のときだ。妻と出会い、付き合いだしたのが32歳のときだから、つまり2年間の交際を経て結婚に至った。

実際にデータを調べたわけではないが、この交際期間はごく一般的な長さだろう。スピード婚や電撃婚の類でもなければ、長年の愛を実らせた末に晴れて結婚というわけでもない。適度に大人になった男女同士がお互いのことをよく知ったうえで、この人となら生涯を共にしていける、と確信した結果である。

しかし、結婚生活というのは奥深いもので、あれだけの交際期間を経て、かつ結婚してからも1年半以上が経過したというのに、いまだに妻に対する新しい発見や計算違いというものが当たり前のようにある。それがいわゆる「こんなはずじゃなかった」という嘆き節につながるのだろうが、きっと妻も妻で、僕に対して同じ思いがあるに違いない。

ちなみに最近では、睡眠時の僕のイビキが年々うるさくなっており、その騒音によって妻の睡眠が妨げられるということが、我が夫婦の大きな悩みの種である。僕もイビキ対策を色々考えてはいるのだが、今のところ効果的な案は見つかっておらず、かくなるうえは別々の部屋で寝るしかない。付き合っていたころは、このイビキ問題がそこまで深刻ではなかったため、きっと妻も「こんなはずじゃなかった」と嘆いていることだろう。本当に申し訳ない。自分でも「まさか自分が……」なのです。

そう考えると、いくら交際期間が長くとも、それによってお互いのことをすべて熟知するなんてことは現実にはありえないのだろう。10代や20代前半にありがちな、一時の恋愛感情の燃え上がりによる「勢い結婚」や、それに付随する「できちゃった婚」の場合はともかく、人生や恋愛の経験をある程度重ねた年齢になってからの結婚は、いわゆる婚活の過程において、どこか相手のことを見切り発車的に「運命の人」だと断定しただけにすぎない。本当の意味で「運命の人」なのかどうかは、そんなもの、神のみぞ知るのだ。

ところが、世の中には「運命の人」というものにこだわって、長い交際期間があるにもかかわらず、なかなか結婚に踏み切ることができない人がいる。中には付き合って何年にもなる恋人がいるのに、わざわざ占い師に「運命の人」について相談し、そこで占われた人物像と現実の恋人との違いにショックを受けるなんてケースもちらほら耳にする。

今の恋人が「運命の人」でないなら、やはり結婚するのは時期尚早なのではないか。後になって「こんなはずじゃなかった」と後悔するのではないか。だったら、今の恋人と別れて、新たに「運命の人」を探す旅に出たほうがいいのではないか。そんな答えのない自問自答を繰り返し、婚期をずるずる引き延ばしてしまう。

私見だが、これは30代前半の女性に多いと思う。20代後半の女性なら、30歳という足音が結婚を決断するための絶好の後押しになったりするが、30歳を過ぎると少し開き直るのか、あるいはより慎重になるのか、とにかく理想が高くなるわけだ。

さて、翻って僕の場合はどうか。冒頭に書いたように、妻と結婚生活を送る中で「こんなはずじゃなかった」と思うことは多々あるものの、それでも自分の結婚相手探しにミスがあったとか、結婚が時期尚早だったとか、そういう後悔の念はまったくない。別にのろけるつもりはないが、現在の妻こそが「運命の人」だと断言できる。

それはきっと、僕が勝手に「彼女こそ、自分にとって唯一無二の運命の人だ」と設定したからだろう。「運命の人」が誰かなんて命題に正確な答えはないのだから、だったら自分で答えを設定するまでだ。つまり、「運命の人」とは神の采配によって奇跡的に出会うものではなく、自分が出会った異性の中から、自分が「この人だ」と任命するものなのだ。

そして、いざ特定の異性に「運命の人」という設定を与えたなら、結婚後はその設定を既成事実にしたうえで、あらゆる困難が降りかかるたびに、「彼女(彼)は自分の運命の人なのだから~」と自分に言い聞かせながら乗り越えていく。ある種のおまじないである。

仕事における人材育成の極意のひとつに「地位や役職が人を育てる」という言葉があるが、この「運命の人」もまさにそういうことだと思う。現時点ではまだまだ未熟な平社員たちの中から、もっとも期待できる人材を上司が勝手に選び、その人物になんらかの役職や肩書きを先に与えることで、人材育成を試みる。そうすることで最初はその役職や肩書に不釣り合いな能力しか発揮できない人間でも、不思議なものでだんだんそれに見合う人物に育っていったりする。上司も上司で、自分が任命した以上、強い責任感と忍耐力をもって人材が育つのを待つようになるわけだ。

夫婦生活もこれに似た部分があり、最初から完璧な夫や妻、あるいは子供をもつ父や母はいない。結婚するときに夫は妻に対して「運命の人」という地位を心の中で与え、妻も夫に対して同じ地位を与える。あとは、お互いが任命責任をもって根気良く育っていくのを待つのみだ。「運命の人」とは、すなわち決意のあらわれなのだ。

<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち)
小説家・エッセイスト。1976年大阪府出身。早稲田大学卒業。『神童チェリー』『雑草女に敵なし!』『SimpleHeart』『芸能人に学ぶビジネス力』など著書多数。中でも『雑草女に敵なし!』はコミカライズもされた。また、最新刊の長編小説『虎がにじんだ夕暮れ』(PHP研究所)=写真=が、10月25日に発売された。各種番組などのコメンテーター・MCとしても活動しており、私生活では愛妻・チーと愛犬・ポンポン丸と暮らすマイペースで偏屈な亭主。

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