英国がこのほど、EU(欧州連合)に離脱を正式に通知しました。昨年6月の国民投票でEU離脱派が勝利して以来、約9カ月たってようやく正式に動き出しました。今後は英国とEUとの間で離脱条件や新たな貿易協定などについての交渉が始まり、原則として2年以内に交渉がまとまれば英国は正式にEUから離れることになります。しかし交渉は難航が予想されるうえ、英国内ではスコットランド独立問題など多くの火種を抱えており、実際のEU離脱までの道のりはなお不透明です。

交渉の大きなテーマは移民と貿易

英国とEUとの交渉で大きなテーマとなるのは、移民と貿易の扱いです。英国のEU離脱の最大の動機となったのが移民問題ですから、英国政府は移民制限を優先したい考えです。その一方で、関税ゼロなど従来通りのEUとの貿易関係をできるだけ維持したいと考えており、そのために英国とEUとの間でFTA(自由貿易協定)を結ぶことをめざしています。

しかしこれはEU側から見れば、「英国のいいとこ取り」に写ります。「EUから離脱して移民制限など自国優先策をとろうとしているのに、貿易面でEU加盟国と同じ条件を得ようとするのは、虫が良すぎる」と言うわけで、EUのトゥスク大統領は「EUの犠牲を最小化することが最優先だ」と厳しい姿勢を示しています。英国を特別扱いして甘い態度をとれば、他の加盟国でもEU離脱の動きが出てくるおそれがあるからです。

貿易協定というのは、数多くの品目・サービスの一つ一つについて関税や輸出入手続きなどについて取り決めるもので、その交渉は膨大な作業を要するのが普通です。交渉の当事者が基本的な考えや方向で一致していても、すべて合意できるまでには相当な時間がかかるもので、ましてや英国とEUは基本的な考え方で対立しているのですから、交渉の難航は避けられないでしょう。

移民政策については、こんな難問もあります。それは現在、英国内に住んでいるEU加盟国の国民が約330万人、EU各国にいる英国民が120万人もいるという事実です。現在は英国もEU加盟国ですから、これらの人たちはビザなど不要ですが、英国がEUから離脱すれば、通常ならそれぞれビザが必要になるはずです。しかし離脱と同時にそれらの人たちにすべて新規のビザを要求するのかどうか、さもなければ相当数の人を一斉に英国へ、あるいはEU各国へ帰国させるのかなど大問題で、やり方を間違えれば大混乱となりかねません。

「2年間の交渉」をめぐる3つのシナリオ

実際には、激変を避けるため一定期間は現状通りの居住を認めるなど何らかの移行措置をとる可能性が高いでしょうが、そうした具体的なことを一つ一つ決めていかなければならないのです。こうしてみると、英国とEUとの交渉はテーマが多岐にわたるにもかかわらず、どれをとっても両者の対立が深そうで、それらすべてを2年間のうちに合意することは困難との見方が強まっています。

この「2年間の交渉」は、EUの基本的な枠組みを定めた基本条約(リスボン条約)の規定によるものです。ただ2年間と言っても、実際の離脱前後の混乱を避けるためには、その半年前ごろ、つまり来年秋ごろまでに交渉をまとめる必要があり、実質的な交渉期間は1年半程度しかありません。

ここで、その2年間という期間をめぐっては3つのシナリオが考えられます。1つ目は、2年以内に合意が達成できるケース。これがベストシナリオですが、前述のようにかなり困難ではないかと見られます。

もし2年間で合意に達しない場合は交渉期間を延長することができます。これが第2のシナリオで、交渉期間を延長したうえで合意を目指すことになります。どのような合意内容になるかは別にして、おそらくその可能性が最も高いと見られます。

しかし交渉延期のためには全加盟国の同意が必要で、それができない場合も想定されます。そのケースでは、離脱条件や離脱後の貿易協定などが決まらないまま時間切れとなって、英国が2年後にEUを離脱することになります。これが第3のシナリオで、いわば「強制離脱」、最悪のシナリオです。そうなればショックが世界中に広がり世界同時株安が起きる恐れもありますが、市場ではその可能性もささやかれ始めています。

「2年間の交渉」をめぐる3つのシナリオ

英国が国内で抱える難題

このように、英国にとってEUとの交渉はハードルが高いのですが、国内でも難題を抱えています。スコットランドの独立問題と北アイルランド政情不安の再燃のおそれです。これについては、昨年8~9月に英国取材の様子を本連載で書きましたが(第70回、2016年9月20付け)、その時点より問題が大きくなっているようです。

まずスコットランドの独立問題。もともとスコットランドは歴史的ないきさつから独立意識が強いのですが、その一方でイングランドと比べて経済格差があるためEUからの補助金を多く受けているという特徴があります。そのためスコットランドで2014年に英国からの独立を問う住民投票が行われたものの、独立は否決されました。しかしそれは英国がEUの一員であることが前提でした。昨年6月のEU離脱をめぐる国民投票でも、スコットランドでは残留支持が6割を超えていました。

しかしその国民投票で英国のEU離脱が決まったことから、スコットランドで独立機運が再び高まりを見せているのです。この3月にスコットランド行政府のスタージョン首相は「英国がEUを離脱する予定の2019年春までに、独立を問う住民投票を改めて行う」と言明し、スコットランド議会もこれに同調しています。2014年の住民投票で独立が否決されて以後は独立機運が沈静化したかに見えたのに、EU離脱決定が独立の動きに再び火をつけてしまった形です。

ただ最近のスコットランド住民を対象とした世論調査では、独立反対の方が上回っていました。スコットランド行政府や独立派は英国から独立した上でEUに加盟するとの考えですが、それをEUが認めるかどうかは不透明です。独立して自力で経済が成り立つのかどうか、通貨はどうするのかなど、独立後の国家像もあいまいです。しかしそれでも、英国にとってはEUとの交渉だけでも難仕事な上に、スコットランドの独立問題にも対応しなければならないという、頭の痛い状況が続くことになるわけです。

もう一つの難題が北アイルランド問題です。この歴史的な背景についても本連載の第70回で詳しく書いた通りですが、簡単に説明しますと、1922年にアイルランドが英国から独立した際、アイルランド島北部の6州だけが英国に残留しました。これが北アイルランドです。しかしそれ以来、北アイルランド内部では英国からの独立とアイルランドとの統合を要求する勢力が根強くあり、非合法武装組織IRA(アイルランド共和国軍)による武装闘争とテロが長年続いていました。これに加えて、カトリック系住民とプロテスタント系住民の対立が激化し双方が武装して衝突を繰り返してきたという悲惨な歴史があります。

1998年にようやく和平が成立し、新たに北アイルランド自治政府と議会が設立されました。IRAも武装解除して、北アイルランドは安全で平和な地域となり今日に至っています。その時の和平条件の一つとして、英国の一部である北アイルランドと隣国・アイルランド共和国の自由な往来も合意され、今では両国の国境では入国管理などは一切行っていません。英国もアイルランド共和国もEU加盟国でしたから、それも自然なことだったわけです。

ところが今回の英国のEU離脱によって、その和平の前提が怪しくなっているのです。今後の英国とEUの交渉次第ですが、一般的に言えば、非EUとなる英国とEU加盟国であるアイルランドとの国境では人やモノの出入国のチェックが必要になりますから、和平条件を変更することになります。これは当然、北アイルランドの独立派を刺激することにつながります。現に最近は、英国からの独立とアイルランドへの統合を主張する民族政党が躍進しているそうです。

今のところ、スコットランドのように独立問題が差し迫ったテーマになっているわけではなさそうですが、それでも北アイルランド問題は複雑な問題を抱えているだけに今後の展開には注意が必要です。

幸い、英国の経済は今のところ堅調さを保っています。株価の代表的指数であるFTSE100は昨年6月の国民投票前後に急落しましたが、すぐに持ち直して以降は高値更新を続け、現在も高値圏で推移しています。実質GDPも昨年7-9月期、同10-12月期ともに前年同期比2.0%増となり、国民投票以前の昨年1-3月期の1.6%増、4-6月期の1.7%増をやや上回る結果となっています。

英国の株価(FTSE100)は国民投票後に急落したが、以降は高値更新を続ける

その意味では国民投票前以前に懸念されていた「EU離脱になれば英国経済は悪化する」との事態は避けられていると言えます。しかし小売売上高のデータを見ると、昨年後半は前年同月比で4%台から7%台の高めの伸びを続けていたのに対し、今年に入ってからは1月が1.5%増、2月は3.7%増にとどまっています。これも決して悪い数字とは言えませんが、伸び悩みの傾向が出ていることは否定できません。

今後は、EUとの離脱交渉の進展状況や国内政治状況によっては景気にマイナスの影響が出てくる可能性がありますし、英国に立地している企業が工場設備や拠点機能を欧州大陸側に移転する動きが広がることも予想されます。4~5月のフランス大統領選、秋のドイツの総選挙などの結果次第では、英国のEU離脱交渉にも影響が出る可能性も頭に入れておいた方がいいでしょう。

欧州の今後の主な政治日程

執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)

1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。

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