ノーテーマ

このコラムは担当が出して来たテーマに沿ってかかれていたのだが、担当が急に異動になったため、新しいテーマがまだ来ておらず、現在ノーテーマである。

決して、担当のテーマは書きやすい、というわけではなかった、中には「畳VSフローリング」という、貴様はこの両者がタイマンを張っているところを見たことがあるのか、というような何を書いていいのか皆目見当もつかぬテーマもあった。

しかし、どんなテーマでも「好きに書け」と言われるよりマシだったのである。つまり今、書くことが皆無だ。

テーマさえあれば書ける、というなら、自分で「靴の裏」とかどんなクソテーマでもいいから決めて書けばいいじゃないかと思うかもしれないが、それではダメなのだ。

話は変わるが、SNSで「質問箱」というのが流行った。匿名で送られてきた質問に、ツイッターなどで答える、というものだ、こういう質問系は定期的に流行るので、やはり人間、大なり小なり自分のことを語りたい、ということである。

私は、この質問箱をやったことがない。何故なら「語りたいことがあるなら聞かれなくても勝手に語ればいいじゃないか」と思っていたからだ。

むしろ、俺たちオタクは常にそうやって乱世を生き抜いてきたんじゃねえのかよ、と思っていた。

そもそも質問だって、送られてきたものからどれを答えるか、は自分で選ぶのだ、つまり「君、いい質問するじゃないか、素質があるよ」という興が乗る質問から答え、逆に下着の色や耳クソの粘性を訪ねてくるような不快なものや、答えたくない質問はスルーするのである。

だったら、最初から他人から質問など募らずに、誰も聞いてなかろうが、自分が言いたいことだけ言えばいいじゃねえか、ここは地獄のインターネットだぞ、と思っていた。

そう「思っていた」

今ならわかる、やはり質問や出題、というのは他人にされることに意義があるのだ。

好きなことを語ればいいと言われても、意外と語りたいことがないのだ。つまり、言いたいことが言えない世の中以前に、言いたいことが特にない自分の生き様がポイズンなのである。

しかし、恋人がいなくても性欲があるのと同じように、語ることは特になくても、自分のことを語りたい欲求、わかってほしい欲求だけはあるのだ。

だから言う「何か質問ある?」と

つまり、相手はお他人様から寄せられる質問というのは、何か語りたいんだが何を語ってよいかすらわからん、というポイズン野郎にとっては、貴重なヒントでありきっかけなのだ。

それに、誰も聞いてない話を突然語りだしていいのが、地獄のインターネットだが、それでも「聞いてねえよ」という突っ込みは痛い。それに対し、質問というのは「聞かれたから、答えた」という大きな免罪符にもなる。

もちろん、インターネットは地獄なので、聞かれたから答えたのに「ご意見番気取りか」と怒られる、という、さらなるインフェルノが起こることもあるが、それでも勝手にご意見を言うよりは「聞かれたから」という保険があった方が安心だ。

つまり、質問箱のようなものは人間にとって「すごくいい感じのツール」なのである。

だから、コラムを書くにも、どんなクソテーマでも、自分で考えたクソより他人の考えたクソの方が遙かに書きやすいのである。

しかし、この「質問箱」自作自演が結構あったことが暴露されている。つまり、自分で答えたいことを「人から質問があった体」にして答えていたということである。

私が20歳若かったら同じようなことをしていただろうから、全く笑えないのだが、最も笑えないのが、それを暴露したのが、質問箱の運営側だったということである。

「ホント インターネット戦は地獄だぜ! フゥハハハーハァー! 」と、フルメタルジャケットの機関銃手の顔になってしまう話だが、私だって、いつ「担当からこういうテーマが来た」という体で、今一番アツい推しキャラのことを語り始めてしまうかわからない。

それを暴露されるぐらいなら「担当からこういうテーマが来た」ではなく、潔く「担当からテーマが来たが、俺はそれを無視して推しのことについて語る」と明言して語ろうと思う。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。