漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

→これまでのお話はこちら


今回のテーマは「新聞」である。

話は変わるが先週、私の親父が意識不明状態で風呂場で発見されたそうだ。結論から言うと死んではおらず、現在快方に向かっているそうである。

親父が風呂に入ったまま3時間くらい出てこなかったため、不審に思った兄が様子を見たところ、湯船で意識を失っていたという。

もっと早く気づけよと思うかもしれないが、元々親父殿は「毎日風呂に2時間くらい入る」というヒロインムーブをかましていたため発見が遅れてしまった。

つまり風呂は平素から長風呂のドラエモソヒロインではなく「40秒で済ませる」というヅブリヒロイン方式を採用していた方が良いということだ。

0歳と10歳であれば昆虫と猛禽ぐらいの差を感じるが、100歳と110歳となればもはや「両方樹木」にしか見えないように、数字というのはデカくなるほど誤差許容値もデカくなってしまうのである。

2時間風呂に入る人間が家族に異変を感じてもらうには3時間ぐらいかかってしまうが、40秒しか入らない奴なら5分出てこなかった時点で周囲は「事件性」を感じるはずである。

ともあれ「風呂で倒れ長時間発見されなかった」というのはどう考えてもヤバい状態である。

生きているうちに駆け付けた方が良いやつなのではと思ったが母の返答は「来なくていい」であった。

ちなみに運び込まれた病院は遠方というわけではなく、車で1時間程度の場所だ。

母曰く「今、意識不明で呼吸器をつけて集中治療室にいる状態だから来なくていい」とのことである。

いや、だからこそ行くべきなのではないのかと思ったが、母的には「どうにもならないから来なくて良い」ということらしい。

確かに自分が行ったところで父が目覚めるわけではないのだが、大半の子どもが倒れた親の元に駆け付けるのは、キッスやビンタで目覚めさせるためではなく、意識はなくともそばにいたり、動転する母に寄り添ったりするためなのではないだろうか。

だがおそらくそういう行為は母にとって「無意味」であり、さらにそもそも「母がそんなに動転していない」という事実が電話の向こうで繰り広げられている。

つまり「命に別状はない」という状況だから急いでくる必要はないということなのかと思ったが、「社交辞令」の恐れがある。

日本には「お返しは結構ですから」と言いながら、相手がそれを真に受けると「何のお礼もありゃしない」と周りに言いふらしたり、ツイッターに書いたりする悪習がある。

つまり「結構ですから」と言われても額面通り受け取らずにお返しをして「却ってお気をつかわせてすみません」とお互いエターナルおじぎをするまでが社会、という文化なのである。

よって本当は今すぐ来ないとヤバい状態なのに「来なくていい」と言っている可能性がある。

娘相手に社交ジレってどうするんだ、という気もするが、私は社会性を母の子宮に置いてきて生まれた存在なのだ。

つまり、母は常人の2倍社会性を配合している、という逆に異常な状態なので、娘相手にもジレっている可能性は十分にある。

確かに、今すぐ命に別状がないなら、面会謝絶状態のところに行っても無意味と言えば無意味だし、むしろ「今お前に来られても迷惑でしかない」という可能性もある。

「葬儀は親族のみで執り行います」という報せの裏を読んで駆け付けてしまい、逆に相手の仕事を増やしてしまうパターンだ。

もう親父は今すぐ死ぬのか死なないのかはっきり言ってくれと思ったが、社会性がない割に「それで親父は死ぬん?」とは聞けず、とりあえず「こなくていい」と1点張りの母にわかった、と言って電話を切った。

そして、夫に「父が倒れて意識不明である」と伝えると、大そう驚いていたが「だが、行かない」というともっと驚き「行った方がいいのではないか」「先方が来るなと言っている」「せやかて、工藤」というやりとりを計3回ぐらい繰り返し、その間夫は2往復ぐらいソファを立ったり座ったりしていた。

やはり行かないのは夫の目から見てもおかしいようなのだが、もし「来なくて良い」が本音なのに夫と共に駆け付けたら、母側は夫に対し気をつかわなければならず余計負担になるというのも事実なのである。

結局、母の言う通り行くのはやめ、その後快方に向かっているという連絡がきたので事なきを得たのだが、一歩間違えれば「せやかて」「工藤」と言っている間に親父が身罷るという可能性もあったのだ。

もし今度同じことが起こったら「それで死ぬのか」とはっきり聞こうと思う。

テーマの新聞を完全に無視しているのだが、我が実家では新聞は父が改めた後にしか家族は読めないというルールがあった。

すぐに済ませてくれれば良いのだが、大体家族の元に来るのは「3日後」だったため、ホットなニュースがすっかり冷めているという、おキャット様舌に優しい仕様の新聞になってしまっていた。

今実家に父がいないので、家族はリアルタイムで新聞が読めているはずである。

しかし、当時は迷惑でもいざそれがなくなると「3日寝かした新聞」が懐かしくなるものなのかもしれない。

何度も言うが、親父はまだ生きている。