無職になって一か月が経った。この一か月を一言で言うと「有言実行」である。

以前「無職になったら会社に費やしていた一日約10時間を丸々、虚空を見つめるのに使う」と宣言していたが、全くその通りになっている。唯一公約違反があるとしたら「12時間虚空を見つめている」と言う点だが、そこは大は小を兼ねる、である。

何故なら、10時間も時間が増えたら、執筆業にかなりの余裕がデキるはずである、それがこの一月「全部ギリギリ」もしくは「会社に行っていたときよりギリギリ」なのである。もはや、私が会社を辞めた瞬間、一日が12時間に短縮されたとしか思えない。

よって今、夜神月の顔で「計画通り」と思っているのだが、その反面「まさかここまでとは」と少し自分の才能を恐ろしくも感じている。

しかし、退職前にこうなることを予想していて本当に良かった、もし「無職になったら宅建の資格とる」などと言っていたら、今頃自分にがっかりしすぎて自害しているところだ、自分に先見性とリスクヘッジ能力があって本当に良かった。

だが無職生活は「金のこと」を除けば全部良い。それは「健康だけど心臓が止まっている」と同じではないか、と主ななくもないが、逆に「全身複雑骨折で風邪も引いてるが心臓は良いビートを刻んでいる」でもダメなのである。

無職の良いところは、まず他人と接しなくて良いところ、さらに外に出なくていい、というところだ、この1か月、半分以上は家から1歩も出なかったし、家族と店の店員、宅配便の人意外と話してない。もうこの二点だけでも「心臓を止めた甲斐があった」と思える。

それ故にひと月で完全に「社会復帰できる気がしなくなった」J-POPの如く、毎日朝6時に起きて会社に行っていた「あの日の自分を上手く思い出せない」

しかし、今は良いが執筆の仕事がなくなったら、再び外で働かなければならないだろう、むしろそうなる可能性が高い。

よって私は毎日「これを我慢すれば、1日無職でいられる時間が増える」と思いながら生きている。具体的には「この10連ガチャを我慢すれば、あと1日無職でいられる」などだ。

あしたのジョーが「あしたのため」に左ジャブを打ったように、私もあした無職でいるために、極力何もしないようにしているのだ、何かすると金がかかるし腹が減る。

だが、これは私が無職に向いているからである。「無職の才能があった」と言っても良い。 世の中にはフリーランスで収入もありながら「人と会話したい」という理由でコンビニバイトする人だっているのだ。

その話を聞いた時は「変態かな」と思ったが、そういう人からすると、1日12時間虚空を見つめている私が「何故発狂しないのか」不思議に思えるのだろう。

このように、仕事には圧倒的に「向き、不向き」がある、「仕事は選ばなければある」のは確かかもしれないが、長く続けられない仕事に就いても意味がないし、それで体を壊したら本末転倒だ。仕事を辞めることは心臓を止めることかもしれないが、向いていない仕事を続けると、全身複雑骨折の上風邪も引いて、そのうち心臓も止まるとことになる。

私のように「無職」という「天職」に出会える人間は稀かもしれないが、それでも「比較的苦ではない」程度の職を選んだ方が良いと思う。

その昔、如何に自分が会社員に向いてないか友達に延々愚痴ったことがあった。余りにもネガティブで同じことを何度も繰り返し言ったせいか、その友人は少しいらだった様子で「じゃあ何なら向いているの」と言った。

私は一瞬たりとも考えず「何にも向いてない」と答えた。

すると友人は、「そんなこと言うなよ、綾波……」と、エヴァンゲリオンのシンジ君のモノマネで私を激励してくれた。

おそらく普通の人間なら「人間に向いてないから地球から出ていけ」と言うところである。

それから10年後、その友人ともしばらく会っていないが「やっと無職という自分に向いた仕事を見つけた」ということだけは伝えたい。

ちなみに、執筆業の方だが、少なくとも漫画家には向いていない。すでに学生時代の適性検査で、「美術への関心が高いが適正はゼロ」と出ていたほどだ。

このように「好きだけど全く向いていない」という、悲劇もある、仕事というのは、好きでも嫌いでもない、程度がちょうどいいのかもしれない。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。