連載:アナログ時代のクルマたち|Vol. 75 ランボルギーニ・エスパーダ

生まれて初めてランボルギーニという車を見たのは、1969年の東京オートショー。後に輸入車ショーと名を変えた記憶があるが、定かではない。いずれにしても東京モーターショーとは区別されて、輸入車のみのショーであった。

【画像】ランボルギーニ・エスパーダとマルツァル、ジャガー・ピラーナ(写真11点)

この年、ミツワ自動車(当時はポルシェの輸入で有名だった)が輸入したランボルギーニは2台。1台は真紅のミウラ。そしてもう1台が、ブルーに塗装されたエスパーダであった。どちらも強烈な個性を放つモデルだったが、なぜかこの時はブルーのエスパーダに興味をひかれた。車両紹介には「エスパダ」の表記があり、なんとなく時代を反映している。その後、多くのランボルギーニに試乗する機会に恵まれ、80年代以前のランボルギーニはほぼ乗りつくしたのだが、なぜかエスパーダだけは乗れずじまい。そんなこともあって、今もエスパーダにはとても興味がある。

この車が誕生したのは1968年のこと。すでに、デザイナーがガンディーニの時代であった、ベルトーネの作品である。つまり、1969年の東京オートショーにこの車がやってきたということは、生まれたてホヤホヤの車が日本にやってきたということで、それだけ新鮮に映ったのかもしれない。スタイリングのテーマ自体は前年、すなわち1967年に登場したランボルギーニのコンセプトカー、マルツァルに端を発し、その後ジャガー・ピラーナを経てエスパーダに辿り着く。基本的スタイリング・テーマは、3車に共通しているが、マルツァルの場合、エンジンは4座のリアシート背後に横置きされた直6エンジンを搭載しているのに対し、ピラーナはベースがEタイプであったことから、フロントに直6エンジンを搭載していて、エスパーダの基本はこちらと見た方がよい。

搭載しているエンジンは、基本的にイスレロ用と同じ3.9リッターV12である。そしてシャシーだが、TP400と呼ばれたミウラ用のシャシーをベースに、大改造を加えたものだそうだが、エンジンは横置きミッドから縦置きフロントに変更されているから、大改造というよりもほぼ作り直しだったと考えられる。

フェルッチョ・ランボルギーニは、ロールス・ロイスの快適性と、イタリアン・スーパースポーツの性能を合体させたモデルを目論んでいた。これがエスパーダ開発の起点で、1965年当時、この構想は実行に移され、TP400のベアシャシーがまず登場。その後、1966年にはボディを被せたミウラが登場。次の年のジュネーヴショーには、4シーターのマルツァルが登場。そして同じ年のロンドンショーに、ジャガー・ピラーナがデビューするという時系列だが、フェルッチョはマルツァルのスタイリングはよいとしても、ガラスのガルウィングドアには完全に反対だったようである。そして、ジャガー・ピラーナのオファーがベルトーネに届くのが何時だったかは定かではないものの、このオファーはジャガーからではなく、イギリスの新聞社、デイリーテレグラフからだったことが、後のエスパーダ完成に大きな影響を及ぼした。

ピラーナは、2+2Eタイプのメカニカルトレーンを使って、優雅でスポーティーで、妥協のない車を目指したものであり、それはまさにフェルッチョが求めていたロールス・ロイスとイタリアンスポーツの合体そのものであった。そして、ピラーナのデザインが、メーカーからのオファーでなかったことが幸いし、ピラーナをベースにエスパーダの開発が始まったのである。

ガンディーニがピラーナの木型をもとに作り上げた最初のプロトタイプでは、再びマルツァルのようなガルウィングドアが提示されたが、フェルッチョがそれを承認することはなく、結局ノーマルなドア形式が採用されることになった。このガルウィングドアのエスパーダプロトタイプは、ランボルギーニ博物館に展示されているようである。

さて、エスパーダは1968年から78年までの10年間生産され、68年~69年までのシリーズ1、69年~72年までのシリーズ2、そして72年~78年までのシリーズ3と3世代のモデルが存在し、それぞれ内外装、それにエンジンやサスペンションのセッティングなども、微妙に異なる。

ロッソビアンコ博物館のエスパーダは、ホイールを見る限りシリーズ1のモデルだ。しかし、クォーターウィンドーを通して見えるリアのウィンドーには、ウィンドーグリルが写っておらず、さらにフロントの三角窓も開閉式ではないように見える。初期シリーズ1のエスパーダには、リアウィンドーグリル(縦格子がついていた)と、開閉式の三角窓がついているのだが、それが見て取れない。確かにシリーズ1と称するモデルに、リアの格子がないものもあるが、それでも三角窓は開閉するはずなので、果たしてこの車がどの世代のモデルか残念ながら判然としない。

文:中村孝仁 写真:T. Etoh