
RMサザビーズがモナコで4月25日に開催するオークションに、1984年製フェラーリ308GT/Mが出品されることが明らかになった。フェラーリ史上、最も重要なマシンでありながら意外と”見過ごされて”きた1台とも呼ばれている。推定落札価格は150万〜200万ユーロ(約2億5,000万〜3億3,000万円)。
【画像】世界に3台しか存在しないレアなマシン、フェラーリ308GT/Mのスパルタンなディテール(写真38点)
288GTO、F40、F50、エンツォ、ラ フェラーリ、そしてF80は現代フェラーリの”スペチアーレ”を彩る傑作として広く知られている。しかし、その系譜の最上流に位置するにもかかわらず、コレクター界ですら十分に認知されていない1台が308GT/Mだと言われている。しかも、わずか3台しか製造されていない308GT/Mのシャシーナンバー001である。
308GT/Mの「M」とは、イタリア・パドヴァを拠点とする工房、ミケロット(Michelotto)を指す。ミケロットはフェラーリのディーラーとレースエンジニアリング会社を兼ねており、すでにランチア・ストラトスをラリー仕様にチューニングして数々の勝利を収めた実績を持っていた。その手腕を見込んだフェラーリが、グループBホモロゲーション車両の開発をミケロットに委ねたのは自然な流れだった。
開発は1982年11月にスタートした。まず、ボッシュ燃料噴射式の4バルブ・3.0リッター自然吸気V8エンジンは横置きから縦置きレイアウトに変更された。エンジン縦置き化の理由は単純明快だ。ラリーのサービスパークでの迅速な整備を可能にするため、重要部品への素早いアクセスが不可欠だったからだ。
そして、最高出力は310馬力から約370馬力へと引き上げられ、ヒューランド製5速マニュアルトランスミッションが組み合わせられた。F1由来のボルグ&ベック製クラッチを収めるため上下逆さまに搭載されていた。
ダブルウィッシュボーン・サスペンションにはロッドエンドジョイントが採用され、ビルシュタイン製ダンパーと組み合わされた。ブレンボがベンチレーテッドディスクと4ポッドキャリパーを供給し、ラリーステージのヘアピンをこなすための油圧式サイドブレーキも装備された。
軽量化のためにカーボンファイバーとケブラーを用いた複合素材ボディは、 イタリア・モデナ近郊のバスティリアに拠点を置くカロッツェリア・オート・スポーツが手掛け、総重量わずか840kgを実現。実は308GT/MはF1以外のフェラーリ・レースカーとして初めて複合素材ボディを採用した車両でもある。
テストの結果は目を見張るものだった。0-100km/h加速は4秒以下、最高速度は270km/hに達した。そして、フィオラノでの開発テストにおいて308GT/Mが記録したラップタイムは、288GTO、F40、さらには大排気量V12エンジンを積む512 BB/LMすら上回るものだった。512 BB/LMとの比較では約2秒、288GTOとの比較では(路上用タイヤを装着していたGTOに対し)10秒以上も速かったというから、桁違いの速さを誇っていた。
ただ、308GT/Mが量産レースへの参戦を果たすことはなかった。フェラーリはアウディ・クワトロの登場に”四輪駆動なしでは勝てない”という現実を直視し、このプロジェクトを断念した。時代は後輪駆動の限界を超えつつあり、四輪駆動のアウディ・クワトロやプジョー205ターボ16が台頭していたのだ。3台製造された308GT/Mのうち、実際にラリーに出走したのはシャシーナンバー002のみで、1984年ラリー・モンツァでのことだった。ラレ・ピントがドライブし、トップを走りながらもクラッシュで退いた。
308GT/Mの開発で積み重ねられた技術と知見は、無駄にはならなかった。ミケロットはその後、308GT/Mでの経験をもとに288 GTOエヴォルツィオーネの開発に参加。それが変化したスポーツ規則のもとでF40開発のための実験車両となり、フェラーリ史上最も象徴的なスーパーカーへの橋渡し役を果たしたのだから。
308GT/Mのその後
秘密裏に開発が進んでいた308GT/Mの存在を嗅ぎつけたのがフェラーリの熱心な顧客でベルギーの貴族で富豪だった、ジャン・ブラトンだ。彼はただの”お金持ちのフェラーリ好き”ではなかった。不動産・建設業界の大富豪でありながら、「ブールリス(Beurlys)」のレースネームで1963年と1964年のル・マン24時間レースに250GTOで出走した、本物のレーサーでもあった。
ブラトンはマラネッロに直談判し、フェラーリの販売代理店であるガラージュ・フランコルシャン経由でシャシー001の購入に成功。エキュリー・フランコルシャンのチーム名のもと、1980年代を通じてこの車をクラブイベントで走らせた。その戦歴は記録に残されており、詳細がつまびらかになっている。
1984年5月のルクセンブルク・グッドイヤーサーキットでのデビューを皮切りに、1985年6月にはザンドフールトのファイナルレースで優勝。1986年9月の同サーキットでも再び優勝を飾り、1987年6月にはベルギーのゾルダーでも勝利を収めた。その後も1992年のスパ・フランコルシャン、1995年のイタリア・ムジェロと、晩年まで走り続けた。ブラトンがこの車を手放したのは1996年1月のこと。
売却先はフェラーリ・オーナーズクラブ・フランスの元会長ギ・ドメ氏で、その後2005年にはモデナ近郊のレースショップでサン・マリノ・スーパーレジェンド・ラリーへの参戦準備が行われた記録も残っている。2006年12月にはアメリカ人オーナーの手に渡り、フェラーリ=マセラティ・ヒストリック・チャレンジに出走。フロリダ、ウィスコンシン、コネチカット、カリフォルニア、バージニアの各サーキットで走り続けた。
現在、この車に搭載されているエンジンはちょっとミステリアス。というのもRMサザビーズの出品資料には”特別な実験用エンジン・Tipo F105L”という気になる一文が記されているのだ。要するに、現在積まれているエンジンはオリジナルではない、ということだろう。アメリカでのサーキット活動と大規模整備の過程で、いつしか実験的な仕様のエンジンに換装されたとみられる。
また、RMサザビーズでは入札者に向けて「ミケロットに持ち込み、オリジナルに近い仕様に戻すことができる」とわざわざ案内している。世界に3台しか存在しないレアなマシンでありながらも、オリジナルエンジンでないことがどう評価されるのか落札結果が気になるところだ。
文:古賀貴司(自動車王国)
Words: Takashi KOGA (carkingdom) Photography: Darin Schnabel (c) 2026 Courtesy of RM Sothebys