15年前、37歳で結婚した清水浩司さん。入籍からまもなく妻・睦(むつみ)さんの妊娠がわかり、さらに直腸がんのステージ3であることが判明。息子・ぺ〜くんは無事産まれたものの、治療開始から3カ月後にがんの転移がわかり、浩司さんは会社を退職して睦さんの故郷へ生活と治療の拠点を移すことに決めました。しかしその直後、睦さんの容体は急変——。

生きるとは、働くとは、幸せとはなにか考えるシリーズ「生きる、働く、ときどき病」。今回は清水浩司さんにお話を伺います。

前回の『妊娠5カ月で大腸がんに。結婚、妊娠、がん発覚、出産、手術……急展開の中『夫婦名義ブログ』開始のワケと“息子の存在”』に続き、全3回のインタビューの2回目です。

入籍から1年4カ月、最愛の妻との別れ

2010年6月、睦さんの故郷である福島県いわき市に引っ越し、病院も転院することとなった浩司さん一家。睦さんとぺ〜くんは先に福島へ、浩司さんは川崎に残り、退職の手続きなどを行っていました。実家近くの病院で入退院を繰り返しながら治療していた睦さんでしたが、7月、容体が急変します。浩司さんはいわきへ向かう高速バスの中でその知らせを受けました。

  • 睦さんが通院治療中で、家族3人が川崎で過ごせていたころの一枚

    睦さんが通院治療中で、家族3人が川崎で過ごせていたころの一枚

「東京駅から3時間くらいかけて福島に向かう高速バスの中で、義弟からの連絡でヨメが亡くなったと聞きました。僕は、ヨメとの別れの瞬間に間に合いませんでした。

ヨメは亡くなる2日前の夜に体調が急変したものの翌日には少し落ち着き、『ひとりになって考えたい』と家族の付き添いを拒んだらしいのです。家族がいったん帰宅した1時間後に病院から電話があり、駆けつけたときにはもう意識を失って、そのまま戻らなかったそうです。最後の最後、ヨメはだれにも甘えず1人で旅立ちました」(浩司さん)

入籍から1年4カ月の、あまりに早い別れ。浩司さんは当時の感情を「まひしていた」と振り返ります。

「しばらくは現実味がないというか、あまり感情が動きませんでした。初めて喪主を経験して、葬儀、通夜などのやるべきことをこなすなかで、悲しいという感情が出てこないんです。自分は身近な人の死をこんなにクールに受け止めるのか、冷たい人間だな、と思いました」(浩司さん)

しかし、睦さんの旅立ちから数カ月後のこと。浩司さんの深い悲しみは、うつ病という形で現れました。

「あまりに大変な出来事の渦中にいるときって、興奮して気を張っているんでしょうね。でもだんだん日常に戻っていったときに、その奥底にあった感情が一気に押し寄せるのかもしれません。

僕の場合は、信頼している先輩からのメールが引き金になったと思います。これからの仕事のことやぺ〜のことなどをどうするかしっかり考えなさいというアドバイスでしたが、すごく自分を責められているように感じてしまったんです。1年以上に及ぶ闘病生活の疲れも相当たまっていたんだと思います」(浩司さん)

深い悲しみ、そして感じた怒り

心の不調を感じた浩司さんは、すぐに心療内科を受診しました。

「ヨメの闘病中から無理をしている自覚はありました。あまりに感情をたくさん使いすぎているというか。たとえば、高校野球ではピッチャーの肩を守るための投球制限がありますけど、その制限を無視して投げていたような感じです。『今の状況は全部自分の肩にかかっている。だから、たとえこの腕が折れても投げ抜かないといけない!』――そんなヒロイズムのような気持ちが自分を支えていたのかもしれません。完全に自分のキャパシティを超えたことをやっていた。ある意味、感情の前借りをしていたんです。だからきっと終わった後に反動が来るだろうと思っていたし、それがちゃんと来たんだな、と感じました。すぐに受診して、薬を飲みながら過ごしました」(浩司さん)

そのころ、闘病中に夫婦が書いていたブログ『がんフーフー日記』が書籍化することが決まりました。浩司さんは、ぺ〜くんのお世話を福島の睦さんの実家にお願いし、もともと夫婦で暮らしていた川崎のマンションで執筆作業をしなくてはいけませんでしたが、それもままならない状況でした。

  • 「妻が生きた証を遺したい」という思いでまとめた本。表紙のイラストは睦さんが育児ノートに描いていたぺ~くんの姿

    「妻が生きた証を遺したい」という思いでまとめた本。表紙のイラストは睦さんが育児ノートに描いていたぺ~くんの姿

「2010年の年末ごろは、本当に苦しかったです。感覚が過敏になっていたのか家の電気が“痛い”んです。なので原始人みたいに、窓から入ってくる月の光や街頭の明かりだけで暮らしていました。テレビの音も突き刺さってくるように不快で、とにかく家では安静にして、真っ暗な中で横になっていました。

ヨメを失った悲しみもそうですが、怒りも同時に感じていたと思います。不謹慎かもしれないけれど『自分が死んだほうがまだよかった、生きてるほうがきついじゃん!』と。40を前にして仕事もなく、精神的にも肉体的にもボロボロで、小さい赤ん坊と一緒にこれからどうやって生きていけばいいんだろうと、改めて自分が立たされた状況に愕然としました。未来にまったく希望が見えなかったんです」(浩司さん)

心療内科に通いながら、ひたすら体を休める日々。仕事のこと、子どものこと、これからの日常をどうしていくのか途方に暮れつつも向き合いながら、浩司さんは少しずつ時間をかけて体調を回復させていきました。

なんとかブログの書籍化の作業を終え、2011年4月『がんフーフー日記』を出版。その後、浩司さんと睦さんの物語は2012年3月にNHK BSプレミアムのドキュメンタリードラマ『ヨメとダンナの493日~おもろい夫婦の“がんフーフー日記”』となり、さらに2015年映画『夫婦フーフー日記』が公開されました。

広島で働き始めるが、うつ病の再発

体調が回復してきた浩司さんは川崎のハローワークに通い、自分の地元の広島での仕事を見つけました。そして、2011年10月、浩司さんは福島で暮らしていたぺ〜くんを引き取り、一緒に自分の地元の広島へ拠点を移します。

ぺ〜くんは広島市から電車で30分ほどの距離にある浩司さんの実家で暮らし、浩司さんは広島市内の勤務先近くに部屋を借りました。平日はその部屋から通勤し、土日は実家で育児をする生活が始まります。

「体調が戻ったと思って新生活をスタートしたんですが、新しい環境に慣れることにも苦労しました。勤務先に適応しよう、適応しようと思えば思うほど空回りしてしまい、うつ病をぶり返してしまったんです。『ぺ~のためにも、ここでイチからやり直すしかない!』と気負いすぎていたところもあったと思います。結局、9カ月後には会社を辞め、再び起き上がれない生活に。そこから1年ほど体調が悪い状況が続きました。その間は失業保険や、ひとり親家庭のための職業訓練などを受けてなんとか生活していたと思います」(浩司さん)

ほとんど起き上がれない体調でしたが、浩司さんは週末は必ず実家でぺ〜くんと過ごすようにしていました。

「いちばんきついときは絶望的な気持ちになって、頭の片隅に死がよぎることもありました。そこへ向かうのを止めてくれたのはぺ〜の存在でした。もし僕が死んでしまえば、ぺ〜は両親を知らない子どもになります。それだけは避けなければいけない。だから僕は絶対に生き続けなければいけない。自分がぺ〜の唯一の親という責任感が、生きるという側に留まらせてくれました」(浩司さん)

  • 睦さんのお父さんとぺ~くん。睦さんの忘れ形見であるぺ~くんの存在は、家族の支えだった

    睦さんのお父さんとぺ~くん。睦さんの忘れ形見であるぺ~くんの存在は、家族の支えだった

フリーライターとしての再出発

自身の病気と向き合いながら、週末は実家で子育てをする生活。浩司さんはぺ〜くんの成長をどう感じていたのでしょうか。

「ただただ、かわいかったです。同時にぺ〜の存在はなんだか不思議にも感じました。幼いぺ〜と一緒に遊んでいると、ぺ〜のしぐさにヨメの面影を感じましたし、こういうとこはヨメそっくりだな、と思うことも何度もありました。もちろんヨメとぺ〜はまったく別人格ですけど、常にヨメをそばに感じられる、ずっと一緒に生きているような感覚です。ヨメはいなくなったけど、代わりにぺ~が来てくれた――ぺ〜がいてくれることで、ヨメを思うときに悲しみや喪失感だけに占められずにすんだのかもしれません」(浩司さん)

1年ほど、心療内科にかかりながら休養を取った浩司さん。電気をつけられない生活から、少しずつ好きな音楽を聞いたり、たまに散歩したり、と動けるようになっていきました。

「うつを再発したこともあって、今後会社組織で働くのは厳しいと思ったんです。それでフリーランスの編集・ライターを始めることにしました。会社員という安定をあきらめるのは怖かったけど、『もう、これしかない!』という開き直るような気持ちもありました。他に選べる余裕なんてなく、ヤケクソの消去法でもありました。知り合いの編集プロダクションの人に『何か仕事があったらお願いします』とお話しするうちに少しずつ仕事がいただけるようになりました。そこからこの10数年ほど、書籍の編集やインタビュー原稿の執筆などの仕事を続けています。だけど、今もまだどーんと気分が落ちる波がくることがあります。

うつ病って、寛解みたいなものはないんじゃないかな。だから調子が悪くなったら薬を飲んで横になって休んでいます。自分は体調に応じて仕事の時間やペースを調整できるフリーランスという働き方ができて本当にラッキーだったと思います」(浩司さん)


続きの記事では、浩司さんの再婚、ぺ〜くんの成長、そして現在の仕事や働き方についてお聞きします。