
2018年のデビュー作『Geography』、そして2020年のユセフ・デイズとの共作『What Kinda Music』で世界的な成功を収め、新世代のギター・ヒーロー/プロデューサーとして確固たる地位を築いたトム・ミッシュ(Tom Misch)。ベッドルーム・プロデューサー世代の象徴として絶頂期にあった彼は、その後、突如として表舞台から姿を消した。キャリアが想像以上に巨大化していく中で、重度の不安症やパニック発作に苛まれ、音楽から距離を置かざるを得なかったのだ。
それから3年。コーンウォールの海でサーフィンに没頭し、「自分は何者か」を再発見する沈黙の期間を経て、彼はついに帰ってきた。3月27日にリリースされる待望の2ndソロ・アルバム『Full Circle』は、これまでのビートメイク主導のサウンドから一転、70年代の音楽にインスパイアされた、アコースティックで温かみのある「クラシックなソングライティング」へと大胆な回帰を果たしている。名声を拒絶し、音楽への純粋な愛と「ただの自分」を取り戻した彼が、極めてパーソナルな本作の制作背景から、現在の偽らざる心境までを赤裸々に語ってくれた。
自分自身への回帰の旅
─まず、本作のタイトル『Full Circle』は、単なる音楽的な原点回帰だけでなく、ここ数年の精神的な回復の旅路も示唆しているように感じます。この言葉は、今のあなたにとって具体的にどのような状態を指しているのでしょうか?
トム:このレコードは僕の人生において興味深い時期に生まれたんだと思う。キャリアから一歩距離を置き、他のことを探求する時期だった。ここ3年、2022年頃から、僕は本当に自分探しを続けてきたんだ。音楽から距離を置き、自分の中の別の側面を見つけ、様々なことに挑戦してきた。『Full Circle』というタイトルは、友人のジョエル・カルペッパーとの会話から生まれたんだ。彼は僕の人生の困難な時期にかなり支えてくれた友人なんだよ。本当にどん底まで落ち込んで、ひどいメンタルヘルス状態で完全に動けなくなっていた時期からのジャーニーは、うつや不安に苛まれながら、そうした状態を乗り越え、自分らしさを取り戻すまでの道のりだった。だから『Full Circle』は、僕にとって自分自身への回帰の旅なんだ。つまり、自分の本質に立ち返る、再発見みたいなものだよ。
─その「どん底からのジャーニー」において、ロンドンを離れてコーンウォールへ移住したことは大きな転機だったようですね。サーフィンや自然に没頭した時間は、あなたの音楽的聴覚やリズム感にどのような変化をもたらしましたか?
トム:体を動かしたかったし、もっと外に出たかったんだ。突然、何かをする時間ができて、何をするか、何が自分にとって心地いいかを考えた。僕にとってはルーティンが必要だったし、生活にストラクチャーを求めていたから、サーフィンのインストラクターのコースを受けるためにコーンウォールに引っ越したんだ。ニューキーの端にある、丘の上に住んでいて、海が見渡せる素晴らしい眺めでね。毎日海に出て、その広大さを実感したんだ。コーンウォールは人が少ないから、スペースがたっぷりある。その感覚が、このレコードにも少し反映されていると思う。つまり、レコードにはスペースがたくさんあるんだ。すごく詰め込まれた感じじゃなくて、広がりがある。ジミー・ネイプスと共作した「Flowers In Bloom」は、その癒やしの期間を最もストレートに表現した曲だと思うよ。
─一方で、制作で訪れたナッシュヴィルのスタジオでは、一時、植物状態のように現実逃避していた時期もあったと伺いました。そこからどうやって音楽があなたを現実へと引き戻したのでしょうか?
トム:結構浮き沈みがあったんだ。すごく深刻な不安症状に襲われていたからね。それからナッシュヴィルに行って、スタジオで3週間もほとんど植物状態みたいに、完全に現実逃避してた時期もある。まあ、その時は確かにどん底だったけど、皮肉なことに、ありのままの自分を見せられたという点では、とても美しいプロセスだったんだ。いや、正直に言うと、再び音楽へと引き戻された特別な瞬間があったわけじゃないんだ。マット・マルチーズと何かをやっていくプロセスがあっただけなんだよ。ふたりで会って、曲を書き始めただけで、特に目的があったわけではない。創作しながら、「これがアルバムになるのかな」というポイントに自然と達していったんだ。
─今お話に出たマット・マルチーズとのセッションを含め、本作ではこれまでのループやビートを起点とした制作から離れ、ピアノやギターでの弾き語りでも成立するソングライティングに焦点を移しています。この手法の変化について詳しく教えてください。
トム:一番の違いは、以前はプロデューサーとしてLogic Proでノートパソコンで作業して、ステップ・バイ・ステップで構築していたことだね。30分ごとに作業して保存する、それが曲になるんだ。でもその頃聴いていた音楽はもっとフォーク寄りで、ソングライティングが基盤になっていた。プロダクションのトリックに頼ったり、Logic Proで作業したりするようなレコード作りはしたくないという思いがあったんだ。
今回は、ソファーでギターを弾いたり、あるいはマットと曲を書いたりしながら、このレコードのためにたくさん曲を作った。違いと言えば、「保存しない」ってことかな。つまり、レコーディングしないで長い間存在していた曲たちなんだ。もっと体で感じられる、音楽と共に生きているような感覚が強かった。ピアノで歌っても、フルバンドで演奏しても、どれも良いサウンドになるような曲を作ろうとしたんだよ。
マット・マルチーズとの共鳴
─そのソングライティングにおいて、同じ南ロンドンのマット・マルチーズとの共作は、本作の歌詞に深い叙情性を与えています。あなたが共鳴した、彼との共通言語とは何だったのでしょうか?
トム:彼がこのレコードのソングライティングに大きく貢献してくれて、本当に素晴らしい新たな関係が築けたんだ。僕たちは双方の経験をシェアしているし、お互いすごく繊細な人間だから、とてもオープンな会話ができるんだと思う。マットとは、本当に正直でいられる気がした。それに彼の曲作りには、「ハハハ」と笑わせるような感じじゃなくて、ちょっとした微妙なユーモアがあるんだ。彼の歌詞はすごく巧みで、そこにユーモアが込められているのが好きなんだよね。このアルバムで触れたテーマは、普遍的でありながら僕自身にとってもパーソナルなものだから、彼と作れたことを本当に誇りに思ってるよ。
─そうしてマットたちと紡いだ楽曲を録音するにあたって、あえてカントリーの聖地、ナッシュヴィルを制作拠点の一部に選んだのはなぜですか?
トム:イアン・フィチュクという素晴らしいプロデューサー兼ドラマーと仕事をしたからなんだ。彼の音楽を知ったのは、ケイシー・マスグレイヴスの「Slow Burn」を聴いた時で、本当に驚いたんだ。現代的でありながら、同時に非常にクラシックな趣きがあった。ナッシュヴィルにはそういう伝統(ヘリテージ)があるんだよね。レコーディングの歴史と素晴らしいスタジオの数々が伝統として受け継がれているし、彼らは生楽器だけでアナログな手法で物事を進めるんだ。僕は70年代のアメリカンミュージックをずっと聴いてきたから、このアルバムには明らかにアメリカ的な影響が感じられるはずだよ。
─アナログな手法という点では、今回ヴィンテージ・マイク「U47」を使用し、プロダクションのトリックを排したことで、あなたの歌声はかつてないほど生々しく響いています。自分の声をこれほど裸の状態で記録することに葛藤はありませんでしたか?
トム:恐らくそれは、かなり削ぎ落とされて、生々しくもある、自分自身の本質を捉えたいという一種の決断だったんだと思う。僕の声は他の誰も持っていない声で、僕だけのものだ。そして僕のギター演奏。だから、このふたつを組み合わせることが重要だったんだ。確かに、とてもヴォーカルがむき出しになっているよね。これまでのレコードよりもずっと大きな声でヴォーカルをミックスしたんだよ。
─完璧なプロダクションよりも人間的な揺らぎを重視された姿勢が伝わってきます。その象徴として、あえて修正せずに残した瞬間があれば教えてください。
トム:「Red Moon」は、トラックとしてはとても生々しくて、編集されていない。これは、ナッシュヴィルでイアンとやった大きなジャムセッションなんだ。曲の終盤で、テイク中にテーブルの上のグラスが倒れる瞬間があって、その音が聞こえるんだ。左耳から何かが飛び出してくるような音が聞こえるんだけど、すごくいい感じのライブ感で楽しい雰囲気だったから、そのまま残したんだよ。
「有名にはなりたくない」
─グラスが倒れる音さえも音楽の一部にしてしまう親密な空気感は、本作の重要なテーマである「家族」を描いた楽曲にも表れていますね。大人になってから姉妹と共同生活を送った経験が「Sisters With Me」に結実したとのことですが、身近な存在を音楽として記録することに、照れや難しさはありましたか?
トム:姉と一緒に暮らしていた時期に、リビングで何かを作ろうとした時に自然と生まれたもので、意図的に書いたわけではなかったんだ。おそらく無意識の創造性が、当時の状況と結びついて生まれたんだと思う。お互いに照れはなかったよ。姉たちは本当にこの曲を気に入ってくれていて、聴くたびに泣いてるんだ(笑)。それに、この曲は僕や姉たちをはるかに超えた、誰もが共感できる普遍的なテーマだと思う。シスターフッドでもあるし、必ずしも兄弟姉妹である必要はないと思うんだ。
─姉妹との関係に続いて、「Old Man」では、ご自身の老いや将来、そしてお父様への眼差しが描かれています。まだお若いあなたが、エイジングという実存的なテーマに惹かれたのはなぜでしょうか?
トム:マットと「この3年間はいろいろあったけど、今は落ち着いているよね」って話してたんだ。以前は、ある種の実存的危機(an existential crisis)があって、いろんな考えが浮かんできて「時間は早く過ぎ去るし、両親も年を取っている」って実感した。それで、父との関係を見直していて、それがこの曲の始まりになったんだ。父についての曲を書くつもりはなかったんだけど、すごく自然に湧いてきたんだよ。
─そうした実存的危機や時間の経過を意識したことは、音楽業界での立ち位置やキャリアに対する考え方にも影響を与えたのでしょうか? 「アーティストとしてこれ以上大きく成長することには興味がない」という発言は非常に印象的でした。
トム:20代の頃は、キャリアを始めたばかりのあの興奮があるし、作品を成長させたいと思う時期もあった。でも、僕にとってはとてもストレスに感じたんだ。有名になるって考え自体が、僕には魅力的に思えなかった。そこまで有名にはなりたくないんだ。自由を失うし、匿名性も失う。何のメリットがある? 個人的には、そんなのいらない。だからキャリアの中で、今自分がいる位置は、ちょうどいいところだと思う。道で人に声をかけられて、外を歩けなくなるような状態にはなりたくない。僕はかなりロー・キーな人間だからね。より大きな観客の前で演奏することには興味がないし、ただ、自分にとって本当に面白いプロジェクトを作り続けたいだけなんだ。
─「規模の拡大は望まない」という一方で、Supershy名義では享楽的なクラブ・ミュージックを展開していますよね。その別プロジェクトを解放したことは、本名名義のトム・ミッシュとして、より内省的でパーソナルな表現に向かうための手助けになりましたか?
トム:Supershyは全く違うものなんだ。エレクトロニック・ダンス・ミュージックも好きだし、DJをするのも最高だね。メモリースティックを持って会場に行って、友達と旅をしながらプレイして楽しめる。一方、トム・ミッシュは、もうちょっと重みがある感じがする。僕にとって、Supershyは新しいプロジェクトだから、成長させていくのが楽しみなんだ。一方、トム・ミッシュのプロジェクトは、これ以上規模を大きくしたいとは思っていない。現状維持で十分だ。だから、Supershyで野心的なことをできるのは嬉しいね。
─無理にひとつのプロジェクトにすべてを詰め込むのではなく、自然な形でやりたいことを切り分けているのですね。最後に、そうした個人的な癒やしのプロセスから生まれ、一周して自分らしさを取り戻した『Full Circle』を、日本のリスナーにどのようなシチュエーションで聴いてほしいですか?
トム:散歩にいいレコードだと思うよ。ひとりで歩く時に聴くのにいいし、長距離のドライブにもいいかな。両親と聴いたり、絆を深める時間にも楽しめると思う。でも、パーティーには向かないかもね(笑)。

トム・ミッシュ
『Full Circle』
2026年3月27日リリース
CD国内盤:解説書/歌詞対訳付き/ボーナストラック追加収録
Tシャツ付きセットも販売
