お風呂と街灯が語る、不協和音の中に宿る救い、音楽は「自分の臓器」を見るような感覚

お風呂と街灯ーーそんなハートウォーミングな名前を掲げたソロアーティストが登場した。2023年12月に初めてオリジナル楽曲「恥ずかしい日」をリリースし、そこから2年のあいだに12曲もの楽曲を発表。ここまでが準備期間とするならば、2月18日にリリースした1st EP『Dawning/Window』より、ついに本領発揮で才能の花を咲かせる。そんなタイミングで、お風呂と街灯の音楽性と人物像を紐解くインタビューを行った。

チャーミングな名前とは裏腹に、EP『Dawning/Window』の楽曲を再生していると、歪なコード進行や展開、不協和音が耳に入ってくる。それでいて、まさに「お風呂」と「街灯」のように身体と心を温め、歩むべき道を灯してくれるような優しさのあるポップスとして仕上がっている。京都大学工学部に首席で入学したものの、音楽をやるために現在は休学中だというお風呂と街灯は、理論も、理論を飛び越えたところで生まれる驚きや感動も、どちらも大切にする豊かさとクレバーさを併せ持つ、非常に魅力的な表現者だ。人間にとって幸せとは何かーー優等生コースを歩んでいたにもかかわらず、人間の根源に向き合って人生を選び直した、そんな人生経験と自分の心を昇華する「お風呂と街灯」という名の音楽は、不協和音的なものが不正解として排除される時代に重要なメッセージとして鳴り響く。

―「京都大学工学部に首席で入学、現在は休学中」ーーこれ、ものすごいインパクトのあるプロフィール文ですね。

いやでも、本当に全然……入試の点数は運なんで。

―……! 少年マンガの主人公のセリフみたいなことを言いますね。

だいぶかっこいいほうのセリフを言ってしまいました(笑)。

―なぜ京都大学工学部を受験したんですか? どういう高校生でした?

京大に入りたいというのは、高1の時からずっと思っていたんですよ。本当に浅はかな少年で、高校受験を終えて、勉強していいところに入ると何かスキルがある感じになる雰囲気を知り、いいと言われている大学に入ることが自分のステータスとして必須な気がして。「東大(に入りたい)」と言わなかったのは「関西に住んでるし」っていう言い訳からで、とにかく「京大」ばかり言っていて、逆に言えば京大に入らないとメンツが立たないと思っていました。周りの目をすごく気にするタイプで、人に認められるためには「どこどこに合格」「成績で何位」とかそういうのが必要だと思っていたので、高校時代はテストや模試をめっちゃ頑張っていましたね。京大に入って何を学んで、将来どんな生き方をしていきたいかとか、そういう目線で進路を捉えてなかったです。だから学部は何でもよくて、理系は工学部に行く人がいちばん多かったので「俺も工学部か」みたいな気持ちで受けただけで。結論から言うと、間違えました。学びになったので、いい間違いではあるんですけど。

―間違えた?

いざ大学に入ったら、本質的ではないなと感じるところがあって。当時は真面目だったからこそ思ったのかもしれないですけど、「学び」よりも「楽に単位を取れたらいい」みたいなところに焦点が当たっているのが衝撃で。ずっと人に認められたり褒めてもらったりするために勉強や部活をやっていたので、そんな環境で僕だけ勉強しても、本質的に何も満たされないことに気づいて。じゃあ本質的に自分は何を求めていたのだろうと考えれば考えるほど、勉強はただの手段でしかなくて、本当に求めていたのはーー浅はかな答えかもしれないけど、「幸せ」な気がして。

―いや、浅はかではなく、人間が追い求めるべきものはそこですよね。

死ぬまでに幸せになってないといけないし、死ぬ直前に幸せになっているのじゃあかん気がして。「幸せ」を視野に入れて動かなきゃいけないと思った時に、当時趣味でやっていた作曲というものがものすごく魅力的に思えてきて。それまでは「部活には入っておいたほうがいいやろう」「みんな勉強してるから俺もやる」「やるなら人に認められたいから人よりやる」みたいな、全部がすごく受動的だった中で、音楽は誰にも「やったほうがいいよ」とは言われずに能動的に作り始めたので、自分から一歩踏み込んでみたという性質もデカかった気がします。幸せのためにこれに賭けてみたいという衝動が大きく膨れ上って、休学に突っ走りましたね。

Photo by タカギタツヒト

―「人に褒められるために頑張る」「いい学校や会社に入るのが人生の成功である」とか、いわゆる社会のレールと言われるものの上を真面目に歩く人生を送ってきたのに、突然休学するとか言って周りからびっくりされませんでした? 急に真逆の人生の価値観を選んだ、というくらいの方向転換ですよね。

「ほんまに大丈夫?」「休学はせんほうがいいんちゃう?」とか言われたんですけど、僕はどうしても休学するしかない気持ちになっちゃったので、人の意見は考えなくなりましたね。

―音楽を作って、それを世に発表するようにもなって、今感じている幸せは「人に評価された」「数字がついてきた」みたいなこととは違う部分にありますか?

そもそも自分で音楽を最後まで作れるということが幸せです。最後まで作りたいと思うようなものが目の前にあることが幸せ。かつ、最初に作った曲なんて今思えば散々なクオリティなのに、そんなものでも自分なりに最後まで作れたことに達成感を感じて。しかも自分の臓器を見ているような気分になるというか。それが今までに感じたことのない感覚でした。最初は世の中に出すことを前提として音楽活動をしていなくて、単純に「これは一生かけてやる価値があるものだ」と思っただけなんですよ。人(の評価など)が関わってなくても幸せになれるというのが不思議で、魅力的だと思ったのが最初でした。今は聴いてくれる人がいて、見てもらうことも幸せに入ってしまっているんですけど、根本はそこではない気がしますね。

臓器を見る感覚というのは、心を音にした時に得られるもの

―3歳からクラシックピアノをやられていたそうですけど、それはどういうきっかけだったんですか?

僕は覚えていないんですけど、母親が「ピアノをやらせたら頭にいい」「小さい頃にやっておくと途中でやめても、そのあとやりたいと思った時にすぐ馴染む」みたいなことを聞きつけて、僕を体験教室に連れていったみたいです。そしたらひとつ前のレッスンを受けていた3歳の子が絶対音感を持っていて、スラスラ弾いていたらしくて、それに衝撃を受けて「僕もやりたい」と言ったと聞きました。

―音楽一家だったとかではなく、英才教育の意味で「頭の体操のためにピアノをやるといい」というのがきっかけだったんですね。

そうですね、それが理由としては大きかったと思います。

―クラシックピアノがルーツにあるというのがお風呂と街灯の大切なポイントのひとつだと思うんですけど、曲を作る時に、「クラシックを現代ポップスに昇華したい」みたいな意識があるのか、それとも意外とクラシックに捉われずにいろんなジャンルをやりたいのか、そのあたりはどんなふうに考えていますか?

(クラシックピアノの要素を)入れようとは思ってないですね。全然入れなくてもいい。阻害はしていないので、勝手に滲み出る分にはいいと思うんですけど。

―1st EP『Dawning/Window』を聴いても、ピアノが前に出ている曲と、別にそうではない曲があるなと思って。わかりやすく自分のクラシックピアノの知識や技術が出る曲をやれば、きっと同世代のアーティストと圧倒的に差別化できるくらいの強い武器を持っていらっしゃると思うんですけど、それだけではなくいろんなことやりたいと思うのは、どういう考えからなんですか?

クラシックもとても好きなんですけど、最初に作ろうと思った音楽がクラシックではない時点で、クラシックとは違うよさを見出しているとは思っていて。普段からクラシックも、それ以外も聴きますし。クラシックが作りたくなった時は作ればいいと思っているし、この曲にはクラシックの要素を入れたほうがいいなっていう時が来れば躊躇なく入れるつもりなんですけど、今僕が行っている発想の中ではそう思ったことがあまりないですね。世界で誰も聴いたことがないジャンルを生み出すくらいの意味で音楽をやっていくつもりなので、見たことないものを作らなきゃいけないという気持ちがいちばん大きい気がします。……これもまたセリフにするとかっこいいですけど(笑)、まだ全然試行錯誤の途中です。

―きっとそれは終わりのない、引退するまで続ける追究ですよね。でもEPのために完成させた楽曲は、それまでの曲と並べても、自分の中で何かを掴めた手応えは大きいんじゃないですか?

そうですね、EPの曲とそれまでの曲は明らかに違うと思っています。EP前までは「なんか好きな音が出ていたらそれでいい」に近い気がして、分野として極めようという意思は弱かった気がしていて。だからこそ、なんとなく出てきた音を大事にする節が強かったんですよ。今でもそれは大事だと思っているんですけど、あくまでいろんな引き出しがある状態でやったほうがかっこいいなと思って。……僕の臓器を見たくて曲を作っているはずなのに、なんとなくできた音がどんどん臓器に見えなくなってきた、ということだと思います。世の中にあるものと似た曲ができてきた気がして、「曲を作っているけど、ほしいものは1個もできてない」みたいなことにすごく悩んで。臓器を見る感覚というのは、心を音にした時に得られるものだと思うんですけど、それはなんとなくじゃできなくて、自分の心が何かということをすごく考えなきゃいけないし、その上でどの手段だったら僕の心が出るのかも深く考えなきゃいけない。そういうことに気づいて作った曲が「カラスの鐘」で、この曲のデモができた時は久々に自分の心を見た気がして、もうめちゃめちゃ感動しましたね。

Photo by タカギタツヒト

―「カラスの鐘」、これ、すごい曲ですよね。歌詞、メロディ、編曲にまつわるすべての音や文字を、「これじゃなきゃいけない」くらいの理由や意味を持って選んで構築していることを感じました。そこが、このEPの楽曲がそれまでの曲とは違う強さや伝わり方がある所以なんじゃないかなと思っていて。

嬉しいです、ありがとうございます。EPは全曲、一つひとつの音が心を表すことにつながっていると認識して以降の曲なので、ちゃんと臓器が見える気がします。鳴っている音すべてに僕の心が反映されている状態だという感覚に、初めてなれた曲たちです。たとえば「ここにピアノのフレーズを入れたいな」と思った時、ピアノのフレーズをぱっと入れてみて、心が動くか動かないかを敏感に考えて、心が動かなかったらフレーズが違う、もしくはそもそもピアノがいらないとか、そういう細かいところまで全部心が判断基準になっているというのが、それまでの曲とは違う気がします。心が動いたか動いていないかという自分のジャッジでしかなくて、それは反理論的だから面白いですよね。

―それは理系で勉強してきた頃とは違う脳みその動かし方でしょうね。「カラスの鐘」は、歌詞になぞらえて言うと、人々の心は〈球体〉や〈立方体〉と形は違ってパズルのようにピタッと綺麗にハマることはないけれど、寄り添うことはできるという、そういうことを歌ってくれていると思うんです。それを表すように、メロディとトラックのマッチングが歪だけど心地よく聴こえるという作曲編曲がなされていて、何度聴いてもすごい曲だなと思うんですよね。「カラスの鐘」に限らず、トラックやコード進行で複雑なことをやっていても、リスナーがパッと聴いた時にキャッチーに聴こえる歌の強さがあるものすごいなと思いました。

「本当にこの声で通るのか」ということを試行錯誤しながらやっていたので、そう捉えられていたらだいぶ嬉しいです。僕の中でいちばん歌が聴こえてくるはずだと思うメロディや音域、歌い方で歌いました。「カラスの鐘」は本当に不協和音ばっかりなんですけど、そもそもこの曲で表したい僕の心が不協和音を伴っていたんだと思います。あとから考えると、人と人の不一致性も表したかったから、不協和音が頭に浮かんでいたんだろうなとも思うんですけど。生き方として、不協和音が好きではありますね。綺麗すぎる音はあまり使わないです。意図的に理由がある時しか使わない気がします。

若干の変化が人生を豊かにし得る、死にたい人が生きたいと思う要素になる

―「カラスの鐘」を書いた時は、どういう心境だったんですか?

人とわかり合えない事象があったとかではなく、人との不一致性はずっと感じていて。誰かに悩みを相談しても何も解決しないし、なんなら寂しくなるだけだという思想になってしまったり、いろんな要因が押し寄せてくる夜があって。そういう時はお布団に入っても寝られなくて、ただ時間だけが過ぎていって……朝4〜5時くらいになるとカラスが鳴くんですよ。そういう日々を数日過ごした時に、「カラスって、日が出るか出ないかくらいの時に鳴くんや」って気づいたんです。彼ら、けっこう正確な時間に鳴くんですよ。朝に鳴くという新しい発見をしたことに驚いて、悶々としている中にも新しい発見というポジティブなものが入ってくるんや、という感動に近いものがあったんです。「カラスが鳴くことを発見した」という、大して意味がないことで心が晴れたことにも衝撃を受けて、簡単なことで心は少し照らされるということを歌にしようと思いました。これを書いた時は自分の音楽を聴いてくれる人がいることを知っていたので、聴いてくれる人と話してみようと思って。初めて、聴いてくれる人に向けて書いた曲かもしれないですね。

Photo by タカギタツヒト

―この曲でいう〈君〉はリスナーのことを指していると捉えられるなと思っていました。お風呂と街灯として、自分の音楽を通してどういうものを聴き手に手渡したいと思っていますか?

第一に、僕とあなたはわかり合えません。もっと言いたいのは、あなたも人とはわかり合えないし、僕もあなた以外の人ともわかり合えない。いろんなわかり合えない矢印同士の中のひとつがあなたですよ、というのが大前提で。僕は最初、社会的集団に属する文化を持っている生物として、こんな欠陥した性質を持っていていいのかと悲観していて。社会的生物なのにどこまで行ってもひとりということが寂しいし、わかり合えなさから嫌なことが発生したりもする。でも、カラスが鳴くという簡単なことで少し心が晴れる。しかも僕がこう考えているということは、方向性は違うかもしれないけど、みんなも僕にはわからない悶々としたものや寂しさを持っているかもしれない。お互いわかり合えなくとも、そういうものを持っているかもしれないと思うだけで、若干世界の見え方が優しくなる気がして。その「若干」というのがすごく大事だと思うんです。若干の変化が人生を豊かにし得ると思っていて、もっと言うと、死にたい人が生きたいと思う要素になると思う。そういうことをリスナーに知ってほしくて書きました。

―大学に入る前の、集団に入って決められたものを追いかけるのが正しいという思想で生きていた頃にはなかった考えなんじゃないかと思うんです。人間皆、「幸せ」という目的に向かっているのは共通点としてあるけど、その中で生き方や心の形もそれぞれ違うということに向き合って、その気づきや人生経験を歌い届けているということが、お風呂と街灯が大事なアイデンティティなのだろうなと思いました。

お風呂と街灯を始めて、かつ、今までの変遷がないと、絶対に思いつかなかった思想だったと思いますね。

―ライブはサックスも入れた編成でやられているそうですね。ライブではどういうものを目指していますか? 5月の初ワンマンライブ『Dawning/Window』、絶対に見にいきたいです。

やったあ! ライブでは、むしろ曲を作り直すくらいの気持ちで演奏しています。音楽では僕の心を表す必要があると思っている中で、ライブはそれを共有するためのコミュニケーションなので、そのための生音ならではの伝え方があると思っていて。僕の心を伝えるため、かつ、自分の心がいちばん動くには、どんな音が最適なのかを探り直す場所がライブな気がします。

Photo by タカギタツヒト

―最後に、これから音楽活動をやっていく中で叶えたいことは何ですか? 自分の心が見えるような、臓器みたいな音楽を作りたい、というのがいちばんの目標だと言えるのかな。

(質問を聞きながら)そう答えようと思ってました。心も変わっていくはずなので、心を表すということを死ぬまでやり続けるのが目標です。人生、限られた時間しかないから、心のためじゃない選択はしたくないなと思いますね。

―それに気づくきっかけをそっと聴き手へ差し出すような音楽を、これからも作り続けてください。

そうですね、本当にそれがやりたいです。

<リリース情報>

Photo by 坪井隆寛(hof Inc.)

お風呂と街灯

1st Digital EP『Dawning/Window』

配信中

https://OfuroToGaito.lnk.to/DawningWindow

<ライブ情報>

お風呂と街灯 初単独公演『Dawning/Window』

5月22日(金)大阪・心斎橋Pangea

5月25日(月)東京・下北沢BASEMENT BAR

チケット購入リンク https://eplus.jp/ofuro_gaito/

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