夜のロンドン市街をクラシックカーで駆ける!人気上昇中の「ヴィンテージ・ロンドン・ラリー」密着レポート

『Octane』が第3回ヴィンテージ・ロンドン・ラリーに参加。それはモータリング界の”シークレットシネマ”のような夜”だった。

【画像】ロンドンの街並みに映えるベントレーやオースティンなどのクラシックカー(写真13点)

ハムステッド・ヒースにあるパブ「ザ・スパニアーズ・イン」でのことだ。午後10時を少し過ぎるまではいつもの土曜の夜がそこにあった。グラスが触れ合う音、賑やかな会話のざわめき、忙しく立ち回るスタッフたち、店内は満席でとても活気に満ちている。外を見れば、オーニングの下には30人ほどの若者たちが大騒ぎしながらテーブルを囲み、2階の個室のダイニングルームには、少しばかり年上の人たちのグループがぎゅうぎゅうに集まっていた。

夜会のはじまり

午後10時03分、すべてが一変した。最初に聞こえたのは、ゆっくりと重たく回り出す機械の唸り声。続いて「ゴホッ」という咳払いのような音、さらに不揃いな咆哮。機関銃のような連続音が次第に弱まり、やがてゆっくりと安定したドコドコという鼓動へと変わった。その音に、テーブルの客たちは驚いて息をのむ。

数秒後には別のエンジンが目を覚ます。今度は高音でせわしない4気筒。続いて鋭く締まった直列8気筒のサウンド。そして重厚な直列6気筒が次々に目覚め、やがて機械の声が重なり合う壮大な合唱となった。

これらが合図となって、2階の部屋もオーニング下の長テーブルも、あっという間に空になった。湯気の立つコーヒーはそのまま、半分食べかけのデザートにはスプーンが横たわったままだ。

午後10時09分、最初の1台が駐車場から走り出す。もちろんベントレーである。このイベントでは圧倒的多数をベントレーが占めている。続いて次々とほかの車が出発し、先ほどの合唱はやがて行進曲のような響きとなって、北ロンドンの堂々たる街路へと流れ出していった。

第3回ヴィンテージ・ロンドン・ラリーの幕開けである。このイベントのスタイルは極めてシンプルだ。ヴィンテージカーの愛好家たちがまず夕食を共にし、その後、夜のロンドン中心部をドライブする。街は人で賑わっているが、車の交通量は少ない時間帯である。そしてやがてお開きとなる。この”奇襲”のようなイベントが始まった当初の目的は、今ではほとんど不可能になってしまった方法でロンドンの街を愛車で楽しむこと、仲間との連帯感を味わうこと、そして何より少し変わったことをすることにあった。

しかし現在では、それ以上の意味を持つようになっている。ヴィンテージカーの楽しさを示す灯台のような存在となり、その喜びを土曜夜の人であふれる街と共有し、若い世代とヴィンテージカーのあいだに新しいつながりを生み出しているのである。

このイベントを考案したのはジェームズ・ウィーラーとフェデリコ・ゲッツェ=ベーベルトである。きっかけは昨年パリで行われた似たイベントであった。

ジェームズは”Classic Motor Hub”社で働く一方、クラシックカー界でもっとも忙しい人物のひとりのように見える。イベントを主催するか参加するか、常にどこかで動いているのだ。愛車は美しくレストアされた1936年式オースティン・セヴン・ルビーである。

一方のフェデリコは”HERO-ERA”社のCOOで、2014年からロンドン在住。1928年式アルファロメオ6Cなどを含むヴィンテージカーのコレクションを所有しており、最初の2回のヴィンテージ・ロンドンにもその車で参加した。

「何年も前から、夜遅くに街を走り回っていたんだ。オースティンやアルファで、交通がほとんどない時間にドライブし、景色を見て、写真を撮っていた。そんな時、友人たちが昨年パリでナイトランを開催したんだ。参加車は10〜12台ほどだったが、本当に素晴らしいと感じたよ」とジェームズは語る。

ロンドンでもやろうとジェームズがWhatsAppグループで提案すると、フェデリコも実は以前にも同じことを考えており、すでにルートまで練られていたという。

フェデリコは笑いながら振り返る。

「これは実現するなとすぐに分かったよ。ジェームズは”僕が主催する”と言う勇気ある人物で、私は”ルート作りを手伝うよ”と言ってしまった愚かな人物だったわけだ」

最初は15台から

最初のイベントは3月。参加車は15台であったが、同乗希望者は大勢だった。その多くが若い世代で、ヴィンテージカーに不慣れ人たちだった。翌日、その様子がインターネットに掲載されると、ほかのエンスージアストからの参加希望の問い合わせが2人に殺到した。

フェデリコはこう振り返る。「ちょっとしたフラッシュモブ的な魅力があったのだと思う。”普通のルールとは違うイベント”という感覚だ。参加のハードル、特に事務的な手続きが多いと人は敬遠してしまうからね」

急遽次の再開催が決まり、6月には第2回が行われた。ただしこの回は前回とは少し違っていた。フェデリコとフィスケンズのクリストフ・コーウェンズの提案で、夜明けのラリーにしたのである。アレクサンドラ宮殿からスタートし、ウィンブルドンの「サウスサイド・ハッスル」で行われている早朝のカーズミートがゴール。空いている道路を思いきり走れるという利点があったが、一方、観客がいないという欠点もあった。

「素晴らしかったが、あれは人との交流よりドライブ重視だった。夜のイベントの好きなところは街の人とのやり取りだ。たとえばコノートホテルに停まると、通りすがりの人が車の美しさに引き込まれて話しかけてくる」ジェームズは語る。

再び夜会に

そして10月25日、このイベントは再びナイトラリーとして戻ってきた。今回は参加車26台。オースティン・セヴンが3台、ローシャシーのインヴィクタ、華麗なタルボ105エアライン、そして14台のベントレー。ほかにもライレー、アルファ8C、アルタ、SS100、アルヴィスなどが並ぶ。車の年式は1923年から1937年。一方、参加者の年齢はヴィンテージ世代からポストミレニアル世代まで幅広い。

若い世代の参加は、ヴィンテージ・ベントレーを駆るウィリアム・メドカーフにとって特に嬉しいことだという。彼は初心者や若者に経験を積んでもらうためこれまで5回ほどトラックデイを主催している。

「今回、うちの2台のベントレーに乗った人たちは全員30歳以下だった。当時だって若者がこれらの車を運転していたんだ。今でも同じでいいはずだ。体験が非常にアナログで、彼らはそれを楽しんでいる。このイベントのシンプルさも魅力だ。参加費なし、面倒なし。ただ友達が集まって楽しむだけだからね」

14台参加したベントレーの中で、今回『Octane』は、1927年式ベントレー3/4½(コルシカ製ボディ)に同乗させてもらった。オーナーは気さくなティム・ウェラーである。

北ロンドンのスピードバンプを越えながら、彼は車の歴史を語ってくれた。元は海軍少佐クリストファー・トムキンソンの所有していた2シーターで、美しいボブテールとヘルメットフェンダーが特徴だ。ティムがこの車を買ったのは2年前。休暇中にヴィンテージ・ベントレーの本や記事を読みあさり理想の1台を決めたところ、休暇から戻った朝にこの車の情報が届き、わずか2時間で購入を決断したという。

エンジンは4.7リッター仕様にリビルドされ、初期のブロワー「SM 3901」に使用されていたDタイプ・ギアボックスが搭載されている。最終減速比3:1となるなどラリー向けの仕様となっている。ステアリングボックスは分解され、4½リッター仕様のステアリングギアを使ってオーバーホールされたが、必要不可欠な場合を除き、ボディの修理や塗装のタッチアップは行われていない。それ以来、ティムのベントレーは”ベントレー基準”で言えばほんの肩慣らし程度に必要最低限のイベントをこなしてきたが、これまでシャムロック・ラリー、カレラ・イベリア、カレラ・イタリアを走破した実績を考えれば、ロンドンを少し走るくらいは朝飯前だと感じた。

「最初のラリーをInstagramで見て、ジェームズに連絡したんだ。ロンドン中心部を走れるなんて素晴らしい。見せびらかす感じがまったくなく、純粋に楽しいだけなのがいい」

運転はティム、私はナビ担当。しかし最初の角でいきなり道を間違える。だが問題はない。前にはたくさんの車がいる。1台が間違えれば、たいてい皆も同じだ。最初の目的地はリージェンツ・パークの中心部だ。ここで一息つき、アドレナリンを落ち着かせながら会話を楽しむ。そこから隊列はウエストエンド近くのコノートホテルへ。歩道にはヴィンテージカーがずらりと並び、通行人がスマートフォンのフラッシュを光らせながら取り囲む。ホテルのドアマンも追い払うどころか、嬉しそうに駐車を手伝ってくれた。

その後の区間は少し車には厳しい。リージェントストリートは夜でも交通量が多く、ヴィンテージカーはUberの列に挟まれながらピカデリーサーカスへと進む。それでもライトに照らされたピカデリーサーカスをヴィンテージカーで走る体験は格別である。群衆が手を振り歓声を上げる。

さらに迷路のように入り組んだトラファルガー広場を抜け、国会議事堂前でビッグベンに敬礼し、ザ・モールへ。そこでは地図のミスにより、なんとバッキンガム宮殿前にヴィンテージカーが整列するという、思わぬ展開となった。近づいてきた衛兵たちは写真撮影を黙認してくれたが、やがて「そろそろ移動を」と静かに告げられることとなる。

最後の集合ポイントは、これらの車が当時実際に出会っていたであろう、戦前の”新しいロンドン”だ。そこは栄光に満ち、楽観的で色彩豊かな都市の面影を今に伝える数少ない建物のひとつ、フルハムロードにあるフランソワ・エスピナスのミシュラン・ビルディング(正式にはミシュラン・ハウス)である。そしてここで、ティムは最後の区間であるブレントフォードまで、私にステアリングを握るよう強く勧めてくれた。そこではマーリン・マコーマックがデューク・オブ・ロンドンの扉を開け放ち、我々を迎えてくれているのだ。

「マーリンには本当に感謝している」とジェームズは言う。「真夜中に気持ちよく締めくくれる場所がどこにもなかったんだ。すると彼が『帰る前にデュークに寄ってコーヒーとピザをどうだい』”と提案してくれたんだ。この場所はM4にもすぐ近いから、街の外へ帰る人たちにとっても理想的だ」

室内から見るティムの車は、外から眺めるのと同じくらい見事である。風合いを帯びたダッシュボードはまさに目の保養であり、エンジン音と走行体験は実に爽快だ。一般的な配置のスロットルとゲート式シフト、十分に効くブレーキ、そして予想どおり重いながらも扱いやすいステアリングのおかげで、このベントレーが決して扱いにくはないことがわかる。ただし例外は、いつもの気難しいドッグ式ギアボックスだ。とくに3速は実に手強い。

やがて街を抜け出し、A4では思いきりアクセルペダルを踏み込むことができる。エンジン音は高まり、低いウインドスクリーンの上をやわらかな風が流れていく。その感覚がさらにスリルを高めてくれる。

デューク・オブ・ロンドンには何事もなく到着した。近隣住民への配慮から、最後の100ヤードは惰性で転がし、4速から3速へのあの耳障りなダウンシフトでタワーブロックの住人たちを起こさないようにする。

他のドラマはといえば、オースティン・セヴンが一度ホイールを”失った”が路肩で素早く交換され事なきを得た。電装系の不調が数台に見られたが、オーバーヒートの懸念で途中離脱した車両が1台あった程度だ。スタート地点へ向かう途中、ハーロウで故障したベントレー3リッター・クーペを除けば、それ以外は大きな問題もない。走行時間は約3時間、イベント全体では6時間ほど。参加者は皆この上なく満足していた。

ヴィンテージ・ロンドン・ラリーは急速に広まり、人気もどんどん高まっている。では、主催者たちはこのイベントの将来をどう考えているのだろうか。

「続けていくつもりだよ。というのも、私が与えている以上のものをこのイベントから得ているからね。あの高揚感、そしてイベント後の投稿を見れば、皆がどれだけ楽しかったかを語ってくれる。年2回の開催にしたいと思っている。6月には朝のラリー、10月には夜のラリーだ。ただ、サリーやコッツウォルズなど郊外でのイベントもやるかもしれない。台数について言えば、今回はかなり多かったから、おそらく25台くらいに制限するのがいいだろう」とジェームズは語る。

さらにフェデリコも付け加えた。「草の根のイベントが、本来の姿とは違うものへ変わってしまうのを何度も見てきた。だから、あえて発展させない方がいいものもある。50台くらいでも成立はすると思うが、余計な注目を集めたくないし、”なんて楽しいんだ!”という世間の反応が”なんて迷惑なんだ”に変わってしまうのも避けたい」

2人が固く決めていることが2つある。ひとつは、このヴィンテージ・ロンドン・ラリーを今後も参加費無料のイベントとして続けることだ。

「最近はイベントの参加費が本当に高い。意図的ではなくても、人を排除してしまうことになる」とはジェームズの弁だ。もうひとつは、今と同じように気ままなスタイルを保つことだ。

フェデリコは笑いながらこう続ける。「私は半分ドイツ人だから、規則というものを強く意識してしまう。でもこのイベントはフレンドリーで即興的なもののままにしておきたい。私たちはただの友人グループで、パブで夕食を食べ、そのあと同じ方向に車を走らせるだけなんだ。”WhatsApp”のグループがあって、夕食の予約があり、午前3時のピザも決まっている。そのふたつの食事のあいだに何をするかは、各自の自由というわけだ」

正直なところ、ヴィンテージ・ロンドン・ラリーはここ数年で体験した中で文句なしに最高の出来事であった。目的という点では完全に達成されている。車も仲間意識も別格であり、少しばかり”いたずらめいた”感覚があることさえ、この楽しさをいっそう引き立てている。もし、この特別な雰囲気を保つために規模を適切に抑え続けることができれば、やがてこのイベントに参加するためだけにヴィンテージカーを買う人が現れるだろう。そして、おそらくその最初のひとりは、私自身である。

翻訳:マイルスアヘッド Translation: Milesahead

Words: James Elliott Photography: Federica Olivotto