
フェラーリの競技史における重要な転換期に構想されたフィアット・ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレは、1960年代イタリアン・コンセプトカーの中でも特筆すべき存在である。開発の背景には、1967年のFIAフォーミュラ2の規定改定があった。新規定では、年間500基の量産実績を持つエンジンが義務付けられ、フェラーリがF2参戦のために開発していた2リッター・ディーノV6エンジンも、その条件を満たす必要に迫られた。
【画像】世界のコンクールでの受賞歴も多数!走行可能な状態を維持するフィアット・ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ(写真43点)
このディーノV6は65度V型6気筒DOHCを採用し、アルミ合金製ブロックによる軽量構造と高回転域まで滑らかに吹き上がる特性を備えていた。フェラーリ単独では生産要件を満たせなかったため、製造はフィアットに委ねられ、フィアット・ディーノとして量産モデルへと展開されることになる。その際、クーペとスパイダーのデザインはそれぞれ別々のカロッツェリアに委託された。ディーノ・スパイダーはピニンファリーナが手がけ、より流麗で開放的なプロポーションを与えられた。
一方、ディーノ・クーペはベルトーネが担当し、当時の同社のチーフデザイナーはジョルジェット・ジウジアーロであった。その端正で抑制の効いた造形は、同時期のいすゞ117クーペと通じるデザインテーマを共有している。ベルトーネ作ディーノ・クーペのデザインに感銘を受けたエンツォ・フェラーリは後に、308GT4のデザインを同社に依頼することになる。そして、このV6エンジンはその後、フェラーリ・ディーノ206GT、さらに246GTへと発展し、やがて308GTBをはじめとするV8ミドシップ・フェラーリへと連なる系譜の出発点となる。いわゆる”ピッコロ・フェラーリ”の源流はここにあり、フェラーリは長年守ってきたV12フロントエンジンのグランツーリスモから、軽量高回転型V6ミドシップレイアウトへと舵を切る契機となった。
このような背景があり、ピニンファリーナは若きデザイナー、パオロ・マルティンにディーノ・プラットフォームの空力的可能性を探究させた。長く滑らかに傾斜するフォルムは、後端で鋭く断ち切られる”カムテール”へと収束する。これは、理想的な涙滴状の後部を途中で切断しても抗力を大きく損なわないというドイツの空力研究者ヴニバルト・カムの理論に基づくものだった。1960年代後半は、航空宇宙技術の進展や高速走行性能への関心の高まりを背景に、自動車デザインが空力合理性を強く意識し始めた時代でもある。本車は、流線型から次代の直線的造形へと移行する過渡期の姿を体現しており、その空力的アプローチは後にマルティンが手がけるフェラーリ・モデューロへと継承されていく。
1967年パリ・モーターショーで初披露された際、本車はホワイトで仕上げられ、その低く流麗なシルエットと彫刻的なボディワークによって未来的な印象を強く与えた。翌1968年ジュネーヴ・モーターショーでは、ロッソ・ディーノ(ディーノ・レッド:赤より橙に近い鮮烈な色調で、今ではフェラーリの象徴的なカラーとなっている)へと塗り替えられ、より洗練されたリア処理を伴って再登場する。
フラットで低いノーズ、明るく開放的なキャビン、大胆な意匠のシート、美しいパンチング加工のダッシュボードなどの造りは、単なるデザインスタディを超えた完成度を示している。展示専用のモックアップではなく、実走可能なプロトタイプとして製作されている点も、本車の性格を物語っている。
ジュネーヴ・モーターショーで展示された後、この車は23年間にわたり、トリノのピニンファリーナ本社に保管された。その後、イタリアおよびフランスの個人コレクションを経て、近年公の場に復帰し、コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステでの受賞や、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスの展示を通じて、その歴史的価値と保存状態の高さが改めて評価された。走行距離は6000km未満に留まり、1968年当時の姿を色濃く伝える保存状態は特筆に値する。
ディーノV6がフェラーリの思想を拡張したエンジンであったとすれば、この車はその思想を造形面から提示した一台といえる。V12の時代からV6ミドシップ時代へと移行する過渡期に生まれた本車は、戦後イタリアン・デザイン史の中でも重要な位置を占めるプロトタイプである。
なお、この車両は2026年3月5~6日におこなわれるグッディング・クリスティーズのアメリアアイランド・オークションに出品される。予想落札価格は57万5000 ~77万5000ドル(8800万円〜1億1800万円)。
1968年 フィアット・ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ
エンジン:1987cc、DOHC、アロイ製V型6気筒、ウェーバー製ツインチョーク・キャブレター×3基
最高出力:160bhp/7200rpm
トランスミッション:ZF製5速マニュアル
サスペンション(フロント):独立懸架式サスペンション(コイルスプリング)
サスペンション(リア):ライブアクスル式サスペンション(セミエリプティック・リーフスプリング)
ブレーキ:4輪油圧式ディスクブレーキ