
1988年以降、公の場に姿を見せていなかったこの超希少かつ先進的なフェラーリ 365 GTB/4 NARTスパイダーが、2024年8月にモントレーの「ザ・クエイル」で公開された。誰よりも早くその姿を目にすることができたデイヴィッド・リリーホワイトが、この車の歴史と価値について語る。
【画像】フェラーリ365 GTB/4 デイトナの個性的なスパイダー(写真7点)
赤と黒に彩られたこの奇妙な姿をいくら眺め続けたところで、事前知識なしに、これがフェラーリ365 GTB/4 デイトナとして生を受けた車だと誰が見抜けるだろうか。当然無理だろう。
ではこの車が、あの象徴的なデイトナよりもはるかに価値ある存在だという結論に達するだろうか。その答えは今の段階では保留にしておきたい… なにしろ、この希少なマシンは一見するとトライアンフ TR7とポンティアック・フィエロを彷彿させるところがあるのだから。
しかし、それこそが365 GTB/4 NARTスパイダーという存在の核心である。後年に現れる数多くのデザインを先取りしていたのだ。このシャシー15003は、1988年にアメリカ・ネヴァダ州リノにあるロバート・M・リーのコレクション(以下「リー・コレクション」)に加わって以来、公の場に姿を現していなかった。しかし、2024年8月、カリフォルニアのモントレー・カー・ウィークを象徴する「ザ・クエイル、ア・モータースポーツ・ギャザリング」にて、再び表舞台に戻ってきた。”15003”は1974年から1981年にかけて製作されたわずか5台しかない365 GTB/4 NARTスパイダーのうちの一台だ。各車の仕様はすべて少しずつ異なっており、それぞれが並々ならぬ歴史的価値をもっている。
当時のNARTは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。なお、「NART」という印象的な四文字の略称に馴染みがないかもしれないが、これは「North American Racing Team」の略であり、レーシングドライバーにして北米のフェラーリ販売の草分けであるルイジ・キネッティによって創設された。
365 GTB/4 NARTスパイダー生みの親、キネッティとは
この車を理解するために、まずその生みの親を知る必要がある。イタリア生まれのキネッティは14歳にしてすでに整備士の資格を取得していた。2年後の1917年には、アルファロメオへ入社し、そこで同じく若手であったエンツォ・フェラーリと出会う。フェラーリと同様、キネッティもまたレースの世界に足を踏み入れ、スポーツカーに特化。1932年からはル・マンにも参戦した。第二次世界大戦の勃発により、アメリカへ移住するが、1940年代の終わりにヨーロッパへ戻り、そこでエンツォ・フェラーリと再会する。
自身の財産を含め、故郷であるイタリアの多くが破壊されていたこともあり、キネッティは程なくしてアメリカへ戻った。そこから、東海岸を拠点にキネッティ・モータースを設立し、北米初のフェラーリ輸入業者となった。彼はすぐに富裕層の自動車愛好家やレーシングドライバーといった顧客層との関係性を構築し、1958年にはアメリカでフェラーリを広めるためNARTを結成した。
エンツォ、そしてファクトリーとの繋がりにより、キネッティは自らのレーシングチームに最高のマシンを確保することができた。程なく世界各地で成功を収め、とりわけル・マンやセブリングで名を馳せることになる。
さらに彼は、米国市場に適したファクトリーの製作方針にも影響を及ぼすことができた。それが叶わない場合、彼は顧客の要望に応じた独自仕様のモデルを製作させた。最も有名な例が、250GT カリフォルニア・スパイダーの生産中止により、販売できるオープンモデルを失った時の逸話である。彼はエンツォの了承を得た上で、275 GTB/4 クーペをベースとした275 GTS/4 NART スパイダーを製作するよう依頼したのだ。
1970年代半ばには、キネッティは70代に突入していたが、依然として大きな影響力を持っていた。365 GTB/4 デイトナは生産を終えたばかりだったが、ランボルギーニのミウラやカウンタックと並べると、いかにも古くさいと思わせる存在になっていた。一方で、後継として投入された365 GT4 ベルリネッタ・ボクサーはまだ潜在的な顧客の心を掴みきれていなかった。
ミケロッティによる5台のデイトナ・オープントップ
以上が、この車が誕生した背景である。キネッティがアメリカの最重要顧客に向けて販売するにあたって求めていたのは、よりモダンで、目を引き、そして何よりもオープントップであることだった。そのために、彼は当時最も才能豊かで多作なデザイナーのひとり、ジョヴァンニ・ミケロッティのもとへ向かった。当時50代前半だったミケロッティはスタビリメンティ・ファリーナ、ベルトーネ、ギア、ヴィニャーレといった名だたるカロッツェリアで経験を積み、1959年に自身のスタジオを開設していた。1950〜60年代の偉大なアルファ、ランチア、マセラティ、フェラーリ、そして少し毛色は違うがトライアンフの多くもミケロッティが手掛けている。(念のために補足すると、TR7は1960年代から70年代初頭にかけて、彼がデザインしなかった数少ないトライアンフのひとつである)
キネッティのためにミケロッティが作ったものは、木型に当ててアルミを手作業で成形したデイトナとはかけ離れていた。オープントップ、堂々たるウェッジシェイプ、フロントからリアへと通る一本のベルトライン、低く切り詰められたドア、ボディと一体化したバンパーを備えた初代365 GTB/4 NARTスパイダーはまさにその時代を体現していた。
#14897
5台のうち最初の1台は、1971年型デイトナ・クーペ(シャシー14897)として誕生したが、デビューから数カ月のうちに事故で損傷。屋根は潰れ、いくつかのパネルが欠けた残骸としてキネッティ・モータースが買い戻したと伝えられている。この車両はアメリカからトリノにあるスタジオ・テクノ・カロッツェリア G ミケロッティへ運ばれ、NART スパイダーに改装された後、1974年11月のトリノ・モーターショーにおいて、ミケロッティのブースで披露された。ボディは淡いメタリックブルー、内装はオレンジとブラウンのレザー、低いドア、クアッドヘッドライト、ロールバー、そしてタルガトップを備えていた。
#15965
次の1台はまったく性格の異なるものだった。1975年のル・マン24時間レースで戦うことを目的に、レース仕様として設計されたのである。この車も、ベース車両は市販車仕様のデイトナ・クーペ(シャシー15965)であった。改装のためにミケロッティのもとへ送られたが、今回は、レース仕様に仕上げるためモデナのスペシャリストへ委ねられた。搭載されたのは、1972年のル・マン24時間レースで総合6位、クラス2位を獲得した別のデイトナに使われていた、グループⅣ仕様のレース用エンジンだった。
ロールフープとタルガトップ、赤・白・青の特徴的なリバリーをまとった2台目のNARTスパイダーは、ジャン=ピエール・マルチャーとコ・ドライバーのパトリック・ラングロワによって、4分38秒08のラップで75年ル・マンの予選を通過している。しかしその後、他のNARTエントリー車の予選資格を巡ってACOとキネッティの間で対立が生じ、そのことで激怒したキネッティは、スタートのわずか88分前という土壇場でチーム全体を撤退させてしまった。せめてもの救いは、このレーシングカーは現存していることだ。その後、ル・マン クラシックやモントレー・ヒストリックス、ツール・オートなどのヒストリックカー・イベントに参戦している。
#14299
1976年にキネッティはさらに3台の365 GTB/4 NART スパイダーを依頼した。そのうちの一台がここで取り上げている主役の車両である。3台のうち最初に完成したのはシャシー14299で、1977年にダークブルーのボディにグレーの内装に仕上げられ、キネッティの元へ戻ってきた。キネッティはこの車をすぐさま妻にプレゼントした。トランクリッドには彼女への敬意を込めてMarionの文字があしらわれている。
夫婦の息子、ルイジ ココ キネッティ Jr.はこの車のことをよく覚えている。彼は取材当時(2024年時点)、妻ジャクリーンとともに、父のアーカイブを丹念に読み解いており、ポーター・プレス社から出版予定のキネッティ家の物語に関する新刊に向けて多くの当時の写真を発掘していた。「365 NARTスパイダーは、見た目が本当にいいと思う。特に、フロントはとてもクリーンだ。あの年式としては、ダークブルーに、下まわりが明るい色の組み合わせというのは、かなり格好良かったよ」
#16467
そして物語はいよいよ最後の2台へと進む。主役のシャシー15003と、その姉妹車であるシャシー16467だ。後者は正真正銘のGTS/4 デイトナ”Spyder”として誕生した車両である(フェラーリ本社は348の登場以前、オープンモデルをSpydersと表記していたが、NARTは365については主にSpiderという綴りを用いていた)。このシャシー16467は映画『The Gumball Rally(邦題:激走!5000キロ)』の撮影中に事故を起こしており、さらに『A Star Is Born(邦題:スター誕生)』ではクラッシュしたデイトナとしても登場している。その後、ミケロッティへ送られ、赤いボディに黒とグレーの内装に仕上げられた。
この車こそキネッティ Jr.が最も多くの時間を共にした一台だった。走りは良かったと振り返る一方、当時のアメリカでは「全開で走らせる機会はほとんどなかった」とも語っている。「数カ月の間、かなりの時間を共にしていろいろな経験をしたのがこの車だった。なんといっても走らせていて気持ち良かった。ボディの捩れもなくしっかりとした作りで、とても良くできた車だった。心から楽しめたよ」
本稿の主役#15003
一方、今回の主役であるリー・コレクションのNARTスパイダーはデイトナ・クーペをベースとしている。現在もシャシー15003として知られているものの、この車は1978年5月にNARTスパイダーへの改装のためにミケロッティへ送られる以前から、CT29264という番号に打ち替えられていた。この”CT”という表記は、”コンポジット車両”を識別するための、コネチカット州の基準によるものだ。この番号が、ベースとなったデイトナが事故車だったことを示していると考える人もいるが、実際にはキネッティ・モータースがボディパネルの変更を見越して、事前に対応しただけだった可能性も高い。キネッティ Jr.自身は、市販車仕様の365 NARTスパイダー4台のうち、事故車をベースにしていたのは、シャシー14897と16467の2台だけだと考えている。
いずれにせよ、本稿のNARTスパイダーは1981年にアメリカへ戻り、5台の中で最後に納車されることになった。この車は、テキサスの石油王にしてレーシングドライバー、そしてチームオーナーでもあった、破天荒な人物ジョン・ミーカムに売却されている。当初はシルバー/ブルーに仕上げられていたという説もあるが、その点は定かではない。確かなのは、1988年に現在のブラックとレッドのリバリーでバレットジャクソン・スコッツデール・オークションに出品され、リー・コレクションの創設者であるロバート・M・リーの手に、37万ドルで渡ったということだ。
間近で見ると、写真で受ける印象よりはるかに大きな車であることがわかる。デイトナをルーツに持つ車としては、当然のことだろう。当時物のハイプロファイルなエングルベルト製タイヤと、クロームのボラーニ・ワイヤーホイールを履き、滑らかに傾斜するフロントと細身のバンパーが全高を低く見せることに奏功している。巨大なフロント搭載V12と、6基のダウンドラフト・ウェーバーが高い位置にあったため、キネッティの望むウェッジシェイプを実現するのにミケロッティは苦労したと言われている。それでも完成した姿は、意外性を孕みつつも、まとめ上げられたデザインだった。
ロバート・M・リーは2016年の1月に亡くなったが、未亡人のアン・ブロッキントン・リーは、彼女の代名詞とも言える情熱をもって、リー・コレクションを育み続けている。コレクションマネージャーのジェームズ・オブライエンやチームと共に、約200台にも及ぶ車両を可能な限り公開し、必要に応じて再稼働やレストアもおこなっている。このNART スパイダーは、公の場に姿を現す前に、機関系の点検と全体的な手入れを必要としたが、それ以外は1988年にリーが購入した当時の姿のままで公開された。
365 GTB/4 NARTスパイダーは、ミケロッティとキネッティ両者にとって、最後を飾る作品となった。デザイナーであるミケロッティは、この車が完成する前の1980年1月に、58歳という若さでこの世を去った。一方、ルイジ・キネッティは1977年に引退し、キネッティ・モータースを売却したが、NARTは1982年までフェラーリでのレース活動を続け、マリオ・アンドレッティやフィル・ヒルを含む100人以上のドライバーと共に、200戦以上に参戦している。キネッティは1994年8月、93歳で亡くなった。
365 GTB/4 NARTスパイダーのスタイルを誰が考案したのかと問われると、キネッティ Jr.は、ミケロッティではなく父だったと確信している。「彼(ミケロッティ)は本当に素晴らしい人物で、私は彼が大好きだった。でも、この車は父のアイデアだったと思う。車と、それを作るため資金を用意したのは父だったからね。父がとても満足していたのは確かだ」
「父は特別な車を作ることを心から楽しんでいた」と彼は続ける。「最初からフェラーリだけだったわけじゃない。他の車も手がけていた。もちろん、第一はレースだ。次が特別な車を作ること。コレクターになりたいという欲求は、たぶんずっと後回しだった。父はただ、作り、走らせ続けたかったんだ。ただ、父を責める気にはなれない。どうやら私も、同じ性分を受け継いでしまったようだからね。実に楽しいものだよ」
2024年の夏、ザ・クエイルを訪れた人は幸運だ。なぜなら、リー・コレクションの365 GTB/4 NARTスパイダーを自らの目で確かめ、その背後にある並外れた歴史を改めて思い起こすことができたのだから。
1978 フェラーリ365 GTB/4 NART スパイダー
エンジン:4390cc V型12気筒、片バンクDOHC、ウェーバー40 DCN/20 ダウンドラフト・キャブレター6基
最高出力:352bhp/7500rpm 最大トルク:318lb ft/5500rpm
トランスミッション:5段MT トランスアクスル、後輪駆動、リミテッドスリップ・デファレンシャル
ステアリング::ウォーム&ローラー式
サスペンション(前後):ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、テレスコピックダンパー、アンチロールバー
ブレーキ:ディスク 車重:1200kg(推定)
最高速度:174mph(280km/h) 0–60mph:5.4秒
翻訳:オクタン日本版編集部 Translation: Octane Japan
Words: David Lillywhite Photography: Blair Bunting