連載:アナログ時代のクルマたち|Vol. 70 デロリアン

デロリアン、この名前を聞いて思い浮かべるのは間違いなく、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場したデロリアンではないだろうか。

【画像】映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で使用され、一躍脚光を浴びたデロリアン(写真6点)

オリジナルのデロリアンは、ステンレス製のボディを持つミドシップのスーパーカー。といっても搭載されていたエンジンが、プジョー・ルノー・ボルボが共同で開発した通称PRVと呼ばれたV6エンジンで、排気量も2.85リッター(デロリアンに搭載されたもの)だったから、大したパフォーマンスは持たない性能のモデルであった。ステンレスのボディをデザインしたのは、イタルデザインのジゥジアーロ。デビュー時はまさに鳴り物入りの登場であった。

この会社を興したのが、ジョン・デロリアンである。彼は東欧からの移民の子として生まれ、大学卒業後はいくつかの職を転々とするが、最終的に落ち着いた先は、自動車メーカーのパッカードであった。彼はここでその才能を如何なく発揮し、当時パッカードで開発された画期的なオートマチックトランスミッション、ウルトラマチックをさらに進化させた、ツインウルトラマチックを作り上げた。このウルトラマチックが画期的だった点は、一つの自動車メーカーがすべての開発を行った点と、後に一般化するロックアップ機構を備えていたことである。

しかし、財政難にあえいでいたパッカードは、スチュードベーカーとの合併を選択。デロリアンもそこへ移籍するものと思われていたが、好条件のヘッドハンティングを行ったのがGMであった。こうしてデロリアンは、当時のポンティアック・ディビジョンに、エンジニアとして迎え入れられることになる。

ポンティアック時代のデロリアンも、卓越したアイデアを披露した。この当時ポンティアックを率いていたのは後にGMで副社長にまで上り詰めるシーモン・バンキー・ニューセン(日本ではクヌードセンと表記されるケースが多い)で、彼はポンティアック・ブランドを、スポーティーなイメージのブランドに育て上げるべく活動し、デロリアンもそれにこたえる仕事をしていた。デロリアンの大きな功績は、1961年式ポンティアック・テンペストに採用されたトランスアクスルの開発、そしてポンティアック・ルマンのパフォーマンス・パッケージとして登場した、GTOを生み出したことだろう。

このような数々の功績を残したことで、デロリアンはシボレーの責任者に移動することになる。そして高い実績を持つ彼だったが、その行動は常に派手であり、GM幹部には決して良く思われていなかったようで、1972年にGM副社長に上り詰めた彼も、ついにGMを去る羽目になった。

GMを去った翌1973年。デロリアンはついに彼自身の会社、デロリアン・モーター・カンパニーを設立し、かねてから温めていたスポーツカー開発を推し進めるのである。しかしながら、このプロジェクトは波乱に満ちたもので、ようやく最初のプロトタイプが誕生するのに2年以上の歳月がかかったうえ、当初構想していた画期的アイデアは、すべて白紙に戻ってしまった。

当初の計画ではステンレス製ボディ(これは最後まで変わらなかった)に、ERM法のプラスチック成型のシャシーを使い、そこにロータリーエンジンを搭載するという計画だった。しかし、ロータリーの採用は早期にキャンセルされ、その後フォード製V6、シトロエンCX用2リッター直4など、様々なエンジンが検討された結果落ち着いたのが、PRV製のV6ユニットであった。融資を受けた関係もあって、車の完成は期限を切られていたのだが、アイデア倒れの感も否めず、作業は遅々として進まなかった。デロリアンはポルシェに相談を持ち込むものの、彼らの回答はその開発期間が長すぎた。そこへ18カ月で仕上げるという答えを持ち込んだのは、ロータスのコリン・チャップマンであった。結果的にチャップマンのもとで、ほぼ完全に再設計されたシャシーは、ロータス・エスプリ風 バックボーンフレームになり、オリジナルの構想で残されたのは、ステンレス製ボディとガルウィングドアだけであった。

生産が開始されたのは1981年。しかもダンマリーという北アイルランド、ベルファスト郊外に作られた工場の生産スタッフは、多くが未経験で、初期モデルの生産クォリティーは低く、納車された多くがトラブルを抱えたという。そして販売価格は2万5000ドルと、当時としてはかなり高額であったことから、当初の目論見とは裏腹に、高額な割に性能が低く、しかも故障が多いと評判は悪く、生産開始からわずか1年で、デロリアン・モーター・カンパニーは破産を申請することになる。しかも創業者のジョン・デロリアンは、麻薬密売容疑で逮捕される羽目になったのである(後年その容疑は晴れるが)。

1981年に生産されたデロリアンは実に7500台といわれるが、販売台数はその半分にも満たない3000台ほどであった。工場の閉鎖に伴って、生産情報が紛失したため、正確な生産台数は不明だというが、その後の調べによると、総生産台数は8975台だという。そして、生産が止まった後の1984年、この車は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で使用され、一躍脚光を浴びた。制作を担当したユニバーサルスタジオでは、劇中車として3台のデロリアンを制作、それぞれAカー、Bカー、Cカーと呼んで区別していた。最も精巧に作られたのはAカーで、それはロサンゼルスのテーマパーク、ユニバーサルスタジオに展示されていたが、部品の盗難が多く、現在はピーターセンミュージアムに展示されているという。また、日本では熱心なファンが、レプリカを作り上げ、ナンバーを取得し、公道を走れるモデルに仕上げている。

文:中村孝仁 写真:T. Etoh