
FA(フリーエージェント)によって選手が移籍した場合、注目の的となるのが人的補償だ。実績十分、あるいは将来を期待される選手が移籍するなど、数々のドラマが誕生してきた。中でもFAで多数の選手を獲得してきた読売ジャイアンツでは、過去にまさかの人物が移籍した事例もあった。そこで今回は、FAの人的補償で移籍した巨人の歴代選手を紹介する。[1/6ページ]
川邉忠義
・投打:右投右打
・身長/体重:193cm/95kg
・生年月日:1968年4月30日
・経歴:秋田工 - 川崎製鉄千葉
・ドラフト:1989年ドラフト2位(巨人)
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NPBでFA制度が始まって以降、人的補償の移籍第1号となったのが川邉忠義だ。
秋田工で夏の甲子園出場を経験し、卒業後は社会人野球の川崎製鉄千葉(現:JFE東日本)でプレー。日本代表としての経験も重ねた実力者は、ドラフト2位で読売ジャイアンツに入団した。
しかし、一軍での登板機会を得られないまま年月が過ぎ、1995年に河野博文(日本ハム)がFA移籍を表明。巨人への入団が決まり、川邉は人的補償として日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハム)に移籍となった。
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移籍1年目の1996年、初の一軍登板を果たすと、同年は最終的に17試合に登板。防御率4.89と満足のいく成績ではなかったが、プロ初勝利もマークした。
ただ、右ひじの状態が思わしくなかった1997年、一軍登板もないまま戦力外通告。その後はNPBでのプレーが叶わず、ユニフォームを脱ぐことになった。
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