毎日こつこつと積み上げるように働き、生きている私たち。そこに、にわか雨のように突如訪れる「病」。自分自身だけでなく、パートナーや子ども、親などの近親者が何らかの疾患にかかることで、当たり前のように過ごしていた日々が一変することもあります。そして、大きな不安を抱えながらも、それでも働き、生きていかねばなりません。

生きるとは、働くとは、幸せとはなにか考えるシリーズ「生きる、働く、ときどき病」。今回は若年性認知症患者である松本健太郎さんにお話を伺います。


日本では、18〜64歳の人口10万人あたり約50.9人、全国で推定およそ3.57万人が若年性認知症患者とされています。社会の構造変化や働き方の多様化が進むなか、発症年齢の若さゆえに仕事、家庭、経済など“人生の中心”にある課題に直面するケースが少なくありません。

松本健太郎さんは3年前、48歳のときに長年キャリアを築いた営業職から、大きな方向転換を強いられることになります。全3回のインタビューの1回目です。

40歳前後から起こり始めた「仕事での異変」

  • 若年性認知症と診断前、営業職時代の松本さん

    診断前、営業職時代の松本さん

北海道赤平市にある燃料・設備販売会社で営業部の管理職として働いていた松本さん。1996年に就職してから懸命に働いてきた松本さんに異変が現れ始めたのは2015年、40歳のころです。同僚の名前を忘れたり、簡単な書類作成に時間がかかったり……それまでできていたことがスムーズにできなくなりました。

5分で片付く伝票作成が半日かかっても終わらない

「私の場合は、事務作業や書類関係の能力が極端に落ちました。5分や10分でパッと片付くはずの売り上げの伝票作成が、半日くらいかかってしまうんです。どうしてできないのか、自分でもまったくわかりません。

営業だから日中は外出することも多いので、1人で集中できる環境なら仕事が進むかもしれないと、午前2時ごろに出社してやり残した事務仕事を片付けようとしました。燃料・設備の会社なので、会社には24時間出入りできるんです。

だけど、会社に行ったところでなかなか進みません。目的があって会社に行ったはずなのに何をしていいかわからなくなって、机の引き出しを開けたり閉めたり、ただぼーっとしたりしていました」(松本さん)

  • ※画像はイメージです

    ※画像はイメージです

事務仕事だけでなく、営業先で何をすればいいかわからなくなってしまうこともありました。

「外出先で何をしようとしているのかわからなくなり、会社に戻って予定を確認して、また外出するものの、またしても何をすればいいかわからなくなって会社に戻ったり……。そんなことばかりしていたと思います」(松本さん)

感じていた「やる気がないんじゃないか」「ダメなやつだな」

事務仕事が滞ると、会社の経理部から上司に「伝票が回ってこない」と報告され、上司から叱責されます。同僚たちは気のいい人が多く、松本さんに直接注意することはありませんでしたが、「やる気がないんじゃないか」「ダメなやつだな」とレッテルを貼られているような雰囲気が感じ取れました。松本さんは診断が出るまでの約7〜8年ほどを「非常に屈辱的な数年間だった」と言います。

「サラリーマンは出世を争う世界でもあるので、隙があるとすぐに追い越されます。同僚がどんどん出世して私自身の出世は遅れていく、それはとてもつらかったです。まさか病気だとは考えもつきませんでした」(松本さん)

受診のきっかけは、会議での言動

理由がまったくわからないまま、どうしても事務仕事ができない日々。「疲れなのか」「自分のやる気が足りないのか」と自問し、毎晩3リットルもの“やけ酒”をあおっていました。そんな松本さんに受診をすすめたのは会社の上司や同僚たちです。

「私自身は詳しく覚えていないんですが、営業部の会議中に私が奇妙な言動をしたらしいんです。役員や同僚たちがざわざわして、複数人から『病院に行った方がいい』と言われました」(松本さん)

砂川市立病院を受診しようと電話すると、予約は1〜2カ月先になると言われます。ひとまず予約をしつつ、とにかく早く受診をして状態を改善できればと、2022年9月にメンタルクリニックを受診しました。

「メンタルクリニックでは“うつ病”と診断されました。当時、気持ちが急にぐっと落ち込んだり、嫌なことがあるわけじゃないのに突然怒り出したり、そういうことがよくあったようです」(松本さん)

診断は「若年性アルツハイマー型認知症」

その後、10月に脳外科クリニックを受診すると「うつ病を伴う仮性認知症」と診断。そして10月下旬、砂川市立病院を受診します。

認知症治療に注力しており、もの忘れ専門外来(認知症外来)も開設している砂川市立病院での詳しい検査の結果、松本さんは「若年性アルツハイマー型認知症」の診断を受けました。若年性アルツハイマー型認知症は、65歳未満で発症する認知症のなかでも最も患者数が多く、脳の神経細胞が徐々に減って正常に働かなくなる病気です。

「医師によると、発症から約7年が経過しているとのことでした。でも自分の体感としては、おかしな状況が10年くらい続いていた気もします。
診断されたときのことはもう忘れてしまっていますが、診断前があまりにつらすぎたから、原因がわかって“納得がいった”というか……『自分は病気が原因で仕事ができなかったんだな』と思ったはずです」
(松本さん)

診断時、松本さんの妻が病院に付き添っていました。妻が運転する車で病院からの帰り道、2人は「大変なことになった」と話し合います。

「病気のこともそうですが、心配が大きかったのは生活費のことです。当時娘が高校生で、大学受験を控えた時期でした。若年性認知症と診断されて、自分の仕事と家族の生活がどうなってしまうのかという大きな不安を感じました」(松本さん)


続きの記事『48歳で告げられた“余命10年”。「死んでる場合じゃない、稼がなきゃ」』では、医師から聞いた余命のこと、診断後の松本さんに訪れた変化、そして新たな仕事についてお聞きします。