毎日こつこつと積み上げるように働き、生きている私たち。そこに、にわか雨のように突如訪れる「病」。自分自身だけでなく、パートナーや子ども、親などの近親者が何らかの疾患に襲われることで、当たり前のように過ごしていた日々が一変することもあります。そして、病に対する大きな不安を抱えながらも、それでも働き、生きていかねばなりません。
生きるとは、働くとは、幸せとはなにか考えるシリーズ「生きる、働く、ときどき病」。今回は金指歩さんにお話を伺います。
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編集プロダクションを運営し、ライター・編集者として働く金指歩さん(39歳)。都内で6歳の男の子を育てるシングルマザーです。2025年に待望の第2子を妊娠しましたが、まもなく子宮頸がんがあることが発覚。中絶と子宮全摘出術を受けることとなりました。金指さんに、現在の働き方を選んだ理由や、病が発覚したときのことについて話を聞きました。全2回のインタビューの1回目です。
■仕事も家庭も大事にしたいから、フリーランスを選んだ
ーー金指さんは現在、ライター・編集者として編集プロダクションを運営しています。そのような働き方を選んだ理由を教えてください。
金指 私は新卒で信託銀行に総合職として就職してから数年間、ひたすら仕事にまい進していました。4年目に支店から本部に異動になったのですが、当時、本部ではハードな働き方をする人がほとんど。仕事を頑張りたいのなら家庭を犠牲にせざるを得ないような職場でした。そんな中で、仕事は大好きだけれど家庭を顧みない働き方はしたくないな、という葛藤を抱くように。
そこで銀行を辞めて一般職や派遣社員で働いてみたのですが、自由時間は増える一方で仕事内容には物足りなさを感じました。仕事と生活とのバランスがうまくとれずに試行錯誤した20代を過ぎ、30代になってからフリーランスの働き方を考えるように。自分の場合は、独立すれば仕事と家庭のバランスを自分で調整できるようになると考えて、フリーライターとして働き始めました。
ーー仕事と家庭の両立のためにフリーランスの働き方を選んだんですね。
金指 はい。フリーライターとして仕事し始めて約半年後、元夫との間に長男を妊娠しました。2018年の初冬に出産したんですが、保育園申し込みの時期に合わず、0歳児は待機児童に。最初は、次の入園まで自宅で子どもを見ながら仕事をすることができたので、理想的な環境だと思っていました。
ただ、それも子どもがつかまり立ちをするまでのことでした。子どもがはいはいやつかまり立ちで動きまわるようになると目が離せなくなり、仕事量をかなり減らさなくてはいけなくなってしまいました。当時は共働きではありましたが、自分の状況次第で収入が増減するリスクを痛感し「これはまずい」と思いました。
それに私の都合で成果物の量が左右されるのは事業としてもよくないとも考えました。私が案件を受け、ほかのライターさんと協力しながら、まとまった記事本数を定期的に納品できるような、編集プロダクションのような形にしたほうが、収入も安定するしクライアントにとっても安心感があるんじゃないかと考え、2020年ごろから徐々に組織化したのです。
ーーその後、第2子妊娠については考えましたか?
金指 考えないわけではなかったけれど、第一子出産直後から3年ほどは「もう二度とあんな痛い思いをしたくない」という気持ちが続いていたんです。それに、その後は元夫と相談して、私が一家の大黒柱として家計を支えるようになったので、私が妊娠出産をしたら家計がまわらなくなってしまう不安もあって。それで、なかなか妊活に踏み切れませんでした。
でも長男が4歳になり、自分も30代後半に入って、やっぱり2人目がほしいな、と。不妊検査を受けてみたら異常がなかったので、タイミング療法(排卵日の時期に合わせて性交渉を行うこと)と、その後3回ほど人工授精にもトライしましたが、なかなか授かりませんでした。結果として、第2子妊娠は諦めることに。夫とも2023年夏に離婚することになりました。
■待望の第2子妊娠。同時に病気が発覚し……
ーーシングルマザーとして1人で働きながら子育てする道を選んだんですね。
金指 はい。そして今のパートナーと出会い、2024年春ごろからお付き合いを始めました。今も同居はしていませんが、長男とはとても仲よくしてくれています。
そんなパートナーとの間に、赤ちゃんができたんです。完全に諦めていたから驚きましたし、なによりすごくうれしかったです。ただ、妊娠出産するとなったら仕事面や生活面のやりくりがかなり大変、というかほぼ無理に近いだろうと戸惑う気持ちもありました。それでもやっぱり「産みたい」という気持ちが強かったです。
ところが、妊婦健診の初期検査で子宮頸がんがあることがわかったんです。
ーー体調の変化や自覚症状などはありましたか?
金指 ここ1年ほど、週に1〜2回ほど茶褐色のおりものがあることは気になっていました。でも「血? なのかな?」と思う程度のおりものだったので、まさかがんに直結するような不正出血だとは思わなかったんです。子宮がん検診も定期的に受けていて異常はなかったし、小さな子宮筋腫があったのでそのせいかもしれないとも思ってあまり気にしていませんでした。
妊娠初期はひどいつわり症状に精一杯で、まさかがん検査に引っかかるとは思いませんでした。
ーー病気が発覚したときのことを教えてください。医師から、どんな治療が必要かの説明もありましたか?
金指 2025年1月末に妊娠がわかり、2月中旬に地元のクリニックで妊婦健診を受けました。そのひとつに子宮頸がん検査がありました。2月下旬に検査結果が出て、子宮頸がんの再検査が必要と言われ、改めて出産予定の総合病院で再検査。1週間後の3月上旬に結果を聞きに行くと、子宮頸がんの腺がん(※1)いうもので、腫瘍の幅2センチ以上のステージⅠB2期(※2)、と告知されました。
初期治療として、広汎子宮全摘出術を行うと言われました。広汎子宮全摘出術は子宮だけでなく、子宮を支える靱帯や周囲の組織、骨盤内リンパ節を広範囲に切除する開腹手術です。私の場合は、卵巣や卵管もとると言われました。私はこのとき妊娠12週。この手術を受けるということは、妊娠は継続できないということになります。
また手術後の治療については、がんの組織を取って検査をして確定する、との説明でした。万が一転移をしていれば、さらに抗がん剤や放射線治療の可能性があるとも説明がありました。
(※1)子宮体部近くにある腺組織から発生し、転移しやすい特徴がある。
(※2)子宮頸部のがんのうち、浸潤の深さが5mmを越え、腫瘍の大きさが2cm〜4cm以下のもの。
■妊娠を継続するなら余命は2年と言われ、苦渋の決断
ーー妊娠がわかってから1カ月あまりでがんの手術になるとは、本当に急なことでしたね。
金指 私は妊娠の継続を望んでいました。妊娠22週以降なら赤ちゃんを子宮外に出して延命できるかもしれない、それからがんの治療をできないかと考え、医師にその可能性についても聞きました。ですが、医師には「その週数で出産しても赤ちゃんが生きられるどうかわからないし、そこまで待つと母体に影響が出ます」と言われました。「余命はどれくらいになりますか」と聞くと「おそらく2年もたないと思います」との返事でした。
そんなに状態が悪いなら、一か八か賭けをしたら負けるということだな、とわかりました。赤ちゃんの命と自分の命、どちらを優先するか……命のトレードオフです。いろんな可能性をてんびんにかけて考えた結果、自分の命を優先したほうがいいだろうと、しかたなく中絶を決意しました。
ーー長男のためにも生きなくてはいけませんよね。
金指 そうですね。長男は発達がゆっくりで、春から小学校の支援学級に通うことが決まっていました。わりと手がかかる子でもあるし、私がいなくなると引き取り手をどうするか考えなければいけません。すごくママっ子なので、本人にも大変な思いをさせてしまうでしょう。
何より私も長男と一緒に生きて、彼が成長する姿をこの目で見たいです。だから私が今ここで命を落とすリスクを抱えるわけにはいかないと思いました。
ーー望んでいた赤ちゃんを失うことになったことに対して、どんな思いがありましたか。
金指 なんで不正出血を見逃してしまったんだろう、どうして婦人科を受診しなかったんだろうと、ひどく後悔して落ち込みました。おなかの子には本当に申し訳ないことをしたと思います。
さらに心苦しかったのは、パートナーのご両親にとって初孫だったということです。がんだとわかる少し前に、ご両親にオンラインでごあいさつして、妊娠を報告したばかりでした。それでも、中絶したことを責めず、私のために健康祈願のお守りを買って送ってくださったご両親には頭が上がりません。
■この子がいなくなってしまうなら、子宮はなくてもいい
ーーパートナーにはいつ報告しましたか?
金指 中絶手術のためにパートナーの同意を得る必要があったので、告知を受けたときに病院から仕事中のパートナーに連絡しました。先にLINEで「がんだったので、申し訳ないけど中絶したい」という感じで状況を伝え、仕事の合間に電話をしたら、パートナーは号泣していました。泣きながら「大丈夫?」と私の体をすごく心配してくれました。
パートナーは私が妊娠をすごく喜んでいたこと、赤ちゃんを楽しみにしていたことを知っていたし、つわりで体調が悪いことも知っていたので、心を痛めてくれたんだと思います。泣きながら、私の命を優先することに同意してくれました。
ーー子宮を全摘出することはどう受け止めましたか?
金指 子宮を取ること自体にはあまり抵抗がなかった気がします。次の妊娠はできなくなりますが、年齢も39歳ですし、妊娠がわかった時点でこれが最後の妊娠になるだろうと思っていました。それにこの子がいなくなってしまうなら、子宮がなくてもいいかな、と諦めがついた感じがあります。
そのときは、病気の事実を受け止めて必要な治療を受けよう、とあまりショックを感じなかったんです。ただ、半年ほどたった今になって「あぁ、子宮がないんだなぁ」と、ふと思うことがあります。もう妊娠はできないという事実が、ボディーブローのように効いている感覚ですね。
※後編『「赤ちゃんの命を犠牲に」消えぬ罪悪感…子宮頸がん告知、中絶、子宮全摘出、6歳長男との生活から見つけた“生きること”の正体』に続きます。手術の結果や、現在の様子などをお聞きしています。
監修医師 阿部 一也(あべ かずや)

板橋中央総合病院 医長
日本産科婦人科学会専門医


