華やかなホールに所狭しと並ぶパチンコ・パチスロ台。その一台一台の開発には数多くの「人」が関わっている。それらの人々は、どのような想いで開発に向き合っているのか、そしてなぜパチンコ・パチスロ業界を目指したのか。
本連載「P業界で働くということ」では、実際にパチンコ・パチスロ業界で働く人々をピックアップ。業務にかける想いや熱意、そして苦労や挫折、さらには転機や今後のビジョンなど、業界の「リアル」な現状に迫り、その声をお届けしていく。
連載初回となる今回は、〈物語〉シリーズのパチンコ開発を手掛ける、株式会社サミー(以下、サミー)PC研究開発本部 PC第一企画セクション プロデューサー 川野貴之氏に話を伺った。
■プロデューサーという仕事
サミーに入社した当初は「企画担当」としてパチンコ開発に携わり、「プロジェクトリーダー」を経て、現在は「プロデューサー」として働く川野氏は、「企画担当」と「プロデューサー」の違いについて、次のように説明する。
「企画担当は、ひとつのプロジェクトが始まると、それこそ2年間くらい、ずっとそのプロジェクトとのみ向き合うことになりますが、プロデューサーになると、いくつかのプロジェクトを見ることになるのが大きな違いです」
川野氏の代表作とも言える〈物語〉シリーズは、企画担当時から携わっているプロジェクト。プロデューサーになったことにより、「久しぶりに〈物語〉シリーズ以外の作品も見られるようになったので、自分の幅をより広げることができるかな」と笑顔を見せる。
企画担当やプロジェクトリーダーの仕事は、「とにかく面白い機械を考えて、作っていくのがメイン」だが、プロデューサーは、「それに加えて、遊技機化を実現するために動いたり、どうやったら売れるものになるかを考えたりしなければならない」と、プラスアルファの視点が必要になってくるという。
■サミーに入社したきっかけ
そんな川野氏がサミーに入社したきっかけを尋ねると、「僕はちょっといろいろありまして」と苦笑い。実は、サミーには中途入社であり、新卒時に就職先として選んだのは、ゲームメーカーである株式会社セガ(以下、セガ)だったという。
「すごくゲームが好きで、特にセガファンだったことが大きな理由です。就職するならここしかないと思っていて、当時は毎週ゲーム雑誌を買っていたのですが、それを読むのが僕にとっての就活。ゲーム雑誌の情報だけで挑んだようなものです(笑)」
川野氏がセガに入社した2003年は、いわゆる就職氷河期の真っ只中。当時は「本当にキツかった」という川野氏だが、「それでもやはり、行きたいところ以外には行かない、と頑なにゲーム業界に絞って活動していたら、幸運なことに、大本命だったセガから合格をもらうことができた」と当時を振り返る。
当時のセガは、開発部署が分社化されており、川野氏が所属したのは、「サクラ大戦」シリーズで知られる株式会社オーバーワークス。入社後は、プロデュース部で、ゲームソフトの進捗管理やプロモーション周りを担当し、PVの制作やゲーム雑誌への素材提供、攻略本の校正、ゲームの初回特典となるグッズの考案などの業務に携わっていたが、仕事の性質上、外部の会社とのやりとりが多かったことが、サミーへの転職に繋がっていく。
セガに所属していた当時、サミーが『サクラ大戦』のパチンコ開発に着手。その監修を川野氏が担当することになった。「パチンコ好きだったことが抜てきされた理由」とおどける川野氏だが、実際にサミーから定期的に送られてくる監修物をチェックしていくうちに、パチンコ好きの血が騒ぎ、「パチンコの開発も面白そう」と興味を抱くようになったという。
「そして気がつけば、サミーの担当の方に連絡して、開発のトップの方とお話をさせていただき、サミーに移籍することになりました」
セガとサミーはグループ会社ではあるが、川野氏の場合は、決して業務的な異動ではなく、セガを退社して、サミーに入社するという形を取っており、「今でこそ、社内での募集に応じて異動する人もいますが、当時は簡単に移れるものではなく、ダメだったら戻って来ればよいといった甘い状況ではなかった」と、まさに強い決意の下での移籍だったことを強調する。
「ゲームをしたり、アニメを見ている時に、この演出はリーチにしたいなとか、この名シーンは激アツ演出でしょうとか、そういうことを考えるタイプ」という川野氏。「パチンコを打っている人なら誰でもそういう瞬間があると思いますが、それをリアルに実現したかった」ことがサミーに移った大きな理由であり、その意味では、ゲームよりもパチンコ開発のほうが、夢の実現に近かったという。
「開発に絞って言えばパチンコはゲームと違って、関わっている人数が圧倒的に少ない。パチンコの場合は多くても十数人ですが、ゲームの場合、大作になると、それこそ何十人という人が関わっています。だから、パチンコのほうが自分の意見がダイレクトに届きやすいので、やりがいもすごく大きい。もちろん、その分だけ責任も大きくなりますが」
なお、学生時代からパチンコに親しんでいた川野氏だが、その当時はパチンコメーカーへの就職はまったく考えていなかったという。
「当時はゲームが第一で、パチンコはやはり息抜きのような存在だったので、仕事にするという概念がそもそもなかった。やはりゲームは、小学校の頃からやり続けて、たくさんの感動をもらったので、自分もこんな作品に携われたらいいなという感覚のほうが、当時は強かった」
■パチンコでも「サクラ大戦」と関わる
サミーに入社した川野氏が最初に手掛けたのが「ぱちんこCRサクラ大戦2」。ちょうど移籍したタイミングで「サクラ大戦」の続編の企画が動き出したこともあり、企画のサブ担当としてプロジェクトに関わることになった。ある意味、運命的なスタートとなった川野氏のパチンコ開発だが、自身が前作で監修に携わった経験から、「版元ならではの視点を活かす」という道を意識するようになった。
「キャラクターのセリフや性格はもちろん、作品の世界観にあわないことは版元も許可しないのですが、どこまで原作の設定に踏み込めるかを、開発過程で判断するのはけっこう難しい。そんなときに、僕がプチ版元みたいになって、指針を示すことができたのは大きかったと思います」
これまで外部(セガ)でやっていたことを内部(サミー)でできるため、開発もかなりスムーズに進捗。「版元視点を持ちながら業務を進められるのが、僕の特徴でありスタイル」と川野氏は自信を覗かせる。
もちろん、版元視点を持っていたとしても、必ずすべてが許可されるわけでない。「自分なら通すのに」と思うことも少なからずあったという。その理由のひとつとして、「相手がパチンコに対して、どこまで理解しているかによって大きく変わってくる」と川野氏は指摘する。
「パチンコの場合、けっこうオリジナルのストーリーを入れたりするので、原作ならありえないようなキャラクターの組み合わせや対決が出てきたりします。パチンコだと当たり前なのですが、それをわかってもらえないと、『これは設定にないからダメです』の一点張りで、まったく取り合ってももらえないことがあります」
その意味では、パチンコを知っていたがゆえに、自身の監修は少し緩かったかもしれないと川野氏は振り返る。
「こうしないと面白くならないということがわかっているからこそ、監修をしている自分が逆に提案するようなこともありました(笑)。基本的に監修に出す側はどうしても気を遣うので、無難なことしか言ってこない。当たり前といえば当たり前ですけど。でも版元側が少し歩み寄ると、先方もノリノリになってきて、さらに良いものが生まれるということもあります」