香取慎吾主演のドラマ『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~ ※FODで見逃し配信)の第6話が、きょう13日に放送される。

今作は、ある不祥事で退社に追い込まれてしまった元報道番組のプロデューサー・一平(香取)が、再起を図るため政治家を目指し、その戦略として亡くなった妹の夫と子どもたちと同居し、ニセモノの家族=“ホームドラマ”を演じることを決意する…という物語。

ついに“ホームドラマ”が政治家になるための戦略だったことがバレてしまい、家から出ていくと宣言する正助(志尊淳)。それを一平は必死に引き留めようとするのだが――。

  • 増田梨沙=『日本一の最低男』第6話より (C)フジテレビ

    増田梨沙=『日本一の最低男』第6話より (C)フジテレビ

一平が「元報道マン」である意味

連続ドラマでは往々にして語らなくてよいとされる設定が存在する。例えば、登場人物たちの職業がそうだろう。いわゆる“お仕事ドラマ”ではない限り、職業を通じてキャラクターの状況説明さえできれば特段それを物語に関連付ける必要はなく、ある意味“アクセサリー”として認識する場合も多い。だが、“アクセサリー”でもよいはずだった設定の数々が、キャラクターの背景をドラマチックに映し出すだけでなく、物語の血肉となって深みをも生み出しているのが今作だ。

特に、一平の元報道マンという設定が実に巧みだ。今を描いていくドラマにおいて、主人公のかつての職業は特に意味をなす必要がなく、それを描かなくとも視聴者が違和感を覚えることはないだろう。しかし一平の報道マンという過去は、これまで取材で培ってきたであろう社会性や行動力を持ち合わせていることを示しており、映像を編集し制作できる能力は物語内において重要なアイテムにもなった。

そして何より、今作の“政治家を目指す”という、ともすればリアリティーの薄いただの野心家になってしまいそうな主人公に、“問題意識が備わっている”という点で大きな説得力をもたらしている。ドラマの道具=設定ではあっても、それが必然的であり自然と存在する物語の“歯車”として昇華できているのが今作なのだ。

  • 香取慎吾 (C)フジテレビ

『ごん狐』のエピソードがさりげなく登場

さて今回の第6話は、前回のラスト…“戦略”がバレてしまい“ホームドラマ”がついに崩壊してしまうのか?という不穏から全く想像できないストーリーが用意されている。そこでキーとなるのが、めいっ子・ひまり(増田梨沙)が実は正助と血のつながりがないという設定だ。

このひまりの生い立ちは、一平や正助とコミュニケーションがとれず“ホームドラマ”を難儀にさせる“アクセサリー”、もしくは本当の父が登場するストーリーが待ち受けていたとしても、感動の“お膳立て”でしかないのではないかと高を括っていた。ところがその設定は、物語へ巧みに落とし込まれたというだけでなく、「お父さん」といまだ呼べていない正助との関係性の再構築はもちろん、一平の“政治”にも大きく密接する展開も見せ、今作においてさらなる深みが内包されている“歯車”だったということが分かるのだ。

第4話でひまりと都(冨永愛)の絆を丁寧に描き出した脚本・蛭田直美氏が再び担当し、その筆致よってこれまで以上に大きな感動をもたらす回に仕上がっており、ラストでは、一平がある不祥事で退社に追い込まれ……という設定にも大きな物語が隠されている予感を見せる。

また今回は、児童文学の『ごん狐(ごんぎつね)』(新美南吉)のエピソードがさりげなく登場している。事前にどんな物語だったのか振り返っておくことで、一平の人間性をさらに深く知れることになるだろう。

  • (C)フジテレビ