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昨季までリーグ3連覇を達成するも、今季は5位に沈んだオリックス・バファローズ。そんな中、指揮官の中嶋聡監督がレギュラーシーズン終了後に退任を表明。新たに岸田護投手コーチの新監督就任が決まった。一方で、岸田新監督以外にも、指揮官候補と目された人物がいた。ここでは、オリックスの次期監督候補に挙がった大物を紹介したい。
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岸田護
投打:右投右打
身長/体重:180cm/80kg
生年月日:1981年5月10日
経歴:履正社高 - 東北福祉大 - NTT西日本
ドラフト:2005年大学生・社会人ドラフト3巡目
今シーズンまでオリックス・バファローズの投手コーチを務めていた岸田護。早い段階で1本化され、来シーズンからの指揮官就任が発表された。
社会人野球のNTT西日本から、2005年大学生・社会人ドラフト3巡目でオリックスに入団。ルーキーイヤーから一軍のマウンドに立つと、プロ4年目には先発として19試合に登板し、10勝4敗、防御率3.10の成績を残した。
翌2010年のシーズン序盤からリリーフに転向。翌2011年は守護神として68試合に登板し、リーグ2位の33セーブ、防御率2.61の好成績を残した。
その後も、ストレートやチェンジアップを武器にリリーフとして活躍。2014年から2年連続で50試合以上に登板するなど、フル回転の働きを見せた。
しかし、以降は登板機会が減少し、プロ14年目を迎えた2019年に現役を引退した。
引退後の翌2020年からは、オリックスの投手コーチに就任。来季から中嶋聡前監督の後を受け継ぎ、チーム再建を託された。
水本勝己
投打:右投右打
身長/体重:180cm/102kg
生年月日:1968年10月1日
経歴:倉敷工 - 松下電器
ドラフト:1989年ドラフト外
今季までオリックス・バファローズのヘッドコーチを務めた水本勝己も、候補に挙がった1人だ。
社会人野球の松下電器(現:パナソニック)では、都市対抗野球に出場。その後、広島東洋カープの入団テストに合格し、捕手としてNPBの世界へ入った。
しかし、プロ2年目の1991年に現役を引退。一軍に出場することはなく、水本のプロ生活はわずか2年で幕を閉じた。
それでも、以降は首脳陣として広島を支える存在となった。引退後はブルペン捕手を務め、2013年からは二軍バッテリーコーチに就任。2016年からは二軍監督を務めると、翌2017年にはチームをファーム日本一へと導いた。
2022年からはオリックスの一軍ヘッドコーチに就任し、同年と昨季は、一時的に監督代行も務めた。
ヘッドコーチとして、首脳陣の中心的存在にいる水本。来シーズンは、岸田護新監督を支える役割を担うだろうか。
田口壮
投打:右投右打
身長/体重:177cm/77kg
生年月日:1969年7月2日
経歴:西宮北高 - 関西学院大
ドラフト:1991年ドラフト1位
現役時代はメジャーリーグでもプレーした田口壮。次期監督候補としても名前が挙がったが、チームを退団する運びとなった。
関西学院大から、1991年ドラフト1位でオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)に入団。プロ1年目から「9番・遊撃」で開幕スタメンに抜擢された。
1994年には外野手に転向すると、108試合の出場で打率.307、6本塁打、43打点をマーク。その後は強肩を活かし、1995年から3年連続でゴールデングラブ賞を受賞するなどチームに欠かせない存在となった。
2001年オフには海外FA権を行使し、セントルイス・カージナルスにメジャー移籍。2006年にはワールドシリーズを制し、チャンピオンリングを手にした。
2008年からはフィラデルフィア・フィリーズでプレー。同年はチームがワールドシリーズを制し、田口は自身2度目となるワールドチャンピオンの一員となった。
2010年からオリックスで日本球界に復帰し、2012年限りで現役を引退。引退後の2016年からはチームの二軍監督を務め、2021年からは外野守備・走塁コーチとしてチームを支えたが、今季限りでの退団が発表されている。
福良淳一
投打:右投右打
身長/体重:177cm/73kg
生年月日:1960年6月28日
経歴:延岡工 - 大分鉄道局
ドラフト:1984年ドラフト6位
過去、オリックス・バファローズの監督を務めた経験がある福良淳一。現在はオリックスのゼネラルマネジャー兼チーム編成部長を務めているが、再登板の可能性もあった存在だ。
社会人野球の大分鉄道局(現:JR九州)から、1984年ドラフト6位で阪急ブレーブス(現:バファローズ)に入団。プロ2年目には二塁のレギュラーに定着し、同年は122試合の出場で打率.309、12本塁打、44打点、14盗塁の成績を残した。
プロ4年目の1988年は110試合に出場し、打率.320、7本塁打、33打点、12盗塁の成績でベストナインを受賞。首位打者争いを繰り広げるなど、活躍したシーズンとなった。
また、1993年から1994年にかけては連続守備機会無失策836を記録するなど、守備でも多大な貢献をもたらした。
しかし、1995年に右膝十字靱帯断裂の大けがを負い、以降は出場機会が減少。1997年に現役引退を表明し、現役生活を終えた。
引退後は、オリックスや北海道日本ハムファイターズでコーチを経験。2016年からはオリックスの一軍監督に就任したが、3年間でAクラスに導くことはできず、2018年限りで退任した。
翌2019年からはオリックスのゼネラルマネジャー兼チーム編成部長に就任し、チーム強化に努めている。
イチロー
投打:右投左打
身長/体重:180cm/71kg
生年月日:1973年10月22日
経歴:愛工大名電高
ドラフト:1991年ドラフト4位
現役時代は、数々の記録を打ち立ててきたイチロー。監督待望論は絶えないが、すでに現段階では難しいといわれていた。
愛工大名電高から、1991年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)に入団。入団から2年間は一軍で苦しんだが、1994年に大ブレイク。同年は全試合出場を果たし、打率.385、210安打という異次元の数字をマークした。
その後も圧倒的な成績を残し続け、2000年まで7年連続首位打者を獲得。最高出塁率や最多安打のタイトルも幾度となく手にした。
2000年オフにはシアトル・マリナーズに移籍し、日本人野手初のメジャーリーガーとなった。
海の向こうでも変わらず活躍を続け、メジャー1年目の2001年から10年連続シーズン200安打以上を記録。特に2004年に記録したシーズン262安打は、いまだ破られていないMLB記録となっている。
その後は、ニューヨーク・ヤンキースやマイアミ・マーリンズでプレー。2013年には日米通算4000本安打という大記録を達成した。
最後は古巣・マリナーズに戻り、2019年に現役引退を発表。最終的に前人未到の4367本の安打を放った。
引退後は、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターに就任。2021年にはマリナーズの球団殿堂入りを果たした。
また、草野球チームの「KOBE CHIBEN」を設立し、近年は女子高校野球選抜とエキシビジョンマッチを開催。女子野球の普及にも努めている。
ただ、マリナーズで役職に就いている間は、監督・コーチとしてのオリックス復帰は、現実的とはいえないだろう。
小林宏
投打:右投右打
身長/体重:182cm/82kg
生年月日:1970年11月30日
経歴:崇徳高 - 広島経済大
ドラフト:1992年ドラフト1位
2021年からオリックス・バファローズの二軍監督を務めている小林宏。内部昇格の候補に挙がっていた1人だ。
広島経済大から、1992年ドラフト1位でオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)に入団。プロ3年目の1995年には15試合に登板し、8勝3敗、防御率2.68の好成績を残してリーグ優勝に貢献した。
翌1996年は先発やリリーフ問わず37試合に登板し、8勝7敗、防御率4.08。やや安定感は欠いたが、同年はリーグ2連覇、日本一を経験した。
1998年はシーズン途中から先発に本格転向すると、31試合の登板で10勝9敗4セーブ、防御率3.59をマーク。規定投球回には届かなかったものの、自身初の2桁勝利を挙げた。
その後も、様々な起用法に応え続けた小林。そんな中、チームが大阪近鉄バファローズと合併することになり、2004年オフに選手分配ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した。
ただ、創設1年目の楽天ではわずか3試合の登板に終わり、同年オフに戦力外通告。同年限りでユニフォームを脱いだ。
引退後、2009年から2014年まではオリックスの一軍と二軍で投手コーチを経験。2015年からは、社会人野球のシティライト岡山でコーチを務めた。
その後、2016年から再びオリックスの一軍投手コーチに復帰。2021年からはチームの二軍監督を務め、若手育成に尽力している。
【了】