新たなギターヒーロー、MJ Lendermanが語る「Z世代のニール・ヤング」が生まれるまで

インディーロック界の新たなギターヒーロー、MJレンダーマン(MJ Lenderman)の最新アルバム『Manning Fireworks』が世界中で絶賛されている。人気バンドのウェンズデイ(Wednesday:2025年にrockin'on sonicで再来日)とソロ活動の両方で活躍する、1999年生まれ・アメリカ南部出身の大器がこれまでのすべてを語ったロングインタビュー。

マイケル・ジョーダンとのつながり

MJレンダーマンは、行くあてもなくうろついていた。7月半ばのノースカロライナ州ダーラムのダウンタウンは暑く、人通りもほとんどない。最初に入ろうとしたバーは営業時間外で、仕方がないのでネット検索で別の店を探す。

「ポア・タップルーム……ちょっと明る過ぎるかな」と彼はつぶやく。「おしゃれなカクテルバーもある。まあまあかな……アイリッシュ・パブかな?」と言ってしばらく迷ったあげく、我々はパブに決めた。

ダーラムでレンダーマンにインタビューする予定ではなかった。彼は、ここから約350km離れたアシュビルで生まれ育った。レンダーマンは、友人やバンド仲間と共に郊外のコンパウンドで暮らしていた。アシュビルは山間にある急成長中の街で、音楽活動を続けるのに十分なスペースを確保した彼らにとっては、クリエイティブな楽園だった。この街でレンダーマンはソロ・アルバム『Boat Songs』(2022年)を制作し、ブレイクした。この作品のおかげで彼はギター・ヒーローの仲間入りをし、喜劇と悲劇の微妙な境界線を見分けられる人々の間で人気が高まった。ところが2024年の初めに、彼らはコンパウンドを引き払い、引っ越す決断をした。

レンダーマンは一時期、当時ガールフレンドだったカーリー・ハーツマンと、グリーンズボロで暮らしていた。ロック・バンドのウェンズデイではハーツマンがリードシンガーを務め、レンダーマンがギターを弾いている。その後、2024年の春に2人は恋人関係を解消した。レンダーマンは今、落ち着き先が見つかるまでフラフラしている状態だ。彼はつい数日前にダーラムへ来て、ウェンズデイとしての夏の終わりのツアーに備えていた。ツアー後の9月には新しいソロ・アルバム『Manning Fireworks』をリリースし、その後はまた、11月までツアーが組まれている。

ダーラムの暑さは耐えられないほどだったが、レンダーマンは黒のTシャツに茶色のコーデュロイパンツ姿だった。ヘアスタイルはウェーブのかかった黒髪で、右腕には上から下までびっしりとタトゥーが彫られている。レンダーマンは気さくで思いやりのある人間で、慎重かと思えば少し抜けたところもある。「下着を買わなきゃいけない。水着しか持っていないんだ」と彼は告白した。それからコーデュロイパンツを履いているのはジーンズよりも通気性がいいからだ、と言い訳する。彼が笑うと、前歯の隙間が覗いてお茶目な表情を見せる。

レンダーマンがミュージシャンになりたいと最初に意識したのは、彼がまだ小さかった頃だという。「7歳くらいだったかな」と彼は言う。それから約20年後、彼の夢だった職業が今の仕事になっている。満足しているものの、迷いもある。「ツアー、レコーディング、ツアー、レコーディングの繰り返しで、その合間に家族との時間も必要だ。普通じゃない」と彼は言う。「全部をこなすには時間がなさ過ぎる」。

我々が選んだアイリッシュ・パブへ向かう道すがら、マイケル・ジョーダンの話になった。NBAのレジェンドと、音楽に専念するため高校時代まで続けていたバスケットボールを断念した若きアーティストの間には、(かなり緩い)つながりがある。まず、2人のイニシャルがどちらもMJである点だ(レンダーマンの本名はマーク・ジェイコブ・レンダーマンで、オフステージではジェイクと呼ばれている)。しかし何と言っても、ソロ前作『Boat Songs』のオープニング・ソング「Hangover Game」がある。サザン・ロックのギターが絡み合うこの曲は、マイケル・ジョーダンの超人的な活躍で伝説となった試合「The Flu Game」(インフルエンザ・ゲーム)をテーマにしている。しかし、実際に当日のジョーダンは病気などではなかったという噂もある。そこで「ああ、俺も酒が大好きさ」という常人っぽいフレーズが歌われている。

2023年夏にレンダーマンは、ローランド・レイゼンビー著の大作バイオグラフィー『Michael Jordan: The Life』を読破した。当時は『Boat Songs』のツアー中で、その後はウェンズデイの傑作アルバム『Rat Saw God』のツアーも控えていた。同時に彼は、ワクサハッチー(Waxahatchee)のアルバム『Tigers Blood』のレコーディングにリード・ギターとして参加し、さらに、時間を絞り出して自身のソロ新作『Manning Fireworks』の作業も進めていた。そんな時期に読んだレーゼンビーの著作から得たものは、深い不安感だった。

「正直言って、すごく暗い内容だった」と彼は言う。「不安な後味が残った。マイケル・ジョーダンが名声と権力と引き換えに得たものは、長い期間にわたる孤独感だったのさ」。

現時点におけるレンダーマン自身の名声は、言うまでもなく、ジョーダンには遠く及ばない。しかしアテンション・エコノミーの世界では、たとえマイクロ・セレブリティーであっても驚くほどマクロ・レベルに感じることもある。レンダーマンが人々の注目を集めていることに疑問の余地はない。『Manning Fireworks』では、レンダーマンの音楽的な幅が広がった。相変わらずギター・リフが中心だが、アコースティック楽器を多用し、ドローンの手法も採り入れ、サウンドはよりクリーンになった。『Boat Songs』までは比較的落ち着いた環境の中でリリースされ、友人による友人のための音楽、という感じだった。ところが新作『Manning Fireworks』は違う。

「彼は意識していたと思う」とレンダーマンのマネージャーであるラスティ・サットンは証言する。「でも、熱くなれる部分と冷めた部分を両立させるのが重要だ」。

ダーラムでのインタビューは、ニュー・アルバムの公式アナウンスとリード・シングル「Shes Leaving You」のリリースから数週間後に行った。ネットの一部では「最高だぜ!」的なリアクションがミーム化して広まった。レンダーマンは既にソーシャル・メディアへ頻繁にアクセスするタイプの人間ではなくなっていた上に、ちょうどイタリアへ家族旅行中だったこともあり、よりネットからは距離を置く状態だった。ネット上での注目度の高まりにどのような心構えでいたかを尋ねてみると、レンダーマンは「ネットにアクセスしないようにするとか、とにかく頭の中から締め出す方法を見つけただけさ」と答えた。

それでもTwitterやRedditから完全に隔離した訳でもないようだ。エアコンの効いた快適で薄暗いアイリッシュ・パブの店内で、レンダーマンは、今も使っているソーシャルメディアの一種を明かしてくれた。

「Beer Buddyというアプリさ」と言ってニヤリと笑いながら、彼はビールを片手にセルフィーを撮ると、アプリで何人かの友人に共有した。「仲間内で写真を共有するんだ。今はこれが俺にとってのソーシャルメディアさ」。

葛藤の先に見つけた新境地

楽曲「Joker Lips」には、アルバムの中で最も引用される可能性の高い歌詞がある。「カルーア・シューター / 飲酒運転のスクーター(Kahlúa shooter / DUI scooter)」という一節だが、「売ります:赤ちゃん用シューズ、未使用(For sale: baby shoes, never worn,)」に匹敵する見事なショートショート的表現で、しかも2語分短い。レンダーマンの書く曲は、このようにユニークな婉曲表現が特徴的だ。彼は、人や情景を巧みな言い回しとカルチャー的なバックグラウンドを使って描写することで、聴く者を魅了し、時には笑わせる。しかし最も印象に残るのは、言葉では表現されない心の痛みだ。

「彼の自然で何気ない表現が好きだ。それから彼の書く歌詞は、とても自然な会話のようだ」と、ドライヴ・バイ・トラッカーズのパターソン・フードは言う。ドライヴ・バイ・トラッカーズは、レンダーマンのお気に入りバンドのひとつでもある。「言葉での説明抜きにストーリーを語る手法も好きだ」とフードは言う。「脳が勝手に空白部分を埋めるのに必要十分な情報だけを、彼は与えてくれる。レンダーマンは正に、俺の好みにピッタリ合っている」。

レンダーマンは、ギターを抱えてボーッとテレビを見ている時に、素晴らしいアイディアが浮かぶという。例えば『Manning Fireworks』向けに最初に書いた「Rudolph」のエネルギッシュなギター・リフは、コメディアンのアーティ・ラングを描いたドキュメンタリーをYouTubeで観ている時に生まれた。2023年にシングルとしてリリースされた同曲には、破壊されたクリスマス飾り、ヘッドライトを消して疾走するディズニー・ピクサー映画のキャラクター、募る恋心とカトリック的な罪悪感の間の葛藤など、レンダーマンらしさが全て凝縮されている。

レンダーマンが『Manning Fireworks』のレコーディングを始めた2022年12月の時点で、全ての楽曲が揃っていた訳ではない。実は、それまでの数年間、彼はほとんど曲を書いていなかった。2022年春にリリースされたアルバム『Boat Songs』も、2020年にレコーディングした作品だ。こちらは、音楽作りに集中せざるを得なかったパンデミック時期の産物と言える。コロナ禍が明けると、レンダーマンは再びツアーの毎日で、曲作りに割く時間などほとんど取れなかった。『Manning Fireworks』のレコーディング・セッションは、アシュビルにあるDrop of Sunスタジオで行われた。忙しいレンダーマンのスケジュールの合間を縫って、3〜5日単位でスタジオ入りしながら、結局2023年までかかった。

「(スタジオは)数カ月先まで押さえられていた」と彼は振り返る。「スタジオ入りするまでには何かしら形になるだろう、と楽観していた」。

レンダーマンをよく知る人は、彼の人間離れした才能を称賛する。「彼の頭の中には常に、曲に盛り込みたいアイディアがある」と、幼馴染でコラボレーターでもあるコリン・ミラーは証言する。「それが初めからビジョンとして頭の中に浮かんでいるところが凄いのさ」。

「ゴールを目指す彼のやり方を見ているのは、本当に面白い。彼の下す決断はいちいち的確で、本当に凄いと思う」とDrop of Sunスタジオの共同創設者でレンダーマンの共同プロデューサーも務めるアレックス・ファーラーは言う。「行き詰まった時でも、試してみる価値のあるものとそうでないものを瞬時に判断できる。特に若いアーティストが、生まれつき持っている類の才能ではない」。

スタジオでのレンダーマンは、「約束は控えめに、結果は大きく」出す傾向がある、と彼をよく知るマネージャーのサットンは証言する。「彼は”2、3曲作ろうか”と言って、結局5曲送ってくるような人間だ」。

Photo by Phyllis B Dooney

ところが、『Manning Fireworks』の制作は一筋縄では行かなかった。レンダーマン自身、曲作りを「学び直す」必要があるとまで感じた。「曲作りの現場への復帰は、なかなか難しかった」と彼は言う。「自信を失いかけていたが、同時に新作に対する人々からの期待も感じていた」。

アルバム制作の半ばを過ぎた頃にようやく、納得の行く方向性が見えたという。よりハードによりスピードアップしたいとはやる気持ちを抑え、逆にいろいろ省いて削っていった。さらに「Manning Fireworks」「Rip Torn」「You Dont Know the Shape Im In」のように、アコースティック楽器も積極的に導入した。「大きなターニングポイントだった」と彼は言う。

「ジェイク(レンダーマン)といえば、ギター・アンプのボリュームを上げてソロを弾きまくるイメージがある」と共同プロデューサーのファーラーは言う。「しかし今回は、彼の音楽にとって全く新しい試みを目撃できた」。

ウェンズデイのカーリー・ハーツマンは、今回のアルバム制作過程で、延々とまとまらずにフラストレーションを溜めるレンダーマンの姿を目撃している。「アルバムを作っている時は、それだけに没頭したいものよね」と彼女は、数週間後に行った電話インタビューで語った。「結局のところ、彼は駄作を書けないということ。スケジュールやレコーディング方法の制約があって、それで本当にベストを尽くせているのか、彼は迷っていた。でも実は、時間的な制限があった方が、彼は力を発揮できるの。だって彼には、あふれる才能があるから」。

ソングライターとしての矜持

レンダーマンとのインタビュー中、たびたびコメディオタク的な話題に及んだ。レンダーマンは子ども時代のお気に入りのコメディ映画として『Tommy Boy』を挙げ、フランク・カリエンドやジム・ガフィガンをきっかけにスタンダップ・コメディが好きになったという。また我々は、コナー・オマリー、ダン・リカタ、ジョン・アーリーといった最近のコメディアンや、『Comedy Bang! Bang!』や『Whitest Kids UKnow』などのコント番組、それからアダム・サンドラーの辿ってきたキャリアまで、幅広く語り合った。さらにコロナ禍のレンダーマンは、ドン・リックルズ、ボブ・アインスタイン、ハワード・スターンらに夢中になったという。

「コメディアンには大きなリスペクトを感じるんだ」とレンダーマンは言う。「人前で、しかも一人きりで自分の失敗に対処しなければならないなんて、不安が大きすぎて俺にはとても想像できない」。

ティム・ハイデッカーとグレッグ・ターキントンも、彼のお気に入りだという。二人はポッドキャスト&ウェブの長寿番組『On Cinema』で共演し、それぞれが音楽活動も行っている。ターキントンは長い間、癖のあるスタンダップコメディアン兼クルーナーのニール・ハンバーガー名義でも活動している。一方のハイデッカーは、コメディとは完全に別の音楽キャリアを重ねてきた。ハイデッカーが2019年にリリースしたアルバム『What the Brokenhearted Do…』は、幸せな結婚生活を送っている男が作った、恋愛と別れをテーマした作品だが、レンダーマンにとって重要な試金石となった。

「どの曲も際立っていて、コーラスの素晴らしいメロディ・ラインが特徴的だ」とレンダーマンは言う。「ランディ・ニューマンのユーモアに通じるものがある。かなり自己陶酔的だ。ハイデッカー自身が演じる数々のキャラクターとも共通している。かなりお気に入りだ」。

レンダーマンの初期の作品は、彼曰く「自分をさらけ出した自伝的な」作品だった。そこから徐々に、架空のキャラクターを中心にした曲へと進化していった。『Manning Fireworks』では、酔っ払いと騒々しい奴、寂しがり屋や不器用な人間、離婚した中年男、そして何でも持っているように装う自慢屋たちのストーリーを紡いでいる。タイトル曲「Manning Fireworks」の登場人物は、熱心すぎる上に攻撃的で、性欲が強く独善的で、死ぬまで自分が失墜していることに気づかない。典型的なレンダーマン作品のキャラクターたちだ。「かつての完璧な赤ん坊が / 今や嫌な奴」とレンダーマンは歌う。「火葬場のそばで花火を上げる」。

ニール・ヤング、ジェイソン・モリーナ、デヴィッド・バーマンらは、レンダーマンの憧れの存在であると同時に、ソングライターとしての類似性も指摘されている。また、コメディアンのコナー・オマリーの作品にも共通点を見出せる。オマリーが演じるのは、見掛け倒しのエゴを持ち、男らしさを誇示したいという最悪の衝動に駆られた男たちだ。

レンダーマンに、作品にどれだけ自分自身を投影しているかを尋ねてみると、曲による、との答えだった。「自分が悪い人間です、などと敢えて歌おうとしている訳ではない。間違ったことをしている自分をテーマにするのは、健全なやり方ではないと思う。それよりむしろ、ある状況において自分ならどう対処するか、というように、自分に置き換えて考えることが重要なのさ。だからこそ、こういったテーマに取り組むのが面白い。人々からの共感も得やすいと思う。誰にも同じような経験があるはずだからね」。

レンダーマンはしばらく沈黙した後に、笑い出した。「よく知らないけどね。俺は専門家じゃないし」。

Photo by Phyllis B Dooney

音楽を志すまで、ウェンズデイとの絆

『Manning Fireworks』の中で最もパーソナルな一面を出しているのは、収録曲「Bark at the Moon」のラストだろう。「本物のモナリザを見たことがない / 自分の部屋から出たことがない / 深夜までGuitar Heroで遊んだ / ”Bark at the Moon”を弾いた」とレンダーマンは歌う。そして最後はソフトに「アウゥゥゥ〜」と叫ぶ。

孤独を紛らす様子を鮮明に描写した「Bark at the Moon」は、レンダーマンの原点を描いている。「俺はゲーマーではなかったが、子ども時代にPS2を手に入れると、ゲームのGuitar Heroばかりプレイしていた。一緒にゲームしていた友人たちと、後に本物のギターや他の楽器を始めるきっかけになった」。

以来レンダーマンは、幼馴染たちと一緒に音楽を続けている。最初は放課後のロックバンド・プログラムや教会でプレイしていた彼らだが、ハイスクール時代には自前のバンドを組むようになった。そのうちのひとつがストーナー・サイケのトリオ・バンドで、もうひとつが正統派ロック・バンドだった。ロック・バンドの方は「酷いバンドだった」ので記事にしないでほしいとレンダーマンに頼まれたが、Bandcampにまだアップされていると指摘すると、「すぐに消去する」と彼はジョークを飛ばした。しかし彼は、データを消そうにもログイン情報を忘れてしまっていた。ハイスクールの最終学年で彼は、ソロ・アルバムをレコーディングした。しかしこちらは、ネット上から見事に消し去られている。

レンダーマンは、ノースカロライナ大学アシュビル校で短期間だけ音楽を学んだものの、後に退学している。「ハイスクール時代からいくつかのバンドを経験してきたおかげで、将来構想のようなものが少しでも描けて、俺はラッキーだった」と彼は言う。「カレッジへ進んでみて、周りの人間は音楽経験がほとんどないし、本気でミュージシャンを目指す奴がいない、と気づいたんだ」。

2018年5月にカレッジを退学した彼は、アシュビルのダウンタウンに近いホー・クリークの家に引っ越した。レンダーマンの幼馴染のコリン・ミラーの実家で、ミラーは家族が他へ引っ越した後も引き続き暮らしていた家だ。そこはレンダーマンの他、ウェンズデイやその他のバンド仲間たちの溜まり場となっていた。敷地内には、2019年にリリースされたレンダーマンの正式デビュー・ソロ・アルバムのジャケット写真に登場する2ベッドルームの大きめの建物や、当初はガレージとして建てられた小さな建物などがあった。レンダーマンのバンドをはじめウェンズデイやインディゴ・デ・ソウザ(Indigo De Souza)らは、この家でリハーサルを重ねた。レンダーマンは2010年代後半に、シンガーソングライターとして活動するインディゴ・デ・ソウザの作品にドラマーとして参加している。近所に住むゲイリーという名の家主はとても寛大な年配者で、彼らの出す騒音に文句ひとつ言わなかった。彼は誰とも親しく付き合える人間で、普段はNASCARのカーレースやディスカバリー・チャンネルを観たりして過ごしていた。さらに、地域の生活費が高騰している状況にもかかわらず、家賃を上げることもなかった。

「森や小川に囲まれたゴージャスな場所だった」と、レンダーマンと同居していたハーツマンは証言する。「私の曲にもよく登場するゲイリーは、ジェイク(レンダーマン)が作る離婚者をテーマにした曲のモデルだと思う。ゲイリーは、正に私たちが曲の主人公に仕立てたいと思うような人物だった」。

レンダーマンとハーツマンによる最初の共同作品は、EP『How Do You Let Love Into The Heart That Isnt Split Wide Open』で、レンダーマンのベッドルームでレコーディングした。その後、二人は付き合い始めることとなる。オルタナティブ・カントリーやシューゲイザーの要素を採り入れたラフでローファイな魅力のある作品で、「水は淀み / 天気も淀み / でも俺は愛し、君を愛す」と歌う「House Pool」で聴かせる二人のハーモニーは、当時から既に見事だった。

2024年に二人は恋人関係を解消したものの、音楽的な関係には影響していない。「たぶん最初から、クリエイティブ・パートナーとしてのつながりの方が強かったんだと思う」とレンダーマンは言う。ハーツマンもまた、「自分の世界観を、特にクリエイティブな人間と共有すると、自然とコラボレーションの創造性が大きく広がる。私たちの関係はそういうもの」と応じた。

ウェンズデイ、2023年撮影:左からイーサン・ベクトールド(Ba)、アラン・ミラー(Dr)、レンダーマン、ハーツマン、ザンディ・チェルミス・メガン・エリス(ラップ・スティール)

Photo by Megan Elyse

ウェンズデイは既に、新作アルバムのレコーディングを完了している。レンダーマン個人は、とにかく現在抱えているタスクを片付けてから、将来の身の振り方を考えるつもりだ。彼がバンドを脱退することになったとしても、それは自分と別れたことが理由ではない、とハーツマンは言う。レンダーマンの「極度のオーバーワーク」が理由だろう。レンダーマンのソロ・ツアーに同行しているウェンズデイのザンディ・チェルミス(ラップ・スティール)やイーサン・ベクトールド(Ba)も、同様の状況にある。「大幅な変化が必要よ」とハーツマンは言う。「成り行きを見守るしかないけれど、バンドにとっては、レンダーマンがずっと在籍してくれるのがいいに決まってる」。

レンダーマンが所属するレーベルAnti-のA&R部門で彼との契約を担当したアリソン・クラッチフィールドもまた、20代を今のレンダーマンと同じような環境下で過ごした。彼女は評価の高いバンド、スウェアリン(Swearin')を結成し、ワクサハッチー名義で活動する双子の姉妹ケイティやバンド仲間と共に、フィラデルフィアやブルックリンのパンク・ハウスで暮らした。デートしたりレコーディングしたりの毎日で、家でもツアー先でも皆が四六時中一緒に行動していた。

「(バンド活動は)錯乱状態だった」と彼女は言う。「恋愛関係のように、全員の力のバランスを上手に取らなければならない。誰かが何をしたから別の誰かが怒っているとか、この二人は口論して別れようとしているとか、こっちでは泣いているメンバーがいるとか、どのバンドでも揉めごとだらけだった。ウェンズデイのメンバーは、皆が大人の対応で上手く乗り越えているように見える。彼らは、今の自分たちの状況を一生懸命に維持しようと努力している」。

なぜなら、彼らの利害がはっきりしているからだ。「そうしなければ、私たちの友情も、私たちの大切なこと、つまり音楽活動も続けられなくなるから」とハーツマンは言う。「つまらないことで私たちの大切なものを犠牲にしたくないの。恋愛関係でさえ、永遠ではない。恋愛関係の変化なんかで、人生で大切にすべきものを犠牲にはできないわ」。

「俺たちは、肉体的にも精神的にも最もきつい時期を一緒に乗り越えてきた」とレンダーマンは付け加えた。「だからこそ、ひとつの家族のように結束できた。でも同時にいろいろ考えて成長し、自分自身や友だちにとってよりよい方向性を見出さねばならない」。

居場所が変わってもアートの探究は続く

2022年、家主のゲイリーが亡くなったため、全員がホー・クリークの家を退居しなければならなくなった。「街の家々は古く、住み続けるには適さなかった。街の価値といえば歴史とコミュニティだけだった」と、レンダーマンの幼馴染のミラーは言う。8月初旬に彼から届いたメールによると、アシュビル市議会が、家々の取り壊しと、新たに90戸を建てる再開発計画を承認したという。

後ろ髪を引かれたが、レンダーマンも街を去る心構えができた。「他の街で暮らしたことはなかった」と彼は言う。「いい機会だった」。

ダーラムで我々は、バーの前に喫茶店を探した。レンダーマンが、イタリアからの帰りでまだ時差ぼけが残っていたため、カフェインを必要としていたからだ。「ここがアシュビルなら、もう少し気の利いたところへ案内できるんだけどな」と彼は言う。「転居先を探す時間がなくて、落ち着かないんだ」という彼は、ダーラム辺りに住みたいという。休みが取れたらすぐにでも引っ越すつもりだ、と彼は語った。

いつ実現するのだろうか?

「わからない。こんなひどい状況は、生まれて初めてだ」。

ホー・クリークでの3人のクリエイティブなコラボレーターとの共同生活が終わりを告げたことで、当然のように、レンダーマンのコラボ作業の効率も落ちた。しかしソロ活動に関しては、常にある程度は彼自身がコントロールしてきた。『Manning Fireworks』で彼は、前作『Boat Songs』同様、ほとんどの楽器を自分でこなした。「単なるわがままさ」と彼は言うが、レンダーマンがドラムを叩くのは、レコーディングの時ぐらいしかない。しかし彼は、バランスを取る重要性もよく心得ている。『Manning Fireworks』に収録されたアコースティック曲に、友人でもあるランドン・ジョージがアップライト・ベースを弾き、アシュビルのミュージシャンであるシェーン・マッコードがクラリネットを担当したことも、作品が輝きを放つ要因のひとつだろう。アルバムの残りの曲を仕上げるため、ミラー、チェルミス、ベクトールド、ハーツマンといったいつものメンバーも集まり、それぞれボーカルやコーラス、ラップ・スティール・ギター、ピアノ、スライド・ビーボ(ミラーが生み出した、バンジョーをEボウで弾いてサスティーンを効かせる技に、レンダーマンが付けた呼び名)で参加した。

喫茶店でレンダーマンはアイスコーヒーを注文した。我々は、芸術活動と執筆活動はコラボレーションした方が効率がよいにもかかわらず、なぜ多くの場合は孤独な作業なのか、ということについて議論した。「自分が思い付いた酷いアイディアも、誰もが同じように考え出すと、突然酷いものではなくなる」と彼は言う。「もしかしたらそれは、元々そう悪いアイディアでなかったのかもしれない」。

レンダーマンは、曲を書き始める時はいつも少し怖さを感じるという。「怖いというよりは、毎回再教育されている気がする」。

5分で曲が浮かぶ時もあるが、それは稀な例だ。通常はいくつかのパターンを作り、試行錯誤しながら時間をかけて作り上げていくという。「脳をフル稼働させなければ、目標に到達しない。でも目標達成のための正しい道筋など、俺にはわからない」とレンダーマンは言う。「曲が完成した時の気分は最高だ。だから止められないのさ。自分の中のたわごとと向き合いながら苦労して作っても、出来上がったものを一人で見返して恥ずかしくなることもある」。

彼の才能や自信やビジョン、素晴らしい曲を作るための深い知識について、周囲の人々がどれほど高く評価しているかを、彼に伝えた。しかし同時に、我々が論じているのは「アート」なのだ。それは、永遠に探求し続けるべきテーマに違いない。

「100%そう思う」と彼は言う。「今回のアルバムを作っている時に、特に感じた。しかし、どう対処すべきか、答えが分からない。ある意味、それをあまり意識しないようにする方法を見つけ出すのが、自分に課せられたテーマのような気がする」。

From Rolling Stone US.

MJレンダーマン

『Manning Fireworks』

発売中

再生・購入:https://mjlenderman.ffm.to/manningfireworks-jplink

日本オフィシャルサイト:https://www.mjlenderman.com/jpsite

※バイオグラフィ、和訳MV、収録曲の日本語歌詞が掲載