永青文庫の収蔵庫から、熊本大学永青文庫研究センターとの共同調査によって60通目となる織田信長の書状が発見され、このほど文部科学省で記者発表が行われました。2022年8月に発見されたこの未知の文書は、信長が“室町幕府の滅亡”の前年にあたる元亀3年(1572年)8月15日に、細川藤孝に出したもの。そこには、元亀4年7月における足利義昭の京都没落の背景に関わる、貴重な新情報が記されていました。

  • 左:細川護光さん(公益財団法人永青文庫理事長)、右:稲葉継陽さん(熊本大学永青文庫研究センター長)

室町幕府滅亡の約1年前の織田信長書状

東京・目白台にある永青文庫は、細川藤孝(幽斎)を初代とする肥後熊本54万石を治めた細川家に伝わる数多くの重宝を所蔵する、東京で唯一の大名家の美術館。なかでも所蔵する細川家伝来の信長の手紙59通は、すべてが国の重要文化財に指定されるほど貴重なものです。信長の手紙は800通ほど現存しているとされますが、これほどの数が1カ所にまとまって伝わる例は他にありません。2022年に収蔵庫の歴史資料の共同調査で8月15日付けの細川藤孝宛織田信長書状1点が発見され、同館の信長の手紙のコレクションはあわせて60通に。これまでの59通のなかで一番古いものよりもさらに半年前の日付で、検討の結果この書状の年代は元亀3年、つまり室町幕府の滅亡、将軍足利義昭の京都没落の約1年前に書かれたものと断定されました。

  • 新たに発見された60通目の信長の手紙。「織田信長書状」細川藤孝宛(元亀3年〈1572〉)8月15日/永青文庫蔵

この書状で、信長は藤孝にこのように伝えています。

八朔(8月1日)の祝儀の詞を承りました。わけても帷子(かたびら)2着を送っていただき、その懇切ぶりに感謝します。今年は「京衆」(※将軍義昭の奉公衆)は誰一人として手紙や贈物をよこしてきません。その中にあってあなたからは、初春にも太刀と馬とをお贈りいただきました。例年どおりにお付き合いくださって、この上なくめでたいことです。鹿毛の馬を贈ります。乗り心地は悪くないと思います。あなたには方々で骨を折っていただき心苦しいのですが、ここは、「南方辺」(※山城・摂津・河内方面)の領主たちを、誰であっても、信長に忠節してくれるのであれば、味方に引き入れてください。あなたの働きこそが重要なのです。なお、具体的には他の案件と一緒にお伝えします。
8月15日 信長から細川藤孝殿へ

これは、京都没落の前年から畿内領主たちへの藤孝の諜報活動が本格化していたことを記す、非常に大きな発見。“あなただけが頼りだよ、藤孝、頑張って!”という信長のメッセージも、従来のイメージを覆すものですが、将軍足利義昭と信長との対立から元亀4年(1573年)7月における“室町幕府の滅亡”にいたるまでの経緯として、元亀3年の初頭には、信長と義昭側の奉公衆との対立がほとんど修復不能なまでに悪化していたこと、義昭の側近中の側近であった藤孝ただ一人が信長と通じていたこと、そして当時岐阜にいた信長は藤孝を頼り、藤孝を通じて山城(現京都府南部)から摂津・河内(現大阪府)方面の領主たちの信長方への組織化を、半年にも渡って進めていたことが、この文書から伺えます。

「室町幕府の滅亡」を実現したキーパーソン、細川藤孝

「どうしてこの文書が今まで誰にも気づかれずに、21世紀まで永青文庫の所蔵庫に眠っていたのか。まるでタイムカプセルを開けたみたい」と語った、熊本大学永青文庫研究センター長の稲葉継陽さん。これまでの文書で確認されていたよりもさらに前の状況が明らかになることで、信長の権力のあり方を大きく左右したキーパーソンとして、細川藤孝の存在もクローズアップされるといいます。

  • 「細川幽斎(藤孝)像」伝田代等有筆 江戸時代(17世紀)/永青文庫蔵

それでは細川藤孝という人物は、一体どんな人だったのでしょう。室町幕府家臣の三淵家に生まれた藤孝は、13代将軍足利義輝の奉公衆として台頭し、義輝暗殺後にはその弟・義昭の側近として、義昭と信長を結び付けて正統幕府を再興する大仕事をやってのけました。義昭側奉公衆の中でただ一人、信長を選んで室町幕府滅亡を実現し、「本能寺の変」後には明智光秀とは結ばず豊臣秀吉を選び、最終的に徳川家康に仕えて国持大名に。このように、ひとつ選択を間違えば家が滅亡するような薄氷を踏む状況の中で、この時期の天下人全員に仕えた藤孝の慧眼と処世術には、目を見張るものがあります。

  • 永青文庫 外観

「復古的な、天皇制的な国家の枠組みの中に大名たちを統合できるなら、天下人は誰でも構わないという、非常に透徹した政治を見る目を持った人物で、そんな人物は彼しかいない」というのが、稲葉先生による藤孝評。今回発見された文書はもちろんのこと、江戸初期にまで視点を広げて彼が成したことを位置づけて、この時期の政治史の中で評価することが重要と語っていました。

永青文庫で秋季展「信長の手紙 ―珠玉の60通大公開―」が開催

この新発見文書を含む全60通(うち59通が重要文化財)の信長の手紙が、10月5日から永青文庫の秋季展で公開されます。ちなみに“信長の手紙”といっても、当時は書記官である「右筆」が筆をとるのが原則で、信長本人がしたためたことが確実な手紙は1通だけ。豪快な筆運びが特徴の信長直筆、細川忠興に宛てた「織田信長自筆感状」も展示に登場します。

  • 重要文化財「織田信長自筆感状」細川忠興宛(天正5年〈1577〉)10月2日/永青文庫蔵

  • 「蘭奢待」/永青文庫蔵

さらに細川家伝来の香木「蘭奢待」、藤孝が13代将軍足利義輝より拝領した「柏木菟螺鈿鞍」(国宝)、細川ガラシャ作と伝わる雨具「露払」、藤孝(幽斎)筆『源氏物語』(熊本県指定重要文化財)など、細川家に伝わる珠玉のコレクションが多数おめみえ。室町幕府の滅亡から一向一揆との死闘、長篠合戦、荒木村重謀反、明智光秀による本能寺の変までの激動の10年間を、藤孝らの動向とともに読み解きながら、「革新的」「破天荒」「残虐」「超人」といった従来の信長のイメージは果たして真実なのかを貴重な歴史資料から迫る同展は、10月5日から12月1日まで、永青文庫で開催です。