覚悟を持って承継した竹の洗剤事業
エシカルバンブー代表取締役社長の田澤恵津子(たざわ・えつこ)さんは1973年、東京生まれ。高校卒業後、大手企業数社で広告宣伝やマーケティングを担当し、その経験や知識を生かして2006年に独立、フリーの商品企画プランナーとして活躍していました。
そんな田澤さんが竹を使った商品開発に携わるようになったのは、会社員時代に知り合った電力会社の担当者から「伐採した竹を有効活用する方法を考えて」と依頼を受けたことがきっかけでした。その担当者によれば、竹が送電線にからむと危険なため、大量に伐採しなければならず、処分に困っているとのこと。
そこで田澤さんがいろいろと調べた結果、製品にしようと思いついたのが「竹繊維を使ったタオル」でした。2008年から竹繊維の開発を始めて2年の試行錯誤ののち、2010年に世界初、国産モウソウチクを原料とした竹繊維を30%以上含有したタオルの製造・販売を開始したのです。
ある日、竹のタオルのユーザーから「うちの子がタオルを気に入って、いつも口に入れています。口の中にタオルを入れたあとに、口の中からうちで使っている洗剤の匂いがするのが気になって。洗剤も口の中に入れてしまっていると考えると、飲めるくらい安全な洗剤でこのタオルを洗いたい」と連絡が来たそう。
それを機に安全な洗剤を探し始めた田澤さんが出会ったのが、竹のミネラル成分を独自製法で抽出した洗剤原液、「竹ミネラル」でした。
その竹ミネラルを製造していたのは山口県防府市にあった建設会社、伊藤緑地建設。田澤さんは同社にOEMで洗剤の製造を委託しようと、2014年に社長の伊藤清志(いとう・きよし)さんに会いに山口県を訪れました。その訪問をきっかけに、話が意外な方向に転がり始めます。
「竹タオルを見せたところ、『こんなに素晴らしい製品を竹で作れるのであれば、自分たちが研究・開発した竹ミネラルをさらに発展させ、継続的な事業にできるのではないか』ということで事業承継してほしいとお願いされたんです。当時、伊藤緑地建設で働く人は70代、80代の方ばかりでした。しかも伊藤さんたちが竹ミネラルの事業で稼いでいたのは月に30万円ちょっと。これでは経費だけで赤字になってしまいますから、伊藤さんはこの事業を畳む気でいたんです。それはもったいないと、事業承継をすることにしました」(田澤さん)
2015年、田澤さんは伊藤緑地建設から竹ミネラル事業を承継しました。もちろん、この竹の洗剤の事業への勝算があっての決断。600万円で事業を買い取り、契約書もしっかり交わすことにしました。
「口約束で事業承継をするのは危険だとわかっていました。承継後の業績によってはもめることも多いんです。場合によっては、当事者間だけでなく親族を巻き込んでのケースもあるので。きちんとお金を払い、契約を結んだのはそういうトラブルを避けるためです」と田澤さんは説明します。
しかし、周囲の人々は、売り上げが立つのかもわからない事業に600万円もの大金をつぎ込むことに反対したといいます。事業承継にあたって山口に移住することも決めましたが、家族や友人は賛成しませんでした。
「負けず嫌いなので反対されるほどやる気が出るんです。自分のやっていることが間違っていないと思っていたし、そう思い込むようにしていました。事業を始めると、いろんな人を巻き込んでしまう。その人たちに対して、しっかりと責任を負うという覚悟を決めなくてはなりませんでした。『会社を立ち上げたけどうまくいかないのでやめます』では、関わった人たちの人生を悪い方に変えてしまうので」(田澤さん)
その覚悟を持って田澤さんが最初に着手したのは、雇用関係の整理でした。
おじいちゃんたちの思いと事業としての確立のはざまで
田澤さんが事業承継をした当時、竹ミネラルの事業で働いている人は、実はみんなボランティア。竹の伐採や炭窯での竹炭の製造を頑張る人もいれば、来たい時にだけフラッと来てほとんどの時間をおしゃべりしながらお茶を飲んで過ごしている人もいるという状況でした。竹ミネラル事業は、地元の人たちのコミュニティーとしての役割も果たしていたのです。田澤さんは、伊藤さんをはじめとした竹ミネラルに関わってくれている高齢の人々を愛情とリスペクトを込めて“おじいちゃん・おばあちゃん”と呼んでいます。
「今まではボランティアで働いていたおじいちゃんたちが、私が事業承継すると『お金は発生するのかね?』と言うんです。伊藤さんや炭窯の関係者にはご近所の関係性もあって言いづらいことも、東京から来た私には言いやすかったんだと思います」(田澤さん)
そこで田澤さんは、コミュニティーとしての居場所を残しつつ、それぞれの望む働き方に合わせて、社員、契約社員、パートと雇用形態を分け、適切な給与を支払う環境を整えることにしました。
一方、時間が空いた時にだけ手伝いたいという人には直接対価を支払うことはせず、「炭窯貯金」と名付けた共有の口座を設け、その人たちが働くたびに田澤さんが口座にお金を振り込んでいくことにしました。
「炭窯貯金」に貯まったお金の使い道はおじいちゃんたちに決めてもらっているといいます。先日は温泉旅行に、その前はバーベキュー代にそのお金を使ったそう。
なぜ田澤さんはこれほど地元のおじいちゃんたちを大切にするのでしょうか。
「そもそも、この事業があること自体、おじいちゃんたちのお陰なんですよね。竹を丁寧に焼くことにこだわって、その結果竹の洗剤としての成分に気づいて製品化したのはおじいちゃんたち。私が立ち上げたわけではありませんから。リスペクトを持って接しつつ、郷に入れば郷に従わなくては、事業承継はうまくいきません」(田澤さん)
雇用関係の整理と同時に、田澤さんは製造方法などを全員で共有する「技術の標準化」にも着手しました。
それまでの竹ミネラルはおじいちゃんたちが手作業と長年の感覚で作っていたため、品質のムラや不純物の混入問題などもありました。
「事業承継前は道の駅で1パック300円程度で売っていたんです。それでは採算が合うはずもない。だから、品質を向上させて単価を上げ、売る場所も変える必要がありました」(田澤さん)
品質ムラをなくすため作業工程を標準化、更に全てを数値化してデータ管理なども行い、作業担当者によっての品質のズレをなくしました。また安定的に竹のミネラル成分が抽出でき、洗浄力にブレのない洗剤ができるよう技術開発し、不純物の混入を防ぐ仕組みも整えました。
「おじいちゃんたちは自分たちのやり方に誇りを持っていたので、こちらが言う品質や安全性の担保の大切さ、技術開発の過程に納得してくれず、最初は理解してもらうのが本当に大変でした」と田澤さん。
納得してもらうために、外部の検査機関におじいちゃんたちが作ったものと田澤さんが開発したものを出し、洗浄力の比較試験をしました。
すると、田澤さんが開発した洗剤の洗浄力が圧倒的に高いという結果が出ました。その結果を見せて、品質にこだわることの大切さ、安全性の保証ができることの現代での重要性を説明しましたが、それでもなかなかおじいちゃんたちは納得してくれません。
「おじいちゃんたちのやり方を否定しているわけでは決してない。おじいちゃんたちが作った飲めるくらい安全な洗剤は、今の世の中に絶対に必要なもの。引き継いだからには事業として成長させる義務が私にはあるんだと、思いの丈を泣きながら説明しました。この洗剤が広まることはこの町のためにもなる。おじいちゃんたちの思いはもちろん大切だし感謝しているけれど、新しい時代の流れに沿わなきゃいけないこともあるんだよって、紙芝居まで作って説明しましたね」(田澤さん)
こうして、それまでの竹ミネラルを改良した新たな竹の洗剤を改めて「バンブークリア」として発売したのですが、その後もおじいちゃんたちと事業を進めていくことは本当に大変だったと田澤さんは言います。
日中は営業に出たり、製造の打ち合わせをしたり、おじいちゃんたちと話し合ったり。話し合いには一人一人の家に赴き、丁寧に説明しました。その一方で、製品の開発は深夜に対応していました。
事業として成り立たせるために、おじいちゃんたちにどのように説明すればよいかを模索する日々が続き、気づくと、夜、眠るときに歯を食いしばりすぎて歯がヘコむほどストレスがたまっていました。
自分のやっていることが正しいのか悩むこともありました。
「エシカルバンブーの描く未来が、地球の未来につながると信じ、この小さな取り組みがいつか世の中を変えられるという思いで取り組むことしかできませんでした。あの当時は本当に大変でしたね」と田澤さんは語ります。
大事にすれば伝わる
忙しい中でも、おじいちゃんたちからの誘いは断らないをモットーに、地元の祭りや学校のイベントには必ず出ているという田澤さん。町内会の会長まで引き受けているそうです。
さらに、年末と新年の挨拶は関わっているおじいちゃんたちの家を全てスタッフと一緒に回っているといいます。
また、おじいちゃんたちの誕生日にはプレゼントを用意して誕生会を開くこともしています。
そんな田澤さんの努力の甲斐があって、徐々におじいちゃんたちの理解が得られるようになり、快く協力してくれるようになりました。
それとともに、事業は順調に拡大。
「私は東京生まれ東京育ちなので、おじいちゃんたちの距離感にも田舎の風習にも戸惑いました。でもそれは相手も同じで、お互いに理解しあおうと努力することが大切だと思います。大事にすれば、伝わります」と田澤さん。一緒に取り組むうちに、エシカルバンブーの取り組みを誇りに思ってくれるおじいちゃんが増えてきたそう。この活動がおじいちゃんたちの生きがいになり、長生きする理由の一つになればと、おじいちゃんたちには積極的にメディアにも出てもらっています。
「メディアに出てもらうのは、自分たちの携わっている事業の素晴らしさをおじいちゃんたちに認識してもらいたいからです。メディアに載ると、孫や知り合いから『見たよ! すごいね!』って連絡が来るらしいんです。それですごく喜んでくれるんです」(田澤さん)
2024年4月、メンバーの中でも2番目に高齢だった84歳のおじいちゃんが亡くなりました。葬儀の際、そのおじいちゃんの家族が田澤さんに抱きついて、「おやじを雇ってくれてありがとうございます。エシカルバンブーで働けたことを誇りに思っていたし、社長に出会えたことをすごく喜んでいて笑顔で亡くなりました」と泣きながら教えてくれたといいます。
亡くなる少し前から作業に来られる日が少なくなっていたおじいちゃんでしたが、こうしてみんなといられるのが幸せだと言っていたそう。そんなおじいちゃんを若いスタッフが迎えに行く日もありました。そんなふうに若いスタッフたちもおじいちゃんたちとの関係性作りを“自分ごと”として捉えてくれて、良い関係が作れていることがうれしいと田澤さんは言います。
地域の人々へのリスペクトを持って誠実に
エシカルバンブーの活動が軌道に乗り、さまざまなメディアに紹介されて知名度も上がった現在、いろいろな企業からノウハウを教えてほしいと連絡がくるようになりました。中には「竹ビジネスははやりだしもうかる」といったスタンスが透けて見える人もいるといいます。そんな竹ビジネスブームに対する危機感を持つ田澤さんは、“ノリ”で連絡をしてきた人は全員断っているそう。
「おじいちゃんとの関係があって、地域の資源や買ってくれるお客様のことをリスペクトして初めてエシカルバンブーの事業は成立しています。まねると学ぶは違うんです。うちのマネをしたところで同じようにできるわけがありません。私にはおじいちゃんから受け継いだ責任があり、この地域の特性を理解した上で培ってきた製品と地域事業を守る大きな役目があると思っています」
一方で、全国には放置竹林の問題に悩む地域がたくさんあります。そうした問題を解決しようと田澤さんにアドバイスを求める人のことはとことん手伝うといいます。
「その土地の分析をして、その土地でしか作れないものの開発を一緒にやろうとお声がけいただけるのはうれしいし、ぜひ協力したいですね」
こうした放置竹林などの環境問題の解決のためには、継続的な対応をしていかなければ意味がありません。社会的な問題であるため、国や地方自治体の補助金はたくさんありますが、田澤さんは今までの事業で補助金頼りの事業をしてきませんでした。それは事業を継続していくため。「補助金頼りだと補助事業が終わったとたんに経営が傾き、関係者が路頭に迷ってしまうから」なのだといいます。
竹事業を単なるブームで終わらせず、地域に貢献する大事な取り組みとして継続させるために何が必要かを田澤さんに問うと、次のように答えてくれました。
「エシカルという言葉や竹への取り組みがはやっています。若い方の参入も多い。それ自体は悪いことではありませんが、品質の偽装や製造の際に廃材が多く出る製品の生産は環境問題の解決には貢献しませんし、事業としても長続きしません。やるからにはリスペクトを持って、誠実に正しくあってほしいと願います」
事業承継は大変だが、楽しい
「立派なことをたくさん言いましたが、おじいちゃんたちからの受け売りも多いんです」と笑う田澤さん。廃液を一切出さない製造方法へのこだわりや、ムリなく無駄なく生かせるものを生かそうという意識などの精神を受け継ぎつつ、事業を継続しています。
そして何より先人が整備し守ってきた森林も大切に守ろうという志も受け継いだと言います。
「今、緑豊かな里山があるのは、整備をしてくれていた人たちがいたからです。私達の代で荒らして残すのではなく、奇麗な里山や整えられた竹林を適切に守り管理した状態でつないでいく義務があると思っています」(田澤さん)
この志に共感して、スタッフや仲間が増えています。全国からエシカルバンブーで働きたいと連絡してくる人がいるそう。今後も竹の可能性を追求する製品作りのため、製造拠点を日本国内で増やしていく予定だと田澤さんは言います。
「事業承継することは難しいし、大変だし、覚悟も必要です。でも、事業を受け継いだことに私はプライドと誇りを持っているし、おじいちゃんたちと次の世界に向かって、新しい景色を見られることに幸せを感じます。おじいちゃんたちから生まれたものを私達が受け継いで、私達が次の世代に受け継いでいく。その脈々と受け継がれる流れっていうのは、他の人には経験できない貴重なものだと思います。だから今、とても楽しいです」
地域の人々との関係性を大事にしつつ、事業承継という形で先人の取り組みを受け継ぎ、熱い思いで事業継続のためにまい進する田澤さん。「竹害」を「竹財」に変え、さらにそれを次の世代にまで伝えようとしています。経営者という立場を超えて、住民の一人としてこの地域をどう持続可能にしていくかを考え抜く田澤さんの姿勢は、放置竹林対策に携わる人だけでなく、地域の諸問題に立ち向かう全ての人にとってすばらしいロールモデルになるに違いありません。
【取材協力・画像提供】エシカルバンブー株式会社