
高校野球 夏の甲子園 最新情報
第106回全国高等学校野球選手権大会は、京都国際(京都)の初優勝で幕を閉じた。今夏も、数多くの高校球児が聖地で躍動。中には、一躍プロ注目選手に名を上げた逸材も現れた。一方で、過去には夏の甲子園で華々しい活躍を見せるも、プロの世界に進まなかった選手も少なくない。ここでは、プロ入りしなかった天才打者を紹介したい。
今シーズンのプロ野球はDAZNで生中継!
月額1270円お得に観るなら[PR]
町田友潤(常葉菊川)
“甲子園史上最高の二塁手”と称されるなど、二塁守備で強烈な印象を残した町田友潤。2007年春から4季連続で甲子園出場を果たした常葉菊川の黄金期を支えた。
1年秋から二塁手のレギュラーを掴むと、2年春の甲子園では1学年上の田中健二朗(現:くふうハヤテ)らとともに全国制覇を達成。町田は同大会から4季連続で聖地の土を踏んだ。
特に3年夏の甲子園では、チームを救うファインプレーを連発。「セカンドに打ってしまえば、望みはありません」と実況に言わしめた。
同夏は智弁和歌山、浦添商など強豪校を破り、決勝に進出。最後は大阪桐蔭に敗れたが、準優勝に輝いた。
高校卒業後は早稲田大に進学したが中退。その後は社会人野球の名門・ヤマハでプレーを続けたものの、故障もあって23歳の若さで現役引退を決断した。プロには進まなかったが、現在も高校野球ファンに語り継がれる存在となっている。
鮫島哲新(鹿児島工)
2006年夏の甲子園で初出場ながら、ベスト4に進出する快進撃を見せた鹿児島工。“鹿工旋風”の立役者となったのが、主将兼「4番・捕手」とチームの大黒柱を担った鮫島哲新だ。
エース・榎下陽大(元日本ハム)とのバッテリーで鹿児島工を初の甲子園出場に導いた鮫島。
聖地では初戦で高知商に逆転勝ちを収めて勢いに乗ると、準々決勝・福知山成美戦では延長10回にバックスクリーンへ決勝本塁打を放ち、4強入りに貢献。
最後は斎藤佑樹(元日本ハム)を擁する早稲田実に敗れたが、聖地で強烈なインパクトを残した。
高校卒業後は中央大に進学し、1年春からリーグ戦に出場するなど、早くから主力選手として活躍。4年時にはドラフト指名が期待されるも、吉報は届かず。プロの世界に進むことはできなかったが、大学卒業後は新日鉄住金鹿島で活躍を続けた。
宇高幸治(今治西)
2006年夏の甲子園で打率6割超の大活躍を見せ、16強入りの原動力となった宇髙幸治。高校通算52本塁打を記録した強打者は、大学・社会人でも実力を発揮したが、プロの世界に進むことはなかった。
今治西高では、熊代聖人(元西武)らとともに3年時の2006年夏に甲子園の土を踏んだ。
聖地でも「4番・遊撃」で出場し、打率.615(13打数8安打)、2本塁打、8打点の大当たりでベスト16入りに貢献。甲子園での活躍が高く評価され、高校日本代表に選出された。
“ハンカチ世代”と称された1988年生まれを代表する打者として注目を集めたが、プロ志望届は提出せず、早稲田大に進学。大学1年春からリーグ戦に出場し、3度のベストナインに輝くなど実績を残した。
社会人野球の名門・日本生命でも都市対抗に出場するなど、中心選手として活躍。社会人で10年間プレーし、2020年限りで現役引退を決断した。
原島正光(日大三)
日大三高の4番打者として2001年夏の甲子園優勝に貢献した原島正光。3試合連続本塁打を放つなど、圧巻の活躍で甲子園を沸かせた。
3年春に初めて甲子園の土を踏むと、初戦で姫路工のエース・真田裕貴(元巨人など)から本塁打を記録。チームはベスト16で敗退となったが、印象的な活躍を見せた。
同夏も甲子園出場を決め、初戦から3試合連続本塁打をマーク。当時の歴代最高記録であるチーム打率.427を誇った強力打線の4番打者として君臨し、全国制覇を達成した。
近藤一樹(元オリックスなど)などチームメイト4人がプロ入りする中、原島はプロ志望届を提出せず、明治大へ進学。1年春から4番を任されるなど、大学通算8本塁打と実績を残したが、ドラフト指名漏れを経験。
その後は日立製作所に進み、入社3年目には都市対抗に出場。しかし、プロ入りは叶わぬまま、現役を引退した。
峯本匠(大阪桐蔭)
強打の2番打者として活躍し、2014年夏の甲子園優勝に貢献した峯本匠。高校卒業後も立教大、JFE東日本と名門でプレーを続けたが、プロには進まなかった。
大阪桐蔭では、1年秋から二塁のレギュラーに定着。2年時には春夏連続で甲子園に出場し、2大会連続でランニングホームランを記録するなど、印象的な活躍を見せた。
3年夏の甲子園では打率.500(22打数11安打)、1本塁打、5打点、出塁率.633と傑出した数字を残し、全国制覇に貢献。特に準決勝・敦賀気比戦では逆方向に本塁打を放ち、その打撃は“天才“と評された。
その後、高校日本代表にも選出され、プロスカウトから注目を集めるも、立教大に進学。大学1年春からリーグ戦に出場したが、大学4年間で24試合出場、打率.180と低迷。
それでも、JFE東日本では入社1年目に都市対抗に出場し、打率.412の活躍で新人賞(若獅子賞)に輝いた。その後、26歳を迎えた2022年に惜しまれつつ現役を引退した。
林裕也(駒大苫小牧)
2004年、2005年夏と2年連続で全国制覇を果たした駒大苫小牧。連覇の立役者となったのが、主将を務めた林裕也だ。
駒大苫小牧では1年秋からレギュラーに定着し、主軸を任されていたが、2年夏の甲子園は「7番・二塁」で出場。
それでも、準々決勝の横浜戦では好投手・涌井秀章(現:中日)を相手に史上5人目となるサイクル安打を達成。大会を通じて持ち前の打棒を発揮し、北海道勢初となる甲子園優勝を成し遂げた。
さらに、主将として迎えた最後の夏も甲子園に出場し、打率.556(18打数10安打)、1本塁打の大活躍で連覇の原動力に。高校日本代表でも主将を任され、AAAアジア選手権の優勝に貢献した。
高校卒業後は駒澤大に進み、3年春のリーグ戦では首位打者を獲得。その後は社会人野球の名門・東芝で9年間プレーした。
【了】