第9期叡王戦五番勝負第5局にて、伊藤匠七段が藤井聡太叡王を破り、初タイトル「叡王」を獲得しました。2度の失敗を乗り越えて伊藤七段が初タイトルを獲得し、番勝負無敗を誇っていた藤井叡王が初失冠するという歴史に残るシリーズとなりました。
決着局となった第5局の詳細は、2024年8月2日に発売された『将棋世界2024年9月号』(発行=日本将棋連盟、販売=マイナビ出版)掲載の伊藤新叡王による自戦記でご覧いただけます。本記事では、第5局に至るまでの軌跡を振り返るため、前後編にわけて過去の『将棋世界』に掲載された観戦記から第1局~第4局のハイライト部分を抜粋して掲載します。それでは前編では第1局、第2局を振り返っていきましょう。
第1局:壁は厚かった 伊藤七段にとって遠い1勝
角換わりの出だしから伊藤七段が新構想を見せ、五分以上の戦いを繰り広げた本局。途中、伊藤七段が勝ちに近づくチャンスもあったようですが、藤井叡王の終盤が的確でした。
(以下抜粋)
フル回転する藤井の読み
先手陣に潜んでいた2枚の攻め駒が前線に躍り出た。ぎりぎりの局面で、めいっぱい駒を働かせるのが藤井将棋の真骨頂である。それにしても、先手玉は危ない。「本当に大丈夫なのか?」と控室の声。「この先手玉がしぶといのが誤算だった」と局後の伊藤はうめくように言った。
第1図で、
① △8七銀は▲同桂△同歩成▲同金△8六歩▲9七金△8七銀▲7九玉△6六桂▲6七銀で、あと一押しがない。
② △7六銀と突っ込むのは、▲6三歩成△5一玉▲5二角成△同金▲同と△同玉▲6三角で先手勝ち。
実戦の△6六歩を見て、藤井の読みがフル回転を始めた。▲8四歩△同飛▲6五桂(第2図)が絶妙の手順だった。
壁は動かず
第2図で△6五同桂と取れば、先手玉は詰めろ。後手玉は詰まない。では後手勝ちかといえば、そうではない。△6五同桂には▲6三銀△6一玉(それ以外の逃げ場所は▲6二角の王手飛車で先手勝ち)に▲6六飛と歩を取る手が詰めろ逃れになる。以下△7三桂の頑張りには▲5二角打△5一玉と形を決めてから▲8九玉(A図)と引けば、後手は駒を渡す攻めができないので先手勝ち。
秒読みになっていた伊藤は△6四金としたが、やはり▲6六飛と歩を取られて万事休した。後手が攻めを続けるには△6五桂しかないが、藤井はノータイムで飛車を切った。以下はぱたぱたと▲6三銀(投了1図)まで進み、伊藤が投了した。
投了1図からは玉を逃げても▲6二角の王手飛車がかかる。8四の飛車を取られては先手玉が寄らない形になるから後手絶望だ。 振り返ってみれば、伊藤の新構想は見事に成功した。藤井の先手角換わりに対し五分以上の分かれを作り、2度も勝ちに近づくチャンスを作ったのだ。終盤勝負にしたいという念願も果たした。しかし、結果はまたも藤井勝ち。伊藤にとっては1勝が遠い。
(将棋世界2024年6月号より 第9期叡王戦五番勝負第1局「壁は動かず」/【記】鈴木宏彦)