去る2024年1月12日、トリノ工科大がマルチェッロ・ガンディーニに機械工学の名誉博士号を授与した。そのセレモニーにおいて学生や関係者を前にガンディーニ博士が語った講演が、私たちスーパーカー好き・クルマ好きはもちろんのこと、前途洋洋なる若い人たち〜特に自動車産業を目指す人たちにもぜひ読んでほしい内容だったので、ここに全文を翻訳し掲載しておきたいと思う。もちろん今、自動車産業に関わるすべての人たちにも…
【画像】マルチェッロ・ガンディーニへの名誉博士号授与式が行われた会場の様子。彼が手掛けた歴史的名車が一堂に展示された(写真13点)
多くの人に読んでいただけますよう、ぜひ周りの皆さんにもお知らせください。
私はスーパーカーブームに出会って人生が決定づけられた。そしてスーパーカーブームとはランボルギーニ・カウンタックブームでもあった。そういう意味では彼の存在なくして私の人生はなかった。結局のところ人は皆、どこかの誰かに刺激をされて人生の行方を決めている。ガンディーニさん、改めて感謝します。そして、おめでとうございます。
貴方を勝手に慕うクルマ好き代表
自動車ライター 西川 淳
Lectio Magistralis, Marcello Gandini
– Ceremony for the Conferment of the Honorary Degree in Mechanical Engineering – Polytechnic University of Turin
皆さん、こんにちは。
この素晴らしく心のこもった式典にご臨席を賜り、厚く御礼申し上げます。何十年にもわたって何千何万という若者たちが巣立った教育のシンボルともいうべきここトリノ工科大学のような場所は、私が教育を受けた環境とは随分とかけ離れた場所であり、全く異なった思い出へと連れ戻してくれます。
私自身の教育の起源は、多様性を考慮しない家族の伝統の真っ只中にありました。学びの源といえば人であり本であり古典的な学習だったのです。1950年代半ばから60年代初頭にかけてそれは決して珍しいことではありませんでした。
私の父マルコは2つの学位を取得し、オーケストラの指揮者として生計を立てていました。家族の一員として進むべき唯一の未来は、公立の高等学校で学び、大学にいくというものです。当然のことながら私は高等学校に通い、まずはピアノを学ぶことになります。このように古典的で文化的な教育の背景や厳格で保守的な身の回りの環境によるあらかじめ確立されたすべてのパターンの押し付けが私の心に、エンジンやメカニック、テクノロジー、さらには、デザインやレース、何かしらイノベーティヴなものに対する無条件の情熱を巻き起こすまでさほど時間はかかりませんでした。
そんな私の経験から今日ここに集まった未来の若いエンジニアとデザイナーに伝えたい最初のメッセージは、「限界を設けることなく、強い意思を常にもって、しかも建設的に反抗する精神を養え」、ということです。
高校1年生のときにラテン語の翻訳本を買うために渡されたお金で、ダンテ・ジアコーザの著作『内燃機関』を買いました。貪るように読んで研究し、一語一句を分析したものです。購入後しばらく経って、気づきました。進むべき道はこれなんだ、と。
高校生の終わりごろになると私は決定的に反抗的な少年になっていました。カーデザイナーになりたくて大学への進学を拒否したからです。保守的な私の家族ではありえないことでした。そして当時はというと、両親との約束や期待に添えないのであれば家を出なければならなかったのです。
気がつくと私は友人と暮らしていて、お金もなく、クレイジーなアイデアだけがたくさんありました。ヒルクライム用のレース車両にライトチューンを施したり、時にはボディを改造したりしました。とはいえそれは些細な仕事で、とてもじゃないけれど生計を立てられるレベルではありません。50年代の終わりから60年代の初めにかけて、私は次のことに気づいたのです。生き残るために選択の余地はあまりない、機械工学ではなく他の分野に専念した方が良いだろう、と。
23歳のころに妻のクラウディアと出会いました。このことがその後共になしえた素晴らしい成功と成果のきっかけとなります。私にはクリエイティブな心があり、彼女には堅固さを保ち、私をサポートし、組織化し、関係を維持する能力がありました。彼女がいなければ、その後の私はなかったと言っても過言ではありません。
イタリアにデザイナーという言葉がなかった時代に絵を描き始めました。勉強することができるという意味では建築家かエンジニアになりたいとも思っていましたが、デザインを学ぶという学位コースはありません。その代わりに広告や漫画、家具など、あらゆるものを描き、徐々に腕を磨いていったのです。
小さなコーチビルダー向けに大小の変更を施した自動車の図面を描いたこともありました。仕事として決して満足できるレベルではありませんでしたけれども、方向性を感じるには十分なものだったのです。
本日ここで私が若い皆さんに伝えたい2番目のメッセージは、何か新しいものを創造したいと思っているのであれば、次のようなことが必要だということです。まず自分の分野で過去にすでに行われていることをすべて、文字通りすべてを知っておかなければなりません。デザインの分野であれば、その過去の作品のみならずイノベーションの歴史全般を知っておいて欲しいのです。レオナルド・ダ・ヴィンチ以降、これは将来のすべてのデザイナーにとって必須の要件だと思います。
私たちの話に戻りましょう。将来への方向性を感じてからというものの、道はきれいになり始め、少なくとも険しくないようには見えてきました。決して不可能ではないだろう、と。独学だったので、実物を見なくてもかえって本格的に描くことに慣れたものです。
どのように描いていたかというと、当時使われていた木枠のキャンバスではなく、部屋の床にトレーシングペーパーを敷いて絵を描いていたのです。徐々に精度を高め、信頼するに足る製図を作成できるようになりました。
モデラーに初めて自分のボディワーク図面を見せたとき、彼は私の描いたシートを壁に掛けながら黙って観察していました。15分くらい経って、彼は首を振りながら、「まるで分からないよ」と言ったのです。
一体何をどう言えばいいのか、どう説明すればいいのかまるでわかりません。そのとき、気づいたことがありました。私の描いた自動車の絵では、フロントが右を向いていたのです。左向きに描くのがどうやら一般的な方法だったのです。
幸いなことに、その絵はトレーシングペーパーに描かれていました。裏返すと途端にモデラーの目が輝き始めたのです。
彼は褒めてくれました。わかりやすく丁寧で、正確な絵である、と。
ここから私のデザイナーとしてのキャリアが始まったと言っていいでしょう。ボディワークの仕事をしたり、本を読んで勉強したり、もちろん絵を描くことも欠かしません。
未来的な自動車というものは、極端にすぎることが多いのも事実ですが、独創的で見ていて興味深いものであることも確かです。そんなアイデアをまとめて私自身の作品集を作り、それをヌッチョ・ベルトーネとのミーティングで発表するという機会に恵まれました。
彼はすぐに自分の下で働くよう提案してくれました。数年後、26歳で私はベルトーネのチーフスタイリストにまでなりました。常に自主性を持って仕事に取り組んできた結果とはいえ、それらはすべてヌッチョ・ベルトーネの起業家としての先見の明と勇気のおかげです。彼には感謝しかありません。
無名の26歳の若者が組織の中で自由に行動できることを想像してみてください。今日ではまず難しいことでしょう。ヌッチオは飛び抜けて行動力のあった人です。才能のありかを理解し、何よりもその才能を最大限に発揮できる状態に置くという能力に秀でていたのです。
3番目のメッセージです。たとえ最初は非常に難しくても、あなたに最適な仕事を見つけることを決してあきらめてはいけません。あなたを評価し、あなたの能力や才能を表現するための地位を与えてくれる人をぜひとも探し出して欲しいのです。
この点で私は非常に幸運だったと言わざるを得ません。
カーデザイナーにとっては特別な時代に生きてもいたのです。自動車の分野にはそれまでに経験したことのない数々の力、例えば新しさへの欲求や秘めたエネルギー、未来志向となんでも実現できるのだという信念などが渦巻いていました。そんなことはあの時期以来、ついぞありません。
人類は月に行きました。何か今までとは違う空気が世の中に漂い始め、自動車を含めありとあらゆることに関するほぼすべての行動に何かしら影響を与えたものです。
自動車とは何でしょう?移動手段です。けれども私たちは機械工学における研究と知識の集積した場所にいるので、そこだけに注目したくはありません。
交通手段は他にもたくさんあります。なかでも自動車は個人または家族のような小さなグループへの販売を目的とした工業製品であることは確かです。けれども、もう少し深く探ってみようではありませんか。
自動車は普及の容易な工業製品であり、その結果、人々の日常や習慣に影響を与える可能性が大いにあります。ファッション現象を生み出し、トレンドや大衆の好みに基づいて生まれてきます。
ここで私たちは自動車分野におけるデザインとは何なのか、その目的は何なのかを自問してみましょう。それは目標を改良することを前提に導入された設計の要素の一部であり、モデルの成功を担っています。カーデザインは人々が最初に知る新型車広告なのです。つまりは自動車からのコミュニケーションの発露でもあります。
ここまでのすべては的確なたとえかと思いますが、少々理屈っぽいでしょうか。
何がそのモデルを特別なものに仕立て上げているのか。実は先ほど述べたようなこととは何の関係もないことだと私自身は思っています。
自動車とは人類が何千年も抱いてきた夢であり望みです。半分は空飛ぶじゅうたんで、半分は家なのです。瞬時にどこへでも行ける自由を与え、守ってくれるような、魔法のような物体です。人と共に移動するシェルター、空間なのです。それは自由の象徴でもあります。個人の自由の体現です。
私にはそれこそが自動車の本質であり、そこに他の多くの感情的な要素が追加されていくのだと思われてなりません。
自動車というものは洗練され魅力に満ちた大切なものであり、それを所有するという喜びがあります。心の内を表現するひとつの手段でもあります。私の場合には自動車の持つ力学的にロマンチックな側面もまた重要でした。物理的な可能性を心理的に拡張する働きや、スピード、力強さ、完璧さといった不滅の、そして美しき欲求の継続こそが大事なことだったのです。
さらに自動車は、人類が成し遂げたほとんど唯一というべき真の発明によって成立する物体でもあります。それまで自然にはなく人類が発明したもの、それは車輪です。
飛行機は自然の中に模範が存在していました。鳥です。船はどうですか?川に浮かぶ丸太でしょう。エレクトロニクスは神経系です。けれどもホイールだけはそういった先生が自然にはありません。確かに石のように丸いものはありましたし、木の幹で作られた輪っかも転がることならできたでしょう。しかし人々が回転軸を発見し、そこから我々は世界を動かし始めたのです。
それでは自動車はどのようにして生まれるのでしょうか?すべてのプロジェクトの前提となる条件はほぼ次のとおりでしょう。
• マーケティング指標
• 達成すべき目標
• そのモデルで主張すべき特性: パフォーマンス、経済性、革新性、また大衆のウケ
• 全体的なアーキテクチャ
• 良好な機能性
• 装備(価格帯による)
• 安全性(現実的または望ましい)
そして、この段階におけるデザイナーの役割は次のとおりです。
• 潜在的な顧客層を最大限に拡大すること
• 技術的特徴、ブランドイメージを強調すること
• キャラクターや性能、豪華さ、本質性などでエンドユーザーを刺激すること
• プロジェクトの前提条件について明確な知識を持つこと
• 自分の分野(歴史的および現在)に関する重要な知識を持っていること
• 現実的な問題に対してさまざまに官能的な解決策を生み出すこと
最後の項目こそデザイナーの最も重要な役割です。それは感情や感情を引き起こすことだからです。
デザイナーは所有者の個性がそのモデルによっていかに表現できるか、そのことをまずは確認しなければなりません(多くの場合は肯定的な意味ですが、そうでない場合もあります)
誘惑のアクションを優先するのがデザイナーの仕事だからです。自動車は複雑なバランスで成り立っています。たとえば日常に使うシティカーなら次のように話しかけてくるデザインが適当でしょう。「私は気さくで、フレンドリーで、親切で、歩行者を尊重し、信頼できます。優しいのです。そんな価値が私にはあります。そのうえ私は万能ですし、皆さんに好かれたいとも思っています」
スーパーカーならこんなふうでしょう。「私はとてもアグレッシブで、パワフルで、速くて、時に気難しいのですが、自分の魅力には自信を持っています。ドライバーもそんな人なんですよ」
大型セダンならこう言うはずです。「私はエレガントです。私をドライブするオーナーは重要人物で、バランスのとれた賢い人なんですよ」
デザイナーはつまり自動車に言葉を持たせることが出来るのです。デザイナーは比較を避ける方法として、非スタイリッシュ、それもスタイルですが、を選択することもできます。
意図的に不調和で、巨大で、やや醜い自動車は、「私は個性に満ちている」と語っているかのようです。「私にはカリスマ性があり、他人とは違っていたい、違うことを恐れません。オーナーも同じようです」
自動車には社会的かつ文化的な役割があります。特に都市においてはそれらが重要な部分を占めています。人々を定義し、昔からの夢を更新する対象でもあります。これらの考察から自動車の新たな構想が始まるわけですが、最初のデザインはアイデアを適宜修正するために不可欠なものであり、そしてそこからそれらをCAD、モデル、プロトタイプで開発していくのです。
私から4番目に明らかにしたいメッセージは「テクノロジーを何のために使うか」、です。それはアイデアを実現するための手段です。だから書くこと、描くこと、計算すること、創造することをやめないでください。鉛筆とは脳、つまりアイデアと現実をつなぐ素晴らしい手段です。一枚の紙と一本の鉛筆からプロジェクトを開始するということは、オリジナルのアイデアを思いつく手段であり、すべて驚異的なテクノロジーはそこから生まれてくるはずです。
特別に注目に値する自動車には共通項ともいうべき一定の役割があります。私のキャリアを通じて、そしておそらく今日私が受けている評価の根底にもそれはあります。自動車はイノベーション、技術、エンジニアリング、機能の研究の絶え間ない原動力です。
カーデザインは今、過度の標準化に悩まされています。すべてがすでに完成しているかのようにも見えます。
おそらく対象そのものを再定義する必要すらあるのでしょう。
これは私が常に考え続けてきたことでもあります。過去20年間においてはさらに大きな関心を持って取り組んできました。今日、これまで以上に自動車は全体として考えられ、設計される必要がありますが、多くの場合、内装、外装、機構は依然として別個の部品として考えられており、形状に至って技術的にもそして生産の段階においてもほぼ分離された状態になっています。
デザインの教育や職場においては、独創的なアイデアよりも流行りのトレンドが重視されるようになりました。スタイルはただそれまであった姿を追い求めるだけで、成功したデザインを際限なく繰り返そうとするかのようです。
いったいイノベーションはどこにあるというのでしょうか?
私たちは変化する勇気を持たなければなりません。自動車は依然として、最初にシェルが構築され、その後に何千何万ものパーツが組み込まれる唯一の工業製品です。
操作系や機能的な機械部品、計器類、装備品、小さな部品やカバーなどがさらに追加されます。まるでボトルに入った船のようです。
ここ数十年間の私の研究はまさにこの問題に焦点を当ててきました。シンプルに自動車の構造を構成する部品を減らし、あらかじめ構造化された材料を使い、同時に作り終えることができるよう工夫するのです。複合材料やサンドイッチ構造、構造そのものの中で全体または一部を事前に一体成型したメカニカルパーツを使用することで、単なるボトルシップではなく、すでに完成した船であってもなんとか入れることのできるボトルを作ることができました。
必要な作業を劇的に削減できるデザインと工法です。もちろん、その結果、全体的なコストもまた削減されるのです。
80年代に私のアイデアに完全に従って設計、製造された新しいエンジンが発表されました。片側にメカニックがいて、その隣にボディシェルがあり、2人の作業員が15分で走行可能な状態へと組み立てることができました。このプロジェクトとプロトタイプはさまざまな特許で保護されており、その後、フランスの大手自動車会社が買ってくれたものです。
最近ではこの成果を一層明確に進化させた研究を行い、新たな特許と興味深い複合材料を使ったアイデアをインドの巨大メーカー向けに開発しました。この場合もまた車両を分解した状態でプレゼンテーションを行なっています。一部を片側に置き、他の要素はもう片側にあってわずか10分で合体させ、世界No.1企業に向かって一緒に走り出したのです。
非常に少ない要素点数で同じ機能を発揮すること。これこそ将来の課題というべきでしょう。
私が若い皆さんに伝えたい最後のメッセージは、「誰かと同じことをあえてしないで戦う」ということです。すでに行われたこと、同じことを繰り返す必要などありません。難しいかもしれませんが、新しい解決策を見つけて欲しいのです。もちろん簡単なことではありません。今日の自動車会社では、特に高級ブランドにおいては、いつまでも同じような自動車を作りたいという誘惑に駆られるものです。過去を尊重することは大事ですが、決して自分自身の過去のレプリカを無限に作っていいわけではありません。過去をコピーし台無しにすることを避けると同時に、起業家精神と創造性を示すこと、将来を見据え、革新と前衛、真の天才をサポートする勇気を私は望みます。ビジネスにおいて変化と勇気が必須となる時代が限りなく近づいてきました。企業の計画や各CEOの戦略に今後ますますそういったことが反映されることでしょう。私はあなたたちの味方であり続けたいと思っています。
私は今回いただいた名誉な学位をマリエラ・メンゴッツィに捧げたいと思っています。彼女のことを私は永遠に忘れられないでしょう。彼女の素晴らしい人間性と優しさに感謝しています。
ご来場の皆様、そして快く展示に協力いただいたオーナーの皆様、誠にありがとうございました。
文:西川 淳 Words: Jun NISHIKAWA