フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)で、18日に放送された『僕を産んでくれたお母さん ~言葉を失ったママと家族の4年~ 前編』。脳出血で意識を失ったまま出産し、後遺症を抱えながら生活することになった金山あさ奈さんと家族の4年を追った作品で、25日には「後編」が放送される。

数々の医療ドキュメンタリーを手がけてきた中でも、今回、患者とその家族に密着するのは初めての経験だったという、演出・プロデューサーの荒井裕晶氏(オンセ)。奇跡の生還を果たしながら、様々な困難に直面するあさ奈さんに、“常に前を向く姿勢”を教えてもらったという――。

  • 病床の金山あさ奈さん(手前)を見守る夫・文哉さんと母 (C)フジテレビ

    病床の金山あさ奈さん(手前)を見守る夫・文哉さんと母 (C)フジテレビ

緊急事態も密着取材快諾、その理由は…

4年前、職場で意識を失い、病院に運び込まれたあさ奈さん。原因は脳出血で、すぐにでも手術をする必要があったが、おなかには3人目となる男の子を宿していた。病院に駆けつけた夫の文哉さんは、無事を祈る一方で、「愛する妻を失うのか、まだ見ぬ我が子を失うのか、もしかしたら2人とも…」と、不安と闘っていたという。

医師たちは2つの命を救うため、帝王切開で赤ちゃんを取り出すと同時に、あさ奈さんの開頭手術に挑む。懸命な処置により手術は無事成功し、1794gの男の子は新生児集中治療室に運ばれ、あさ奈さんは一命を取り留めた。しかし、脳に負ったダメージは大きく、右半身のまひに加え、会話や読み書きが思うようにできなくなる障害が出ていた…。

当時、フジテレビのドキュメンタリー特番『命の最前線!!救命救急24時』で、北里大学病院を取材していた荒井氏ら。そこに救急搬送されてきたのが、あさ奈さんだった。緊急事態の中で、あさ奈さんの家族は密着取材を受けてくれないだろうと思いながら、後日ダメ元で申し込むと、意外にも迷うことなく快諾してくれたという。

「僕らが毎日病院に通ってあさ奈さんたちを見て、ご家族と打ち解けていったというのがありました。また、ご家族があさ奈さんのことを見られない時間も、僕らが映像で彼女の姿を記録することになるので、取材を受けてくれたのではないかと思います」

あさ奈さんにとっても、後に映像で入院当初の自分の姿を見ることが、欠落していた記憶をよみがえらせる機会になっていたようだ。

その後リハビリの期間に入ると、撮影されることがリハビリのモチベーションを保つ刺激になることも期待され、取材を継続。165日の入院生活を経て退院する際、見守り続けてきたスタッフは、その回復ぶりに思わず「あ~良かったですね! 本当に」と、家族のように喜びの声をかけていた。

金山家や病院と築いた信頼関係

こうして、金山家と信頼関係を築いてきた取材陣。家の中の撮影は、おおむね朝から晩までという時間帯だったが、「一度だけ、カメラマンが1泊させてもらったんです。寝袋を用意していったら布団まで敷いてくれて。“なんで泊まらせてくれるんですか?”と聞いたら、“私たちをずっと見てくれている人だから”と言ってくれて。入院中は、あさ奈さんのほうも、取材に動き回る番組スタッフをベッドの上からずっと見ていたという、不思議な関係なんです」と語る。

一方で、前編ではあさ奈さんの手術シーンをはじめ、他の病院密着ドキュメンタリーでもなかなか見ることのできない映像が次々に流れた。「なかなかあそこまで、協力していただける病院はないと思います」というが、こちらも、北里大学病院の教授と長年にわたり交流を続けて築いた信頼関係が反映されたものだった。

また、北里大学病院の救命救急・災害医療センターは、重篤な患者を受け入れる第三次救急医療機関で、病院のスタッフは亡くなった患者の家族の泣き声を毎日聞くような環境にあるだけに、あさ奈さんが回復していくことは、医師や看護師たちの喜びもひとしおだったようだ。