マセラティは1950年代のモーターレースの代名詞的存在であった。実際、スターリング・モスやファン・マヌエル・ファンジオといった伝説的なドライバーたちが、マセラティで国際的な勝利を収めている。速く、洗練され、うっとりするほどグラマラスなデザインを特徴とするマセラティであったが、極少数しか生産されなかったため、当時世界の様々な分野で一流だった人々から珍重された。時が経つにつれ、マセラティはモータースポーツから離れ、これらの市販モデルだけに専念するようになった。しかし、ワークス活動を停止してから約50年後、再びレースの世界にカムバックしたのである。
【画像】オークション「PARIS」の目玉商品、マセラティMC12バージョン・コルサ(写真10点)
2004年の第74回ジュネーヴ国際モーターショーで発表されたティーポM144またはMC12(マセラティ・コルサ、12気筒)は、モデナのファクトリーから生まれた最も過激なモデルだった。この新型車のDNAの多くは、かつてのライバル、フェラーリのハイパーカー、エンツォから受け継いだものだが、エンジン、シャシー、エアロダイナミクスには大幅な改良が加えられた。5,998cc、65度、48バルブ、ドライサンプのV型12気筒エンジンを搭載し、最高出力は630ps/7,500rpm、最高速度は330km/hに達した。
機能性を優先したカーボンファイバー製のボディは、マセラティ・チェントロ・スティレのデザインによるもので、長距離を走るレースに必要な特徴をすべて備えていた。2004年から2005年にかけて生産された50台のロードゴーイングMC12は、FIA GT選手権のホモロゲーションという、極めて特異な目的を持って製作されたからだ。
ジョルジョ・アスカネッリの指揮の下、マセラティのレパルト・コルサはコンペティションバージョンを開発し、スパ24時間レースでの連勝を含む数々の国際的勝利を飾った。コンストラクターズ選手権、ドライバーズ選手権、チーム選手権の3冠を達成し、MC12の名声を不動のものにした。トライデントは復活を遂げたのである。
そんなMC12の実力は、究極のアドレナリン体験を求める裕福なエンスージアストたちに絶大な支持を受け、2006年末、マセラティはひとつの究極体を実現した。コンペティションモデルをベースに開発されたMC12バージョン・コルサは、サーキットカーとして開発されたが、エンツォをベースとするフェラーリFXXと同様、レースを想定していなかった。そのため、FIAのルールブックに縛られることはなかった。たとえば、GT1レギュレーションで義務付けられているインテーク・リストリクターを排除した "コルサ "は、チャンピオンシップを制した僚友よりも明らかにパワフルだった。また、最も純粋なマセラティのひとつでもあった。
最小限に抑えられた1,150kgの車重は、ストラダーレよりも200kg近く軽い。トラクションコントロールもスタビリティコントロールもABSもないにもかかわらず、コルサは静止状態から6.4秒で時速200kmを記録するなど、そのパフォーマンスはまさに衝撃的であった。カーボン・セラミック・ブレーキ、6速カンビオコルサ・ギアボックス、一体型ロールケージなど、マセラティはレーシングカー並みのダイナミクスを驚くほど使いやすいパッケージで提供した。
MC12バージョン・コルサは、厳選された12人の顧客だけに新車で提供され、単にお金さえあれば買える車ではなかった。2007年、ドイツでとある幸運なエンスージアストの紳士は、その12台のうちの1台のインビテーションを受け、「0008」が納車された。彼は、すでにフェラーリFXXを所有していたが、コレクションにこのマセラティを加えた。それ以来、この車はモデナの元マセラティ・コルサのメカニックによってエンジンのリビルドが施され、メンテナンスはデンマークのマセラティのスペシャリスト、フォーミュラ・オートモービルによって行われている。
1月30日にRMサザビーズ主催で開催されるオークション「PARIS」に、目玉商品としてこのMC12バージョン・コルサが出品されることとなった。
Archivio Storico Maseratiによると、エンジンはマッチングナンバーのまま、カラーリングはオリジナルのアランチオ(オレンジ)で、シートはブラックのスパルコ製。予想落札価格は4億5000万円~5億6000万円と高額ではあるが、この車の本来の価値を考えれば、特にマセラティ・コレクターにとっては、見逃すことのできないチャンスである。